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 春に吹く風が好きじゃないのは、おれの心を、1990年代後半の阪神間に連れて行くからだ。
 春の風だけじゃない。寝転んで眺めた明石海峡大橋も、真夏の入道雲も、安室奈美恵の歌も、咲き乱れるコスモスの花も、スニーカーで踏みしめる霜柱の感触も、沈丁花の香りも、すべてが感情に結び付いてしまっている。
 パチ屋にいた時間はそれとは違う。椎名林檎の「ここでキスして」を聴くと、アレックス(アルゼ)というブラックリールの台を思い出したり、モーニング娘とその仲間たちが、青、赤、黄色と3グループに分かれて出した曲と玉緒でポン(サミー)という台が記憶の中で結び付いていたりするが、それだけだ。感情は結び付いていない。だから好きも嫌いもない。
 だけど、こうやって思い出すということは、パチ屋にいたことすらも、感傷の材料になってしまったのだろうか? それは困ったな。
「同業者同士の揉め事というのはありましたか?」
「あったような、ないような。まあ、あったんだろうな。あんまり覚えてないけど」
「パチンコ屋店員との関係はどうでしたか?」
「悪くはなかったと思う。敵対するメリットもないし」
「永里蓮さんは、お金遣いはどうでしたか?」
「どうだろう。特に高いものも買わなかったし、贅沢するわけでもなかったし。酒飲むのに使うくらいだったかな」
「どれくらいの頻度でパチンコ屋に通っていたのですか?」
「ほとんど毎日行ってたような気がするけど、今日は眠いとか、今日は体調が悪いって日は休むようにしてた。気がする」
「収支はつけていましたか?」
「うん。それつけてないスロット打ちはいないんじゃない」
「今も持っていたりしますか?」
「いや、ないなあ。必要ないもんね」
「永里蓮さんは、どのようなやり方で稼いでいたのですか」
「設定狙いとか、天井狙いとか、イベント狙いとかそういうこと?」
「ここで差をつけていた、というのを聞きたいです」
「ネタのありなし、イベント内容、前日の状況、ライバルの動向で変わってくるから、一概には言えないけど、一番気を使ったのは、情報の優先順位かなあ」
「優先順位というと?」
「①誰も知りえない情報、②知ろうと思えば知ることができる情報、③知る必要のない情報。大まかに分けると、情報ってこんな感じで分けられると思うんだけど、たとえば、その店の設定配分とか未来とか結果ってのは①で、その機種の詳細や挙動、期待値や設定6の期待収支なんかが②、演出の信頼度とかが③だよね。台の傾向、店の傾向、同業者の動向、イベント内容、②の精度を上げることで、①へのアクセス権を得るみたいな」
 ふむふむ、と首を動かし、タケルくんはメモを取る。
 酒が進む。進む。質問に答えているうちに、聞かれてもいないことまで喋りそうになっている自分がいて、困った。
「数の理論には恃まなかったのですか?」
「ノリ打ちをするかどうかってこと?」
「はい。あるいは、打ち子と呼ばれるアルバイトを雇ったりだとか」
「スロットをすることに対して、何か、罪悪感があったんだよね。おれはいけないことをしているのだ、みたいな。それがまた気持ちよかったりもしたんだけど。大人数でそれをすると、その罪悪感を正当化してる感じがして嫌だった。誰かが打ってるのをただ待ってる時間とかも嫌だし」
「パチンコギャンブルは、限りなくグレーに近い賭博行為だったと思うのですが、永里蓮さんは、これはしてもいい、これはしてはダメだというような、コンプライアンス的な線引きはありましたか?」
「何がセーフで、何がアウトかってこと?」
「はい」
「いくらグレーといっても、強制的に出玉を搾取するようなゴト行為は犯罪だと思う。台を殴るとか、ドル箱をがしゃがしゃ振るとかドヤ放置みたいなのは、頭が悪いからアウト。下皿に他人が置いた私物をどけるのもアウト。コイン抜きとかコイン拾いは生理的に嫌だった。うーん、後は思いつかないな。グレーだけあって、バレなきゃありの世界だとは思うけど」
「パチ屋の中で起きたことで、これは困ったというのはありましたか?」
「何か、軍団に話しかけられて、居酒屋に連れて行かれたってのもあったけど、特に何もなかったし。下ブレがひどくて憂鬱ってのもあったけど、そのうちにある程度戻ってきたし。特に困ったことはないかな」
「では、日常生活で困ったことはありましたか?」
「スロットしかしてないと、お金とかアパートとか借りれないとか、ローン組めないとか聞くけど、おれは特に」
「パチスロ生活のよかったことは?」
「よかったこと? いや、ないんじゃない」と言って笑う。
「永里蓮さんにとって、パチンコギャンブルって何ですか?」
「……」
 これまでは、特に何も考えずに出てきた答えを口にしていたが、その質問に対する答えはなかなか出てこなかった。ゲーム。ギャンブル。金を手に入れる手段。それは確かにそうなのだけど、どこか足りない気がした。
 初めてパチ屋に入って打ったのは、パチンコの現金機だった。そのうちに、スロットに出会った。そこからも、パチンコを打ったり、パチスロを打ったり、その時々で、打つ機種も狙い目も違った。そこに一貫していたもの……。
「……アジール、かな」おれは言った。
「アジール?」
「避難地というか、パチ屋はある種の緩衝地帯だったような気がする。現実から、同調圧力から、ありとあらゆる不安からの」
 ふむふむ、と言いながら、タケルくんはメモを取る。
「最後の質問です」タケルくんは言った。「もう一度人生をやり直せるとして、永里蓮さんは、またパチスロをしますか?」
「すると思う」おれはそう答えていた。
「その理由をお聞きしてもいいですか?」
「やっぱり、楽しかったんだよね。今、こうやって、話してて思ったんだけど」
「それがいつか失われることであったとしても?」
「うん」
「本日は、お時間を取っていただいて、ありがとうございました」
「こんなので、協力できたの?」
「はい」
 タケルくんは、では、と言ってソファから立ち上がった。
「気をつけて帰ってね」と言った。
「ありがとうございます」
 ドアが開き、ドアが閉まる。タケルくんがいなくなると、おれはひとりになった。タケルくんに身の上話をしたことで、おれの居場所なんて、もうこの世界のどこにもないということがよくわかった。
「永里蓮さん」おれは自分に問いかけてみた。
「はい」自分の問いかけに返事をする。
「永里蓮さんは、パチスロのどこが好きったんですか?」口に出して質問した。
「そうですね」口に出して答える。
 スロットのリールってね、ぐるぐる回るんですよ。こっちの気持ちとか、関係なしに、レバーを叩くとぐるぐる回る。キャラクターとか、オリジナリティとか、金持ち、貧乏人の区別なく、誰が叩いてもぐるぐる回る。ぐるぐる。ぐるぐる。それで、一周のタイミングってのがあるんだけど、こうやって、トン、トン、トンって、タイミングをはかって、ストップボタンをとめるのね。自分が狙ったところから、最大4コマ滑る。にゅるんって。あるいはビタッてとまることもある。1日に9000回転とか、多いときは1万回転くらい回すんだけど、1ゲーム1ゲームに何かしら意味があって。ほとんどはハズレなんだけど。ほとんどハズレだからこそ、ハズレじゃない何かを引いたときは嬉しいんだよね。
 嬉しいんだよ……。

つづく
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