24歳くらいの頃、数日間だけラッパーになったことがあった。

仲の良い友人の知り合いが、某渋谷系大御所ラッパーと親しい関係らしく、そのラッパーが新人アーティストを探しているという情報を聞きつけた歌手志望の友人が、おれの歌の合間におまえラップしない? というオファーをもちかけたのだった。
「いいよ」と私は言った。ティッシュペーパーのように軽い気持ちだった。その足でカラオケに行った。友人が何の曲を歌ったのかは覚えていない。R&B系の何かだった。さて、間奏である。私の出番だ。そこで、見よう見まね(聞こう聞き真似)で適当に言葉をハメた。グレイトフルデイズあたりのKJかジブラのリリックの猿真似だったが、楽しかった。

その日、家に帰った後で、リリックを書き始めたのだった。さて、何を書こう? とりあえずの足がかりとして、ビッチとファックという(ヒップホップに対する圧倒的な偏見ではあるが、あながち誤りとも言えないであろう)言葉を中心に組み立ててみた。たぶん、1時間もかからなかったと思う。内容はさっぱり覚えていないが、セレブなビッチとファックという歌詞ができあがった。無論、客観性ゼロのゲロか殺傷力ゼロのテロである。

で、その翌日か、翌々日にレコーディングをすることになった。といっても、レコーディングブースの備わったstudioなどではなく、自作CDをつくることのできたカラオケボックスに入ったのだった。そこで私は、セレブなビッチとファックというラップを何ちゃってフロウでかましたのだった。そこでできたデモCDを、友人は知り合いに渡した。結果が返ってこなかったところをみると、ティッシュペーパー以下の印象だったのだろう。私のラッパー暦はそこで幕を閉じた。2004年くらいの話である。

さて、2018年の私は、小説を書きながら、スロットをして生活をしている。スロットを担保に入れて、あるいはスロットをする時間を生活の糧に変えて、文章を書く生活をしている、と言った方がいいかもしれない。

何にせよ、メインは「小説」だ。どうして? という疑問を自分自身にぶつけてみても、満足な答えは返ってこなかった。だから書いているのだ、というのはあまりに短絡的だろう。これまでどれくらいの時間、文章を書いては消して書いては消しての行為の中に身を投じたのだろう?

理想と現実。

「仕事は何をしているのですか?」という質問をされることがある。
「文章を書く生活に必要なだけの期待値をパチンコ屋から頂戴して生活しています」というのが、主観的な実感ではあるが、おいそれとそんなことを口にすることはできないので、「パソコンにかじりついてます」から、「フリーランスで飛び回るニートであります」という間の何かを適当に言ってお茶を濁している。
「へえ」「ふうん」「ああ、そうですか」
だいたいは、あまり興味がないという感じでそう言われる。

それくらいの反応が助かる。こっちはこっちで、していることの一面を拡大して切り取っているという負い目がある。家賃光熱費などを家族に完全に甘えているというのもある。

負い目。祟り目。弱り目。魚の目。目の前に何かがつくと不吉な言葉になるのはどうしてだろう? いい目が出る、という言葉もあるが、あれは賭博用語、サイコロの目のことだ。何かを見つめる目というのは、人間存在の象徴なのだろうか。

そんな、土の中のような生活を始めて10年。芽が出て、膨らんで、花が咲いて、カムバック。その予定だった。さて、現実はどうだろう? この小説を皮切りに、理想に追いつきたいと思う。

書くこと、賭けること 寿


さようならパチスロ!
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合成の誤謬編




       1




 太郎の屁で目が覚めた。
「おい」と言う。
「あん?」太郎は眠りを妨げられたことを非難するような声で言った。
「密閉空間で屁をこくな」
「またしてた? すまんな」
「そろそろ起きろよ」と僕は言った。
「もう時間か?」
「ああ」
 暖房の力でぬるさをキープしていた缶コーヒーを一口飲み、メンソールのタバコを吸った。それから、僕らはマフラーを巻いて、似たり寄ったりなダウンをはおって車の外に出た。
「さぶ」と太郎が言った。
 目線の先には砂浜があり、海があり、水平線があった。体が痩せてしまったのではないか、と錯覚するような寒さの中、僕たちは海を見つめた。空は、何かが起こるという予感がそのまま具現化したような色をしていた。
 空の予告に焦らされつつ、僕たちはその時を待った。
 どれくらい時間が経っただろう? 海の中から、点のように密集した光が現れた。
 初日の出を見ようと九十九里に集まった人たちの、拍手と歓声に迎えられながら、日本の象徴であるその天体は、光の束となり、かまぼこのような形を取り、徐々に、徐々に、やがてダイナミックに海面へと浮上した。僕と太郎は手を合わせた。二度目の2007年がいい年になりますように。
 厳かな気持ちで、僕は祈った。
 願わくば、こいつと二人、この世界に居場所が見つかりますように。

