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 揺りかごの中にいるような気分だった。僕は次、何に生まれ変わるのだろう?
 また、眠っていたようだ。襲ってくる不安と戦いながらの浅い眠り。怒りを何かにぶつけたいのだけど、ぶつけるものを見つけられない憤り。
 ぶおおおおおおおおおおおという、敵対する誰かを威嚇するような巨大な音が聞こえた。
 そのうちに、車のエンジンがかかり、発進した。……このドライブは終わらないのだ。
 どういうわけか、お腹が減らない。排泄をしたいという気持ちもない。眠くもない。ただ、開放されたい。楽になりたい。
 ベジータに「一番大切なものは何か?」という質問をされたとき、僕はこいつだ、と太郎を指して言った。だけど、今ならこう言うはずだ。人間にとって一番大切なものは自由だ、と。
 自由があればこそ、選択ができる。不自由を選ぶという選択も含め、だ。が、この不自由を選んだのは自分だ、という事実もある。ぐるぐるぐるぐるぐる。思考が回る、お腹が鳴る。やはり腹が減っているのか。
 僕はクソまずいカンパンをひとつ、憎しみをこめるように噛み砕き、飲み下した。全然美味しくない。ただ、小麦粉の味がわかる程度には味がするようになった。カンパンを食べるという行為に慣れたのだ。水で口を湿らせる。ティッシュで歯を磨く。ルーティーンをこなしている間、僕は安心する。何かを守らなければいけないのは不自由ではないのか? いや、どれだけ不自由でも、自分の決めたルーティーンなのだ。それは自由ということだ。
 自由。
 自由。
 自由ってどういう意味なんだろう?
 自由の自は自分の自だろうか? 自由の由は理由の由だろうか? 
 わかるのは、今の僕に時間の概念はあまり意味がないということだ。ただ腹が減り、腹が立つ。この場合の腹というのは具体的にどこの部位を指しているのだろう? 胃か? 第二の脳と言われる腸か? それとも五臓六腑全部? どっちにしろ、腹に支配されたアニマルか。僕はアニマルという台を打ったことがない。スーバニはある。バニーガールもある。ニューペガもある。クソどうでもいい話だ。
 自由。
 思考は自由だ。しかし、肉体が自由でないと、思考が不自由な気がするのはどうしてだろう?
 だけどたとえば、今、この瞬間に、僕の耳に、僕の疑問に答えてくれる声が聞こえたとして、それを真実の声として、僕は信じられるだろうか?
 いや、信じないと思う。幻聴だ、と思うだろう。そして、その現象に対して思い悩むだろう。ついに頭がおかしくなったのだ、と。
 誰かに抱きしめてもらいたかった。そして肯定して欲しかった。
 僕はソファを抱きしめていた。いや、ソファが僕を抱きしめているのか。僕がソファなのか、ソファが僕なのか。また、うつらうつら眠っていた。ソファとまぐわう? 中学生でも思いつかないような夢だ。と思ったものの、しょせん夢なのだ、と一笑はできなかった。どれくらい時間が経っただろう? 最大三日という最終防衛ライン、その1/5ほどが過ぎただろうか? とすれば、これを5回も繰り返すのだろうか? 僕は同じメンタリティでいられるだろうか? 今ですらこれなのだ。2日後の自分を想像しようとするだけで吐き気がした。吐くものなんてほとんどないくせに。
 次の瞬間、僕はうるさいタバコ臭い空間で、スロットを打っていた。ついにテレポートまでできるようになったのか? 目の前にあるのはあの懐かしいサンダーVだった。ブイブイブイ、とやけに大げさに効果音が鳴った。さあ、どこを狙う? 王道の左枠上単独Vか? それとも赤七チェリーBARをビタ押しするか? 枠上に赤七を狙って滑らせるか? それとも逆押しするか? 中押しでもいい。自由だ。僕の一番大切な自由は、パチ屋の中にあったのだ。
 否。ここがパチ屋のはずはなかった。そんなことは夢の中でさえも、わかる。スロットはただの手段のはずだった。勝てるから打つ。それだけのはずだった。愛着や感傷は勝つことに不必要な要素だ。だけど、僕はあの日々を懐かしく思うのだった。
 目が覚めた。いや、目は覚めていた。僕は目を開けた、の間違いだ。目の前には一見して質がいいとわかるソファとテカテカのテーブル。素材を吟味している。手間がかかっている。ということは、金がかかっている。だけど人間味がない。上がったり、下がったり、抑揚がないのだ。ねえ、あの、ここに客人がいるのだから、音楽くらいかけてくれませんか? ここに来たときはバロック音楽がかかっていたでしょう。それ、かけてくれませんか?
 何か、何でもいい。下品でいい。低俗でもいい。人間らしいレスポンスが欲しかった。ここには何もない。僕が何をしても、何も返ってこない。自由と言えば自由だが、不自由と言えばこれ以上ないくらい不自由だった。
 どうして俺がこんな目に合わなくてはいけないんだ?
 自らの不幸を嘆くことほど愚かなことはないと思っていた。不幸を嘆く以上、幸運を享受する資格がない。それは同じ現象の裏表なのだから。
 何が起きても、自分の責任。運不運は自分の属性。不幸を嘆いたり、他人を羨んだりすることは、人として、してはいけないふるまいだと思っていた。僕の感覚は、最も軽蔑している場所まで落ちてしまったのだ。いや、もともとそういう人間だったのだろう。それを無理やり糊塗していただけだ。理論。理想。試行回数。再現性。パチ屋のルール。だけど、そんなものは、ここにはない。
 視点があり、対象があり、自分の立ち居地があって始めて観測が成立する。動き続ける場所からでは、そこがどこなのか、正確には把握できないのだ。
 屁をこいた。太郎のように堂々と。しかし思い切り気張ったはずなのに、ほとんど音は出なかった。液体が漏れ出ることもなかった。
 ガス欠を起こした車のような哀しみがあった。泣きたかった。
 車のエンジンが停止したのはそのときだった。
 ドン、と音がして、ドアが向こうから開いていった。
 雪景色が広がっていた。
「ようこそ」と誰かが言った。 

つづく
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