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 その老いた小さな男性は、見たことがないくらい斬新なデザインのダブルのスーツを着て、一人でアジールにやってきた。
「本日は、お招きいただき、光栄至極」と、なぜかロビーでくつろいでいたおれに向かってそう言って、名刺を渡してきた。

 第一商会 代表取締役 功刀幸三

「クヌギさん」初対面の人の名前なんて覚えたくないが、しょうがない。「すいません。名刺は持っていないんです。永里蓮といいます」
「かまわんよ」
 顔を見る限り、おじいちゃんなのだが、スポーツでもしているのか、背筋はぴんと伸び、弛んでいるところも見当たらなかった。
「ところで、永里さん、新オーナーはどちらかな」
「桜井は外出中です」と言った。
「さようか。では、ここで待たせていただこう」
「いや、お部屋はご用意させていただいておりますので、どうぞ、おあがりください」久し振りの敬語に、合っているか合っていないかわからないながら、そう言った。
「いや、それには忍びない。待つよ」
「では、コーヒーはいかがですか?」とおれは言った。
「すまないね」
 おれは一礼して、フロントに進み、イノウエさんにコーヒーを頼んだ。
 イノウエさんの持ってくるコーヒーはなかなか美味しい(そういえばカップラーメンもまあまあだった)。これは、このホテルの遮光カーテンに次ぐ発見だった。
 とはいえ、何でおれがこんな接待みたいなことをしなくちゃならないんだ? まあ、これくらい我慢しなければいけないんだろうが、何を話せばいいかわからない。というか、何を話してよくて、何を話してはいけないのかの線引きができない。必然的に、うっすい話になる。
 桜が咲くの咲かないの。暖かくなったのならないの。面白くも何ともない。
「永里さんは」と功刀老人は言う。
 これまでの人生で、苗字で呼ばれることがほとんどなかったので、新鮮ではあった。だからといって、それだけだった。
 功刀老人と顔をつきあわせているうちに、何かを思い出しそうになった。古臭いを通り越して斬新だな、と思っていたが、その富士額と、いかめしいダブルのスーツは、何かに似ているのだった。
 ……サイヤ人のエリートだった。
 後は、我慢大会だった。

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 帰ってきた桜井さんとベジータは、二言三言で意気投合し、何やら熱心に、政治の話を始めた。
 ふう。
 ようやくお役御免と、おれは外に出た。外は、久し振りに春らしく晴れていた。風が吹き荒れるのを春らしいというのか、穏やかな陽光を春らしいというのか、意見は分かれるだろうが、ともかく、気持ちのよい天気だった。
 新宿駅は、今日も人だらけだった。体を動かしたい気分だったので、東口に回って、新宿御苑まで歩くことにした。
 200円を払って、苑内に入ると、八部咲きの桜に囲まれた芝生の上で、大学生サークルとおぼしき連中がボールを手にはしゃいでいた。
 男が6人、女が7人。
 素直にうらやましいと思う気持ちと、群れなきゃ異性にアプローチすらできないのかよ、だせえという蔑み、おれには縁がないという諦念が、三つ巴で争う。
 結果、うらやましいから、ネガティブに感じるのだ、という結論に落ち着く。ださいのはおれだ。
 大学でも受験しようかしら。都心の大学なら、桜井さんの招集にも応じられるだろうし。
 でも、何を学ぶ? 来年に受験をするとして、その前に時間逆行が起きたら? というか、キャッハウフフがしたいだけで大学に入るってどうなんだ? 本当に集団にまぎれることができると思ってるのか?
 空虚な気持ちで、日本庭園やら、東屋やら、池やプラタナスの並木を見た後で、御苑を出て、四谷方面に歩いた。四谷駅から麹町、半蔵門、と歩くと、見えてきたのは、皇居だった。
 皇居を半周し、東京駅に入った。17歳のおれは、ここで路線図を見上げ、絶望したのだった。
 あれから20年の月日――繰り返しを含む――が流れ、25歳の肉体で見上げる巨大な東京圏は、別に絶望も希望も、何も与えてはくれなかった。ただ、少し疲れたな、くらいだ。2時間近く、歩き回っていたのだ。足し算と引き算だ。
 中央線に乗って、新宿に戻る。御苑で少しうだうだしたとはいえ、2時間の徒歩を15分に短縮したのだ。が、文明科学素晴らしい! とは思えなかった。おれは切符の正規料金を支払ったのだ。足し算と引き算なだけだ。
 アジールに帰ると、待ちかねていたような顔で、桜井さんが言った。
「なあ、蓮、求めてたピースが揃ったかもしれん」

つづく
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