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 あるボクサーが引退を決めた試合を見て、その後しばらく無力感に襲われた。
 何喜んどんねん、と嫁は言った。最低やな、こいつ。埋めたろか。俺も同意見だった。もちろん、そんなことを実行したら、俺らは罪に問われる。法治国家に住む以上、法律は犯されざるルールなのだ。だけど、ルールは例外を規定できない。その証拠が、減量に失敗して無敗をキープした選手ではないのか。ルール適用外のルールをどう定めるか。だから裁判においては、判例が重要視されるのだ。
 例外は、例外として処理すればいい。サダオは昔、そんなことを言っていた。どうしたってエラーやバグは出る。そのたびにオロオロしてもしょうがない。だろ。2ゲーム連続でプレミア引くってのも例外的なことだけど、受け入れるわけだし。
 じゃあ、この感情はどうすればいい? じっとしてられない。はらわたが煮えくり返ってしかたない。
 つうか、そもそも、自分という存在が、例外っつうか、バグみたいなもんじゃねえの? そう考えた方がわかりやすいけどな。サダオはそんなことを言った。俺にはまったく理解できなかった。
「おまえが腹立つのは、うまく行かなかったからだろ。だけど、実際は、俺たちはできる限りのことをした。今日は結果が伴わなかっただけだ。たまたまだよ。うまくいった可能性だってあった。結果だけにとらわれてると、結果を改ざんしてもオーケー、ズルしてもオーケー、何してもオーケーってなる。それはもう、絶対になる。一般的なゲームで、リセットボタンを一度も押さずにゲームを進めるのはほとんど不可能だ。ちょっとうまくいかなかっただけでリセットするのは、合理的な選択でもある。だけど、リセットボタンありきでゲームを進めると、一回一回の集中力は途切れがちになる。ほぼ確実にそうなってしまう。なあ、太郎、人間の行動において、100%うまくいくことなんて、ほとんどないんだよ。たとえば、天井まで数ゲーム以内の台に出会う確率は、試行回数の問題もあるけど、プレミアフラグを引くよりレアだ。プレミアフラグを引いたからって勝てるかどうかは運だが、天井まで数ゲームの台は必ず勝てる。運不運は、結果の極めて重要なファクターでありながら、自分ではどうすることもできない。そもそも、期待値なんて、一回限りの勝負では大した信頼度はない。それでも決着はつく。必ず。それがギャンブルだ。負けてイライラするのが嫌なら、最初から勝負するべきじゃない」
 そんなことをサダオは言った。言っていることはわかったが、腑に落ちなかった。
 ヒキなんてない。サダオはそうも言った。おまえがたまたま打った台でたまたま万枚出したとしても、期待値はマイナスだ。間違いなく。
 その話をしているとき、俺はキレていたような気がする。いや、サダオがキレていたのだった。俺が適当に座った台で万枚を出して、ドヤ顔で、交換所で30枚ほどの一万円札を受け取った後のことだった。
 サダオはその金を受け取り、紙幣を数え、20万を俺につき返した。
「この20万はおまえのもんだ。おまえがヒキを信じたいって言うなら、好き勝手に打てばいい。明日からは、別々に行動しよう」サダオはそう言った。
 上等だよ。俺はその金を握りしめ、闇スロに向かった。その日は確か、50万くらい浮いた気がする。バカヅキというやつだった。ほら、見ろ。俺は、ヒキが強い。
 俺は手にした金で飲んだ。飲み、そしておごった。昼キャバ、風俗を挟んで、夜キャバ、と飲み続けた。気づくと路上で倒れるようにして眠っていた。警察官に肩を揺すられ、目が覚めた。
 ものすごい二日酔いだった。三日酔いかもしれなかった。警官に話しかけられながら、俺は吐いた。俺のポケットに残っていたのは10万だった。翌日、その金をサダオに渡し、俺は頭を下げた。
「共有の金で、ギャンブルをしたことを謝る。すまん」
「わかったならいい」とサダオは言った。金を受け取らなかった。
 俺は、二日酔いと金を失ってしまったことのバツの悪さから、わかったふりをしていただけだった。実際、俺は勝ったのだ。金がないのは使ってしまったからだ。ヒキ。何というか、それはプライドのようなものだった。
 俺の問題は、俺という認識システムにあるのだと思う。
 一人称は、俺。
 二人称は、おまえ。
 三人称は、俺でもおまえでもない、どうでもいい誰か。
 一人称を上げるために、二人称と三人称を下げる。俺は特別なのだ。自分が死ぬはずがない、というのはそういうことだろう。
 サダオの使う一人称は、二人称、三人称と当価値という感じだった。自分だろうが他人だろうが同じこと。サダオはよくそんなことを言った。
 サダオが死んだと聞いたとき、誰かに殺されたのだ、と思った。ほとんど確信に近かった。あのサダオが、自分で死を選ぶはずがないのだ。許せなかった。サダオは、俺が人生で出会った初めての親友だった。絶対に報復してやる、と心に決めた。相手が誰であっても。
 俺はサダオが通っていたというパチ屋の常連に話を聞いてみることにした。
 その爺さんが言うには、サダオは何人かのグループと揉めていた、という。あいつが他人と揉めるというのがよくわからなかった。さらに話を聞いてみると、大学生風のあんちゃんが、ああ、何か、掲示板で晒されてましたよ、ということを言った。

つづく
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