さようならパチスロ! みんなパチ屋で学んだんだ編
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別れ。それはスロット打ちの常道。さらば仮説の惑星よ。しめっぽいのはなしよ。

書くこと、賭けること 寿


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 スマホによると、
西暦2018年、6月17日
 どういうわけか、この国には、まだパチ屋が存在している。ネットの情報を見る限りでは、政権は自民党が握っているし、国民的な病状、末期症状とまで言われていた自爆テロは、影も形も噂すらない。
 桜井さんと離れて、初めての時間逆行だった。と思いきや、一転、未来なのだった。
 というわけで、おれは今、困惑してる。
 過去にしろ、未来にしろ、そこが知らない世界であることは、変わらんといえば変わらんけども、過去はまだ把握しやすいのだ。知っている時代と比較ができるからだ。要するに、精度の問題だ。 
 ともあれ、これまでは桜井さんが生活に必要なものはすべて揃えてくれていたが、これからは、おれがすべて、自前で何とかしなくちゃいけない。
 ああそうだ。儀式、儀式。
 おれ、永里蓮。何歳? 実年齢でいうと、36歳、か。経験に年齢が追いついてきた感じだろうか。
 さて、どうすんべ。
 ……つか、ここどこよ?
 GPSによると、東京都、世田谷区、南烏山。
 ええと、まずは、近い図書館、近い図書館、と。
 グーグルマップを頼りに公民館的な建物に入り、小便をし、手を洗い、いそいそと新聞コーナーへ。楽しそうに見えるかもしれないが、特に楽しい作業ではない。なぜってニュースってのは、人の幸福よりも、不幸ばかりが載っているからだ。人の不幸は蜜の味という言葉は、何も人間の卑しさだけを謳ってるわけじゃない。それが人間の認知の方法なのだ。サバイブするための。
 周りを見回すと、案外、同じくらいの年齢の人間が目に付く。主婦なのだろうか、無職なのだろうか、仕事が休みなのだろうか。何にせよ、ニュースとは無縁というような、幸も不幸も関係ねえという無表情で、何かを読んでいる。
 おれは、ざっと並べた新聞に集中する。
 文書改竄。
 日報虚偽。
 不当斡旋。
 国会遅延。
 まるで、戦前みたいな四文字の見出しが並んでいる。……まあ、戦前といえば、戦前か。
 あらゆるものが膿んでいるような印象を受ける。が、確かに、こんな状態でまっとうなカジノ議論なんてできるはずがないのだから、パチ屋がまだ存続しているのも、納得できるっちゃあできる。
 時間の流れをひとしきり頭に入れたところで、外に出る。
 空は、晴れている。つか、腹減った。ポケットに手をつっこむと、くしゃくしゃの千円札が、申し訳なさそうに入っている。え? これだけ?
 今回、めっちゃハードモードやな。
 気を取り直して、松屋に入って、牛焼肉定食。おれ、いっつもこれだな。15~6歳からこれだな。水を2杯飲み、完食。
 さて、残るお金は四百円とちょっと。住所不定無職、36歳。合法的にお金を手に入れる方方は、ほぼ、ない。
 誰か喧嘩売ってこねえかな、と思うものの、36歳に喧嘩を売ってくる一般人は早々いないし、いたらいたで、金なんて持ってないだろうし、うーん。
 飯食うの早かったか? 一瞬、後悔しそうになるも、後悔自体に意味はない。
 電車に乗るか? ここから一番近いのは、新宿、か。
 最近新宿ばっかな気がするので、たまには違うところはないものか、と、京王線の路線図を見ながら考える。といって、所持金は、400円とちょっと。現実的な目的地とすると、新宿か、渋谷の二択というところ。
 さあ、どっちだ?
 つうか、この二択には、正解があるのか?
 おれは苦笑いして、切符を買った。



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 僕は、原宿の雑踏に立っている。
 僕という人間と、渋谷区神宮前という土地は、一切の関係がない。むろん、関係がある土地というのは、限られている。というか、だいたいは自分には選択できない。
 僕は、京王線沿線で育ったから、一本で行ける新宿と、明大前経由で行ける渋谷にはなじみがある。だけど原宿は、その新宿と渋谷の間にあり、JR山手線の駅であり、付近にある表参道、明治神宮前は、帝都高速度交通営団(今の東京メトロ)の駅であり、何より、このあたりにはパチ屋が存在しないから、スロッターとしては来る理由がないのだった。では、何故ここに?
 今朝、こんな夢を見たのだった。
 バスケットボール部の仲間たちと、スニーカーを買いに原宿にやって来て、わいわい、がやがや、ああでもない、こうでもないと、試しては脱ぎ、試しては脱ぎ、としているうちに、みんなはお気に入りの靴を見つけるのだが、僕は見つからず、なぜか、靴を履いていないため、外にも出られず、一人、スニーカーショップに取り残されるという夢だった。
 20年以上経って、こんな夢を見るということは、僕は一生、このことを忘れられないのだと思う。
 バスケ部の同級生たちに無視された。
 言葉にすると、1行。3秒くらいで言い終わる過去だけど、僕の心臓に、胃に、筋肉に、性格に、細胞レベルから影響を与え続けているような気がする。
 中学生の僕の結論は、僕が悪かった、というものだった。僕が悪くなくて、彼らが悪いのだとすると、僕が彼らと一緒にいたいという気持ちが間違っていたということになってしまい、そっちの方がしんどいのだった。生まれてきたことが間違っていたと言われているようで。
 まだそんな話してんの? いい加減しつこいよ、と思われるかもしれない。そんな古い話をいつまで繰り返すつもりなんだ? 今は21世紀だ。20世紀の話なんて忘れてしまえ。そんな風に思われるかもしれない。
 一理ある。でも、それは、自分が傷つかない場所からの意見だ。これは自己批判でもある。僕たちは、絶対に傷つかない立ち居地でスロットを打っていた。だから、僕らはスロットに対して何かを言う資格がない。言ったとしても、届かない。僕たちが犠牲にしたのは時間だけだからだ。時間と引き換えに、お金と、加齢を手に入れた。おめでとう。
 ありがとう。が、自分が傷つかない位置から何かをするのは、ゆっくり死んでいくのと同じだ。期待値は選択肢のひとつなのに、それ以外はないみたいな風に自分を作り変えてしまった。確かに、コントロールのしやすい便利な体にはなった。だけど、それでも、体に流れる血を否定することはできない。ゆっくり死ぬか、今、生きるか。
 ということで、僕は夢で見た場所にやってきたのだった。我ながら、論理が破綻している。期待値なんてまるでない。でもいい。僕は、自分がどう傷ついたかを語りたいわけじゃない。自分がどう立ち直るかを語りたいのだ。

つづく
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