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 心身の適応を済ました後で、ラーメンを食べた。特にうまくもなく、まずくもない、チャーシューが一枚、ナルト、メンマ、ネギが浮かんだ中華そば。心が落ち着くんだ。
 会計を済まし、図書館に向かう。
 誰も使っていない大きなデスクに、読売、朝日、毎日、産経、日経、と新聞をどさっと持ってきて、流し読む。
 一個前の繰り返しと大差ない。が、この繰り返しが始まったばかりの2007年とは別の国のようなニュースが並んでいる。この差を生み出しているのは、たぶんおれらだ。
 桜井さんのやりたいことは明快だ。
 時間のギャップという優位性を使って金を稼ぐ。その金を投じてこの国のシステムを変えていく。属国を抜け出し、見栄やプライドを除外し、どこまでも現実的な国にしたいとのこと。
「どうしてそんなことを?」と聞いた。
「約束したから」桜井さんはそう答えた。
 誰と? と聞くと、自分と、と返ってくる。
「おれは自分のできることしかしないっすよ」
「うん。おまえはそれでいい」

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 図書館で、2時間ほど新聞とにらみ合っていると、桜井さんからメールが届いた。おれはただちに返信する。1分以内に返信しないと、桜井さんは怒り出すのだ。
 指定されたのは、西新宿にあるホテルだった。バブルの栄華から抜け出せない典型的な不良債権だった。当時の流行だからという理由だけで取り入れた装飾の数々が、痛々しい傷のように残っている。無論、すべての設備が老朽化している。が、設備投資を行うほどの資金がない。リファービッシュもできない。若い従業員も雇えない。そのくせ、気取りだけは端々に散見する。宿泊施設としては、漫画喫茶の方が優れている。そんなことを思っているうちに、「ここ、買ったから」と桜井さんは言った。「蓮、おれらは当面ここで生活する。ゆくゆくは改装するけど、それまでは、人材確保のアジールとして使おう」
 アジール。逃避所や非武装地帯、聖域を意味する、桜井さんの好きな言葉だった。
 タバコの臭い。
 シャンデリアが貧相というレベルをこえておもちゃみたい。
 天井が低い。
 カーペットが汚い。
 会釈をする従業員の顔に覇気がない。
 エレベーターが狭い、くせに駆動音がうるさい。
 目に見えるホテルの欠点をあげつらいつつ、プラッチックの細長いキーホルダーのついた鍵をくるくる回しながら、最上階に向かった。
 11階。
 やはり、階数を嵩増しするために天井を低くしているのではないか、と訝るほどに天井が低い。
 ホラー映画か? と思うくらい廊下が陰気くさい。
 なんちゃってピカソのような絵画。利き手と反対の手で書いたに違いない書、小学生のねんど細工のような花瓶には、造花すら入っていない。目的性不明。こんなものを並べて何を印象づけたいのだろう?
 1101号室という、公立小学校の教室にあったのと同じ材質にしか見えないプレートが貼られた部屋のドアノブに鍵を挿し込み、回す。
 ぎいい、と大げさな音を立ててドアが開く。醤油のような色に退色したカーペット、かつては漆喰風だったのだろう、しかし混ぜ物が入っているうえに、手入れもしないせいで、黄ばみたい放題の壁。人をせきたてるように、かちかちと音を立て続ける壁時計、それよりも大きな音を立てる冷蔵庫と冷暖房。水はけの悪そうなユニットバス、湯量の少ないシャワー、ぺらぺらの室内着、スリッパの色が水色とピンクなのもぞっとする。グラス、ポット、間接照明、等々、リサイクルショップでも売れ残り必至の調度品。黄ばんでしまった聖書に仏典、そこで何を書けるというのだろうライティングデスク。ダブルサイズのベッドはスプリングがへたってる。二人がけのソファも同様に。テレビはもちろんブラウン管。これがピカピカなら、1980年代風の部屋を再現! という売り出しができるのかもしれないが、降り積もった時間がそれを許さない。今は2007年なのだ。おれにとっては過去。この部屋にとっては未来。
 まあ、よろしくやろうや、と声に出した。

つづく
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