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 愉快と不快が踊っていたような一夜が明けて、朝御飯を食べた。
 今日の献立は、白御飯に麩の味噌汁、金目鯛の開き、出汁巻き卵、蓮根のキンピラ。
 うまい。以外の言葉が出てこない。頭が悪くなってしまったのか、と少し考えた後で首を振った。
 僕がこれまで出会った人、主にパチ屋の中にいる人たちは、誰かが損をさせようとやってくるのではないか、という疑心暗鬼の中にいるように思えた。僕はそういう心の仕組みみたいなものをキープすることの方が損だと思っていた。敵がいるとすれば、それは自分自身ではないか?
 僕はなるべく、損をしたくない。だからまずは、知らなければならない。確率にしろ、台の仕様にしろ、人の心のありようにしろ。知らないから、恐れたり、憎んだりするハメになるのだ。
 僕はサダという人を、サダさんと呼んでみることにした。識別コード。バジリスク~甲賀忍法帖~絆という機種をバジ絆と呼ぶようなものだ。そして、昨日の体験について、自分の感じたことを語ってみた。水が美味しかったこと。部屋が回りだし、愉快が回ると不快が主張を始めたこと。
 そっちがそう言うなら、という感じで、サダさんは、タカシさん、と僕のことを呼んだ。
「タカシさんはたぶん、少しバッドに振れちゃったんだと思います。どう飛ぶかみたいなのって、人によって違うので。ただ、昨日言った聴覚と同じように、基本的な傾向としては、幸福な気分になりますけど」
「そうならないためにはどうしたらいいんですか?」
「まずはリラックスですかね」
 ラリックス、と若干妙なテンションで思う。
 御飯を食べた後で、部屋に戻って小説を手に取った。とりあえず、ということで、小学生の頃に夢中になって読んだ本を読み返してみることにした。ジュール・ヴェルヌ。スティーブンソン。江戸川乱歩。
 あの頃の自分のように、むさぼるようには読めなかったが、それでもその小説群は僕の時間を着実に進めてくれた。気づくとお腹が空いていた。
 昼食は、ざる蕎麦。新鮮な香りと、歯ごたえのあるコシ、麗しきノド越し、かつお出汁、山葵。ずっと食べていたいくらいだった。
 午後は、腕立て伏せと腹筋をした後で、それまでに読んだことのなかった作家の小説に挑戦することにした。 
 フランツ・カフカの「変身」(高橋義孝訳)という小説は、こう始まる。

 ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。

 自分のことなのに(自分が虫になっているという奇妙な現実を)、起きてすぐという冷静になりにくい状態で「発見」するのだ。巨大な虫に変身している様を冷静に分析しつつ、やばい、仕事に向かわないと、と思う。ああ、でも、自分の体は虫だ。どうする? どうしよう?
 この小説があまりにも面白いので、あっという間に読んでしまった。時計がないからわからないが、1時間もかかっていないように思えた。ツタヤで一週間レンタルした映画の期限が明日に迫っているという感じで、連続で別の小説を手にとった。
 チェーホフは「かもめ
 サリンジャーは「ライ麦畑でつかまえて
 フランツ・カフカ、チェーホフ、サリンジャー。時代も国もばらばらだったが、特に気にせず読んでいく。
 夕食は、ビーフシチューだった。食事を終えた後は、サダさんがいれてくれた紅茶を飲みながら、ブラームスを聴いた。
 小説、音楽、ドラッグ。それらはすべて、娯楽だった。エンターテイメント。僕らの時間を労せずして進ませてくれる動力だった。
 何か、自分が悪いことをしているような気がしてきた。僕は今、お金の心配をしていない。にもかかわらず、本来、潤沢なお金をかけなければ得られない類の料理や住宅、娯楽が与えられている。監獄ではなく、むしろ歓待と言っていい。納税、勤労、教育、何であれ、嫌なことは何もしなくていい。
 冷静に考えれば、ここは、北海道か、あるいはどこか北の方にある離島なのだろう。でなければ、3月に雪景色というのはおかしい。
 感覚をトリップさせることはできても、パスポートなしで国外にいるというのは少し考えられない。だけど、どこか冷静になれないのは、サダという人のありかただった。
 同じ料理が連続して出ることがない。にも関わらず、足りないと感じることがない。それほど巨大なキッチンではないし、冷蔵庫でもない。材料が豊富にあるとは思えない。どのような計算をすれば、そのような芸当ができるのか、皆目見当がつかなかった。
 ここに来て、初めて風呂に入った。それは、室内にあるのに、露天風呂だった。十メートルほど上空が、ぽっかりと吹き抜けになっているのだった。やはり建物自体は背が高いのだろうか?
 バキに出てくる何とかという死刑囚なら軽く登っていくんだろうな、と思いつつ、溶岩のような材質でできた風呂に体を沈めながら、久し振りの空を眺めた。幾つか星が光っていたが、天板のような雲がそれ以上の光を与えてはくれなかった。雪は降っていないものの、強烈な冷気が降りてくる。この寒さは、ここが現実であることを強く訴えていた。視覚や聴覚よりもリアルに。
 体を温めた後で、室内にある洗い場で体を洗った。そして風量の強いドライヤーで髪を乾かし、部屋に戻った。
 僕は歯を磨き、スロットをしていたときと同じく、体をほぐし、睡眠に備えるためのストレッチをしつつ、頭を空っぽにさせるように努め、眠りの尻尾を逃さずにベッドに入った。眠ければ眠る。腹が減れば飯にする、とは言いながら、だいたい同じような時間に寝たり起きたり御飯を食べているような気がした。もしかしたら、時計がなくても感覚がそれを知っているのかもしれなかった。
 おやすみなさい 

つづく
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