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 新たな問題。
 口の中に糖分を入れるということは、歯を磨かなくてはいけないということだった。そうしなければ、糖分は、歯の内部に向かってアタックを開始する。それはここ何日というレベルでは問題にならないが、長い人生を考えると、大いなる問題だった。僕は室内を見回して、向かいのソファの端のサイドボックスの中にティッシュのケースを発見し、一枚取って歯を磨いた。時間だけはあるのだから、丹念に。
 数分が経過しただろうか? 歯磨き代わりのティッシュ一枚をダストボックスに捨てた。さて、問題がひとつ減り、することがなくなった。
 ……
 さーという音しか聞こえない。車は淀みなく、一時も留まることなく進んでいる。順調そのものといったドライブではあるが、喜びみたいなものがあるかどうかは疑問だった。あまりに画一的だからだ。ほとんどの喜びは、凹凸や抑揚の中にあるのだ。繰り返し、繰り返しの時間には変化がない。繰り返し、繰り返しの中であっても、どこかが引っ込んで、どこかが出っ張る。それが哀しみと喜びの両面なのだ。ヒキ弱とヒキ強という言葉でもいい。スロッターならわかってくれるだろう。スロッターじゃなくても何となくわかってくれるだろう。どうだろう?
 あまりに暇なので、僕はソファの上で腕立て伏せをしてみた。が、よくよく考えてみると、いや、よくよく考えるまでもなく、体力を使うのは得策ではなさそうだった。僕は両肩をぐるんぐるんと回し、それから定位置に戻った。進行方向であるだろう方向を向いたソファのど真ん中。ここでの僕の定位置だった。僕の体の形にソファが変化しないだろうか? 少しはずらした方がいいのだろうか? ということをひとしきり考えた後で、いらぬ心配だ、と思い直した。
 たまには違う方向を向いて考えよう、と反対向きに座ってみたが、見える景色が変わらなかったので、定位置に戻ることにした。
 出発してから、何時間が経ったのだろう? ステップワゴンにベジータが来訪したのは朝の6時だった。それから軽く支度をしてリムジンに乗った。紅茶を飲んだら眠くなって、寝てしまった。起きるとベジータと太郎の姿はなかった。
 それから水を少量。カンパンを1つ食べた。実を言うと、何が実なのかさっぱりわからないが、小便がしたい。だけど小便をするのが、もったいないような、おそろしいような感覚なのだった。
 予想をしてみよう、と思う。予想というのは、人間の持つ感覚の中で、最もギャンブルナイズされた感覚である。ギャンブルナイズ? そんな言葉があるかどうか知らない。ともかく、ぜんぜん信頼のできない感覚だ。それは、競馬新聞のレース当日とレース翌日を並べてみればすぐにわかる。あるいは、識者という人がしたその年の展望と、実際にその年にあったことを見比べるでもいい。ほとんど当たらない。プロ、あるいは識者という人をしてそうなのだ。
 にもかかわらず、ギャンブラーは己の予想をもとに、ギャンブルをする。結果、ほとんど確実に苦杯をなめる。
「ああ、何かGOD引けそう」
 そんな予感が胸に生じる。この場合はインスピレーション、霊性のようなものだろうが、胸に生じた感覚をもとにミリオンゴッドに座ったとして、やったぜ、実際に、オスワリ一発でGOD降臨。
 この場合、確かに予想は正解した。が、予想に現実がついてきたのか、あるいはたまたま予想に合致する出来事が起きたのかを自分で把握する術がない。ということは、再現性がない。ああ、宝くじ当たるかもな、と思って宝くじを買う。見事、当選。一生分のお金が手に入る。そんな、一生に一度の大博打ならいいかもしれない。だけどたかだかPGGを引いた程度では、人生という観点から見たら何もないのと変わらない。しかしほとんどのギャンブラーは、自分のそのセンサーを、あたかも有能な参謀のように信用する。オレってばセンスの塊と考える。結果、資金を目減りさせる。