       777

 僕たちがこの世界に紛れ込んでしまったのは、2006年10月10日だった。どういう理由があるかはわからない。僕は2015年から、太郎は2014年からの時間逆行だった。どうして自分が選ばれたのだろう? ここで何をすればいいのだろう? 諸々の疑問を抱えつつも、生きている以上、生活をしなければいけない。学歴もコネも何もない僕たちにできることはそう多くなく、2006年当時の自分たちに直結するように、スロットをして日銭を稼ぐことにしたのだった。寝床はステップワゴン。ドアトゥドアの職場。メインダイニングはファミリーレストラン。それは、過去の焼き直しのような生活だった。
 違うのは、すでに経ている、という経験値だった。他の客ともめることもなかったし、イベントの前日に酒を飲みすぎることもなかった。お互いがお互いの弱みを理解して、補い合おうとした。僕たちは二度目の人生を生き抜く足がかりとして、もう一度、コンビでパチスロを打って生きていこうとしたのだった。
 しかし、ここは僕たちが知る過去ではなかった。そのことに気づいたのは、2007年、1月13日のことだった。
 株価の大暴落。僕の認識していた世界において「リーマンショック」として知られる世界的な金融危機だった。それは、僕の知る日時よりも一年半ほど早かった。歴史が明確に変わったのは、いや、歴史が変わったことを僕たちが実感したのは、初めてのことだった。
 その日以来、僕の知らない出来事が次々に起こった。ひとつひとつの出来事は、別に取るに足らないようなことだった。右に転ぼうが、左に転ぼうが、時間は流れていく。が、それらが総体としてもたらしたのは、政治システムの急速な変化だった。
 パチンコ禁止法成立なるか? というニュースを新聞各社が報じたのは3月の初旬で、僕たちが寝ているステップワゴンの前に、黒塗りのリムジンが停まったのはそんな折だった。
 トントン、と誰かが上品に窓をノックしていた。その窓がフラットシートで眠る僕側だったからだろうか、最初に目を覚ましたのは僕だった。悪人はたぶん、こんなに優しくドアをノックできないだろう。太郎を起こすまでもないかな、と呆けた頭で思いながら、僕は外に出た。
「お初にお目にかかります」
 そこにいたのは、老人だった。バブルの時代にもいなかったのではないだろうか、という威圧的な肩パットの入ったダブルのスーツを着て、首にスカーフを巻き、頭を下げていた。「朝早くに訪問した無礼をお許しください」
 その慇懃な態度と戦闘服のようなスーツ姿は、まったく交じり合うことがなく、150センチ以上160センチ未満だろう身長を、小さくも大きくも見せていた。
「どうも」と言った後で、嫌な予感がした。なぜだろう、そのスーツが時代を超越したダサさのよなものを体現しているように思えたからだろうか。それとも、まだ頭が少し寝ぼけているのだろうか。
「私は、桜井の使いでまいった者です」老人は言った。
「桜井さん」
「さようでございます」
 桜井さん、桜井さん、ああ、あの人か。
「それで、どういったご用件ですか」
「山村崇様、松田遼太郎様をご招待したい、との命を仰せ付かりました」
「今からですか?」
「申し訳ありませんが、忙しい方なのです」
「ちょっと相棒と相談してもいいですか?」
「手短にお願い致します」
 手短に? 誘っておいて何故上から目線なんだ、と若干憤りつつ、僕はステップワゴンの中に戻り、フラットシートの上で身をエビのような姿勢で丸めた太郎の肩を揺すった。
「あん?」太郎は眠りを妨げたことを非難するような声で言った。
「桜井さんが会いたいって」
「は? 今、何時なん」
「6時」
「桜井さんってあの桜井さん?」
「たぶん」
「……しゃあない。行こか」
 太郎はぱっと起きて、ブランケットを折りたたみ、ジーンズをはき、武装戦線風のライダースをはおった。
「はええよ」と苦笑しながら、僕も寝巻きのスウェット上下を脱ぎ、丸首の白いセーターを着て、カーゴパンツをはいて、フライトジャケットをはおった。

