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 瓶ビールが空いたので、冷酒をもらうことにした。
「何か美味しい酒をお願いします」店主である脱サラヒゲおやじにゆだねる。
「あいよ」ヒゲおやじは飄々とした足取りで、一升瓶を持ってやってきた。「これ、山形の酒なんだけど、抜群に美味い。一杯? 二杯?」
 カナがうなずいたので、2杯もらうことにした。
 脱サラヒゲおやじは、白ワインを飲むときに使うようなグラスをカナとおれの前に置いて、とくとくと純米大吟醸を注ぎ、それと引き換えにエビスビールの瓶とグラスを手に取り、また飄々と持ち場に戻っていく。
「うま」カナが言い、「うま」おれが言った。
「で、スロッターの話は?」
「スロッターとスロッターじゃない人間はある理由で分かれるんやけど、わかる?」
「知らんー」と言ってカナは笑う。「てかどうでもいいー。スロットを打つか打たないかってことじゃないの?」
「スロッターって、社会のクズとか言われてたけど、一個だけ、どこに出しても恥ずかしくない美意識があった。これマジで」
「何?」
「自分のことを主人公だと思わないこと」
「は? 意味わからん」
「ほとんどの人間は自分のことを主人公だと思ってる」
「スロットを打つ人の話?」
「いや、ネガティブなやつ、やたら悲観するやつ。みんな自分を主人公だと思ってる。ポジティブなやつ、やたら明るいやつは薬を使ってる可能性があるけど、とにかく、たぶん、世の中で生きてる9割くらいの人間はそう思ってる」
「それは当然そうちゃうん」
「いや、たぶん、何百年か前までは、ほとんどの人間がそんなことは思ってなかった。自由も、意志もなかった。というかそんな概念がなかった。明治以降、膨大な訳語を採用したせいで、つまり個人主義や小説や映画を輸入したせいで、ほとんどの人間が自分を主人公と思うようになった。スロッターは、その反対を行くことで、利ざやを得ることに成功した」
「どうやったら自分のことを主人公だと思わないで生活できるん?」カナは言った。
「自分以外のものに仮託すればいい」
「どうやって?」
「たとえばスロッターは、期待値にゼンツする」
「ゼンツ?」
「全部突っ張る」
「何を?」
「金を」
 合鴨の燻製をつまみつつ、大吟醸を飲んだ。合鴨の燻製がなくなった頃、ざるそばが到着。ごゆっくり、と言ってヒゲおやじが戻っていく。
「じゃあ、たとえば、自分以外の人間に傷つけられた人間は、何に仮託すればええの?」
「どういう理由で傷がついたかによるんちゃう」おれは言う。「スロッターは、期待値に賭けて負けたとしても、また次の日は、期待値に賭ける。自分は間違うかもしれないけど、期待値は間違わないから。ただ、その傷ってのが、自分に理由がある場合――たとえば自分が主人公でないと我慢できないとか、そもそもの期待値が間違っている場合――、そこを変えない限り、同じことが何度でも起きる。後は、身を守る方法、防御力を上げるとか」
「防御力?」
「たとえば、人に背中を見せない。比喩的にも、実際的にも」
「ゴルゴ13やな」
 ずるずると蕎麦をすすった後で、カナは言う。「ところで、もり蕎麦とざる蕎麦って何が違うん?」
「ざる蕎麦はざるで提供される。ざる蕎麦には海苔が乗ってたりする」
「同じってこと?」
「大阪弁と関西弁みたいなもんちゃう」
「ああ。そう」
 蕎麦を食べ終わると、そば湯を飲んだ。
「なあ、永里蓮はテロはせんのん?」
「せん」
「嫌いなやつを全員爆破。きもちいいと思わへん?」
「ユニコーンってバンドに大迷惑って曲があったな」おれは言った。
「迷惑じゃ済まんやろうけど」素に戻ったような声でカナは言った。

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 確かに、主人公システムにいる方が、人生は楽しいのかもしれない。だけど主人公制度は、他者を過小評価し、また、過大評価してしまう。世界を狭めてしまう。あいつは敵、あいつは味方、あいつはラスボス、あいつは運命の人、というように。
 世界がフェイクニュースとポピュリズムに染まっていく本当のところは、そんなシステムに遠因があるのではないか。
 だけど、スロッターだけは、それが嘘だと知っている。甘い言葉とビギナーズラックが、人間を破滅に誘うことを。
 パチ屋がなくなって、それまでパチ屋にいた主人公たちが、世に放たれた。蓋が、外れてしまったのだ。

つづく
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