 予想の問題は、楽しさにある。それはギャンブルという行為の根本に触れる楽しさなのだ。人間は、自分が優れていて欲しいと願う。自分が触れるものは全て黄金に輝いて欲しい。でも、それは夢物語だ。もしくは不幸話だ。
 僕は予想をしない。それ自体は確かである細かな数字を信じて行動しても、結果が伴うかどうかは不確定なのだ。
 だけど、今、この時ばかりは、その決まりを破ろうと思う。
 僕の予想では、出発して以来、8時間ほどが経過したように思う。このように思考の欠片を引き伸ばし、引き伸ばして思考してみたが、どうやらひとつの限界が迫っていた。
 小便が漏れそうなのだ。
 テーブルの上の簡易用トイレを眺める。
 もう、無理だ。これ以上小便を我慢したところで、誰も褒めてくれないし、小便を我慢すればするほど、ノドが乾いてくるという、この当たり前なのだろうが、何となく理不尽な生理現象に、自意識が耐えられそうになかった。
 僕は簡易用トイレ、と書かれた袋を開けてみた。そこにあるのは二昔前のゴミ袋のような青いビニール袋だった。青い袋は三枚入っていた。これに、しろ、ということだろうか? そういうことらしい。
 僕は何となく立ち上がって、といっても完全には立てないので中腰になって、チャックを下ろし、縮み上がった性器を青いビニール袋の中に沈めてみた。
 ……
 震えがくるほど尿意はあるのだが、生来の思い切りのなさが災いしてか、あるいはモラルが邪魔してか、出てこないのだった。
 いいか、これは、非常事態だ、と自分の性器に向かって言ってみた。あくまで、緊急時のトラブル回避なのだ。
 ちょろ、と体内の水分が外気に触れた瞬間、厚く堅く存在していたモラルの壁が決壊した。なし崩し的に大量の水が性器から青い袋めがけて放射された。
 すっきりした。どうしてこんな簡単なことをためらっていたのか、信じられない思いだった。赤信号みんなで渡れば怖くない式の調子乗りだろうか。まあいいや。青い袋の口を縛って前のソファに投げた。ポトン、という音とともに青い袋はソファの上に収まった。
 さて、一つの問題の終了は、違う問題のはじまりである。そう、一番の敵、暇が眠りから覚めたのだった。
 あー。と声に出してみた。自分の声ってこんなだったか? と思う。それを教えてくれる他人がいない。じゃあこんなも、あんなも、どんなもないのだった。
 と、車の速度が遅くなったような感覚があった。一般道に出たのだろうか? 
 そのうちに、車のエンジンがストップした。
 何か起きるのだろうか? と思いながら身構えたが、何も起きなかった。
 ぶおおおおおおおおおおおおという、敵対する誰かを威嚇するような巨大な音が聞こえた。何だろう? 車のエンジンは動いていないが、動いている感じがする。揺れてる?
 不安を隠すように、ペットボトルのキャップを回し、口の中を湿らせた。ダイヤモンド型の角砂糖を口の中に入れてみる。
 甘みをうまみと読むことがあるが、確かにこれは喜びだった。僕はその愉楽を一滴も取り逃がさないように、目を閉じて集中した。どことなく、フルーティーな味すらした。パイナップルの成分が付着したためだろうか? 溶けていく砂糖と、それを長く味わっていたいという気持ちがどんどん乖離していく。喜びと哀しみにうちひしがれていると、体が少し傾いた。やはり、揺れているのだ。
 ごおおおおおおという、何かが振動しているような音が常に聞こえている。僕は舌で、砂糖を転がしている。1日に2個と1/3個しか楽しめない時間を堪能したいと願っている。が、後味を残して、砂糖は消えてしまった。甘みもやがて消えた。
 僕はティッシュペーパーを一枚出して、歯を磨くことにした。

つづく
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