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 ストレッチ・リムジン。そのグロテスクなまでに拡張された後部座席を持つ車に乗ったのは生まれて初めてだった。対面式の、応接室に置いてあるソファのような座り心地のシートには、進行方向と逆向きに、ダブルのスーツを着た老人が座り、僕たちは進行方向に向かって並んで座った。
 会話に邪魔にならない程度の音でバロック音楽が流れている。窓はあるが、外が見えない仕様になっていた。僕らと老人の間にはテーブルが置かれていて、その上に、紅茶が2杯、湯気を立てている。
「お飲みにならないのですか」と老人が言った。
「いただきます」と言って太郎が紅茶を飲んだ。
 誰かに似てるんだよな。紅茶の入ったカップを手に取って、小柄な老人の姿を前方の間接視野に入れながら考えているうちに、或るエリートサイヤ人の姿が重なった。
 フリーザ軍が正規採用している肩のいかつい戦闘服。低い身長。その後ろになでつけた髪型の正面には、よく言えば富士額、悪く言うとM字ハゲが鎮座している。間接視野ではあるが、見れば見るほど、ベジータにしか見えなくなった。
 ……ダメだ。これ以上前方を向いていると笑ってしまう。僕は紅茶を飲んでごまかそうとした。隣を見ると、太郎は眠っていた。何か盛られたのだろうか? 目張りのされた車。目的地の知らされていないドライブ。僕たちは拉致されているのだろうか?
「いえ、不安には及びません」ベジータはまるで僕の心を読んだようなことを言った。
「不安?」そう言いながら、僕は紅茶カップをソーサーに置いた。
「不安になったのでしょう?」ベジータは言った。「私は他人の感情をほんの少しですが感じ取ることができるのですよ」
 ベジータのくせに、フリーザ的な口調だった。不安というか、マンガ的なキャラクターに対する不快感というか、複雑な感情であることは間違いなかった。
「山村崇様」とベジータは言った。「幾つか、質問させてください」
 ベジータは僕の反応を待つことなく「先ほど申したように、わずかではありますが、私は感情の波のようなものを感知できますので、虚偽の発言でも大いに構いません」と続けた。「山村崇様。あなたがこの世界で一番大切にしているものは何ですか?」
「わかりません」正直な気持ちを僕は言った。大切にしているものを思いつけなかったからだ。
「では、この世界であなたが最も求めているものを教えてください。食料、水、異性、空気、トイレ、といったライフラインとは別でお考えください」
「こいつです」僕は即答した。
「松田遼太郎様ですね」とベジータは言った。
「はい」
「それは何を差し置いても、ということでしょうか?」
「はい。相棒なんで」僕は言った。
「その質問を、彼にしたら、同じ答えが返ってくるとは思いますか?」
「わかりません」
「もし、仮に松田遼太郎様が別のものを答えたとしても、それでも答えは変わりませんか?」
「変わりません」
「では、あなたと、松田遼太郎様、どちらか一人が死に、どちらか一人が生きる、という場合でも、考えは変わりませんか?」
「その質問はおかしいですよね」と僕は言った。「大切なもの、というのは、その人間が生きていることに依拠している。自分が死んでしまっては、大切もクソもない」
 ベジータはうなずいた。「あなたは、婉曲な表現を嫌うのでしたね。わかりました。では、単刀直入に申しましょう。あなたがた二人の存在が邪魔なのです。最低でも、どちらか一人に消えていただきたい」
「理由は?」僕は言った。言いながら、思考が急激に回らなくなっていることに気づいた。
「もうお気づきとは思いますが、先の金融危機をしかけたのは桜井時生です。桜井は桜井のやり方で、この世界を変えようとしております」
「どうしてこんな回りくどいやり方をするんですか?」あくびをこらえながら、僕は言った。
「松田遼太郎様はかわいい後輩で、あなたの父親は、桜井にとって恩人とのことです。桜井としては、どちらも殺したくない」
「じゃあ俺でいいですよ」と僕は言った。もうどうでもよかった。眠すぎてそれ以上何かを考えることができなかった。ただ、俺のためにこいつが死ぬくらいなら、俺が死んだ方がいいと思った。安っぽいヒロイズムだろうか? 遅れてきた友情・努力・勝利のつもりだろうか? 極度に酔っ払ったときのように感覚が弛緩していた。
「わかりました」ベジータは満足そうにうなずいた。
 ベジータが何かを言っていたが、もう僕の耳はそれを情報に変換することができなかった。
 目が覚めると、リムジンの車内には僕ひとりが取り残されていた。ポケットを探るも、携帯電話もタバコもライターも入っていなかった。テーブルの上には、簡易用トイレと、1.5リットルのペットボトルの水、災害時に備蓄する式のカンパンが置かれていた。メッセージはなかったが、それらの意味するメッセージは明快だった。当分の間はここから出られない、というものだ。まあ、無理だろうが、と思いながらも、壁で隔てられた運転席に向かって「すいません」と呼びかけてみた。当然、返事は返ってこない。次に窓を叩いてみた。びくともしなかった。そして入ってきたときは気づかなかったが、内側から開ける方法が存在しないことが判明した。
 まいった。タバコ吸いてぇ。

つづく
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