KIMG2335




「オーナー、あの……」おずおずとやってきたササイさんが言いにくそうに言った。
「ん?」
「懇意にさせていただいていたお客様が、最後に一泊泊まりたいとおっしゃっているのですが、いかが致しましょう?」
「事情は話した?」
 ササイさんはうやうやしく頭を下げた。「ホテル業務は行っておりませんとお伝えしたのですが」
「それでも泊まりたいって?」
「はい。お金は弾むから、の一点張りで」
「どういう人?」
「地方にある中小企業の社長さんで、20年ほど前にお泊まりいただいた際、商談がうまくいったとかで、それ以来、東京出張の度に、当ホテルを利用していただいておりまして」
「じゃあ、最後だよってことを再度伝えたうえで、もてなしてあげてよ」
「それが、1101号室をご指定なのです」
「ああ、蓮の部屋か。蓮、いい?」
「別に、構いませんよ」おれは言う。
「だって。いつの話なの?」
「すぐにでも、とのことです」
「じゃあ、すぐに清掃入って」
「かしこまりました。お値段はいかほど頂戴しますか?」
「いらない」桜井さんは笑った。だって、今はもうホテルじゃないんだから」
「かしこまりました」

       777

「ねえ」おれはイノウエさんが持ってきてくれたコーヒーを飲みながら言った。「桜井さんとおれ、忙しさどれくらい違うんだろうね」
「お。何かしたくなった?」
「いや、まあ、何つうか、いい加減、飽きたっていうか。さっき桜井さんが言った適切な土壌じゃねえけど、目的みたいなの、おれもねえなって」
「何でも好きなことやりゃいいじゃん」
「いや、制約が多すぎるでしょ。海外とか行けないし、そんな遠くなくても、そうだ、京都に行こう、とかできないし」
「それがおまえのしたいことなん? だったら、拠点を移してもいいけど」
「いや、たとえばの話だけど」そう言った後で、おれはホテルのロビーを見渡した。いつもロビーにいる3人は、仕事があるのか、姿が見えなかった。
「てかさ、桜井さん、おれをそばに置いておくために、パチ屋潰したっしょ」
「ばれてた?」
「ばれてるよ」
「まあ、おまえだけでもないんだけどな」
 桜井さんは、おれの顔を何秒か見つめた後で、ため息をついた。「なあ蓮、ちょっと、付き合ってくれるか?」
 おれの反応を待たずに桜井さんは言った。「イノウエさんいる?」
 桜井さんがそう言うと、どこからかイノウエさんが現れた。
「タクシー呼んで」
「かしこまりました」

       777

 そこは、たぶん、墓だった。

 茂木翔太
 御手洗優
 田嶋歩
 定岡公太
 越智果歩
 高木良太
 竹田新三郎
 竹田四郎
 竹田智
 榊原六
 高崎正嗣
 松ヶ枝賢一
 大平長政
 四条絵里
 土橋鞠
 結城沙耶
 白取佳代
 白取ユキ
 白取絵美
 白取亜美
 白取唯
 白取佐和
 田所りんぼ
 田所ハツ
 田所類
 田所当真
 田所多恵
 田所学
 黒須博
 山下宍道
 松田遼太郎

 卒塔婆のない、ごつごつした石に名が刻んであるだけの墓が並んでいるのは、奇妙な光景だった。ひとりひとりの名前を、声には出さずに読んでいった。まず、間違いなく、おれが関係した人も含まれているはずだった。が、誰の名前にも見覚えがないのだった。
 桜井さんは、この人たちの不在を、悼もうとしているのだ。あるいは、抱えようとしているのだった。おれたちの、頼りない記憶力の贖罪のように。
「花か、線香か、持ってくればよかった」おれは言った。
「墓っつうけど、中には何も入ってない。ガワだけだ」桜井さんは言う。
 風が吹くと、桜の花びらがふわっと浮いて、ひらひら舞った。昨日行った上野公園はまだだったが、ここに咲く染井吉野は満開だった。
「ここも桜井さんのもの?」おれは聞いた。
「うん」
「じゃあ、借りるよ」
 そう言いながら、おれはきれいに咲いた桜の花を、小枝ごと手折り、手折り、ひとりひとりの墓の前に置き、目を閉じ、手を合わせた。覚えてなくてごめんなさい、と念じながら。

つづく
にほんブログ村 スロットブログへ