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   雲

 いっしゃうけんめいやってきたといっても
 ねごとみたいな
 にごりさけみたいなことだ
   ……ぬれた夜なかの焼きぼっ杭によっかかり……
 おい きゃうだい
 へんじしてくれ
 そのまっくろな雲のなかから

1924年9月9日 宮沢賢治



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 あ、と思う。タケルくんがベッドごと浮かんでた理由を聞くのを忘れてた。飛行石でも持ってたんだろうか?
 まあ、いいか。
 ポケットの中に入っていた携帯電話の電源を切った。これで、桜井さんから連絡が来ても、おれには伝わらない。
 最後のウイスキーを飲み干して、立ち上がった。
 深夜というか早朝だったが、ロビーには3人の元従業員がいて、おはようございます、と口を揃えて言った。
 おはようございます、と言いながら、1010号室の鍵を渡す。
「行ってらっしゃいませ」
「行ってきます」と言って、外に出る。
 でも、どこに?

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 桜井さんは、たぶん、おれの居場所をつくってくれようとしていたのだと思う。ああ見えて、身内に優しい人なのだ。が、おれは桜井さんのその温情めいた気持ちに応えることができない。際限なく甘える以外には。
 新宿西口の駅前には、ゴミが散乱していた。産ませてよ、と半魚人が来たのでもない限り、誰かが捨てたのだろう。
 パチンコ屋がしめていたスペースは、ゲームセンター、アミューズメントパークになったり、カラオケになったり、駐車場になったり、様々だった。それまで働いていた人は、どこに行ってしまったのだろう? おそらくは、どこかで働いているのだろう。
 動き出す前の街。そんな街にも、働いている人はいる。清掃をする人、工事をする人、警護する人、コンビニの店員、飲食店の店員、裏カジノ、裏風俗。みんな、働いている。
 なぜ、働かなくてはいけないか、に対する明解な答えはない。模範解答はある。だけど、最適の解はない。何をしても、しなくても、結局後悔するのだ。だったら好きなことをすればいい。無責任な人はすぐにそう言う。あるいはたまたま成功した人は。
 だけど、好きなことをするのにも、その原料は時間なのだ。時間は不可避的に事物を劣化させる。10年経った後に、好きなことを、好きなままでいられるか?
 おれには、先を見通す目はない。あったら、スロットなんて打ってない。それでも、おれは過去に戻ったら、スロットを打つだろう。
 おれは、笑った。
 居場所がないなんて、よく思えたな。おれの孤独には、正当な理由がある。おれはひとりで歩いている。なぜ? 生きているからだ。人が生きるとは、居場所を探すことだ。働くのも、飯を食うのも、眠るのも、誰かと一緒にいるのも、保険をかけるのも、居場所をつくるためだ。みな、戦っているのだ。居場所をかけて。居場所は与えられるものではなく、奪うか、守るか、シェアするかしかない。それが、人生。
 心配しないでも、死ねば誰でも等しく居場所が与えられる。永里蓮。最後のスロッター。墓石にはそう刻んでもらおう。



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 あれから、十年の月日が流れた。
 もちろん10年というのは、あてずっぽうの数字だ。時計もカレンダーもない白い部屋の、昨日も明日もほとんど同じ意味を持つ日々だったのだ。だから、僕の感覚では、永遠に近い。
 永遠にも似た時間の果てに、ついに、この白い空間から出る日がやってきたのだった。

つづく
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