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「ねえ、サダって誰?」
 ……ん?
「りょうたろ、またうなされてたよ」
 ……え?
 唾を飲み込み、時計を見ると、午前3時33分。確変ゲット、とはさすがに思えなかった。ため息を吐き出して、今見ていたはずの夢を思い出そうとしたが、何も思い出せなかった。
「りょうたろ?」
「はい」
「サダって誰?」
「……俺、そんなこと言ってた?」
「うん」
「そうか」
「りょうたろ、やっぱり病院行った方がええって」
 立ち上がり、蛇口をひねって水を飲んだ。呼吸を落ち着かして、ベッドに戻る。
「大丈夫?」嫁が言う。
「ごめんな。おやすみ」
「なあ、ホンマに大丈夫?」
「大丈夫」
 嫁を起こさないように、俺は朝までベッドの中でじっとしていた。

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嫁の朝は早い。そして、日がな一日、嫁はパソコンの前から動かない。
 この世界はおかしい。そう言って、嫁はキーボードを叩きながら、パソコンの画面を睨んでいる。
「何を書いてるの?」と聞くと、文章、というぼんやりとした答えが返ってくる。
「どんな?」
 その質問には、嫁は答えない。ものすごく集中しているようにも、どこか違う世界に行ってしまっているようにも見える。喋るのは、寝る前と、起きた後、俺が出かける時と帰ってくる時くらい。後は万事がこの調子。家事をするわけでもないし、買い物に出るわけでもない。傍から見れば、ニートだとか、引きこもりと言われてしまうのかもしれない。
 だけど、彼女の心情は彼女にしかわからないのだし、その喪失感は俺の比ではないだろう。いつか、立ち上がる日が来るだろう。そう楽観的に考えている。
「仕事行ってきます」
「いってらっしゃい。ごめんなさいゆうて、合間に病院行くんやで」
 うん。
 そう言って外に出た。空は今日も問題なく晴れている。嫁に嘘をついてしまったことで、胸が少し痛んだ。
 梅崎樹が連れていたのは、いつもの二人組だった。
 キバとリバ。凄腕の用心棒。
「太郎さん、こんにちは」俺よりも幾分身長の高い坊主が言った。
「うす」
 キバの相棒である茶髪パーマのリバ(俺よりも幾分身長が低い)は、ふてくされたような顔で、そっぽを向いている。
「久し振りだな」梅崎は言った。「おまえに、頼みがある」
「ああ」

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 サダオは、俺がギャンブル生活真っ只中で出会ったスロプロだった。ギャンブルの世界なんて、まったく無縁のような顔をして、その実、スロットをするために生まれてきたような男だった。
 当時の俺には、明確な考えがあった。刹那主義。またはエピキュリアン。その瞬間、気持ちよければそれでいい。次の瞬間はない。明日もない。未来もない。
 サダオは、そんな俺に、「射精だけのセックスの何が面白いの?」と言った。
 胸倉をつかみかけた俺に、サダオは続けた。「快楽って、手軽なやつもあるけど、実は気持ちよくない時間が担保だったりするじゃん。空腹がなきゃ美味しいもないみたいな。それとも、快楽主義っていう言葉が気持ちいいの? それとも我慢ができないだけの早漏なの? それ、俺はオリジナルって言い張る量産型くらい気持ちわりーな」
 サダオの言葉よりも、言い返せない自分に驚いてしまった。
 こういう言い方で否定されると、俺は逆に自分が認められたような気がしてしまう傾向があるんだろうと思う。被虐的というかマゾヒスティックというか。
 サダオと嫁に出会ったおかげで、自分という人間の成り立ちがわかってきた。たとえば、俺が生まれたのも、奇跡的に医学部に受かったのも、マグレ当たりのようなものなのだ。万に一つの確率もない。そこには、論理的な整合性が存在しない。たまたまとしか言いようがない。
 だけど、俺という人間は、その成立条件を無視する傾向がある。俺は俺。独立独歩の俺。天上天下唯我独尊の俺。俺の前に道はなく、俺の後ろに道ができる。結果、様々な問題が起こる。俺という人間の、――数ある欠陥の中でも――たぶん一番大きな欠陥だった。
 サダオには、随分俺の尻拭いをさせてしまった。それでも、俺の傾向は変わらなかった。泥舟の中で泥を食らう生活から抜け出せたのは、嫁のおかげだった。
 サダオは、泥舟の中でも汚れない稀有な男だった。サダオは泥舟に居座り続け、その挙句に、パチ屋のトイレで首を吊った。

つづく
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