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確率と毎日向き合っていると、天文学的なまでにレアな出来事にぶつかる。この確率を他に向けることはできないものか?



バジ絆、前日高モードテーブルBTあとBC3スルー61~
216巻物221解除「好機」白 巻物、強チェリー
……半月 続行
70チャンス目
97巻物101解除「お見事」黄色
投資8kBTゲット
追想巻物スルー
1話 強チェリースルー 継続
2話 巻物スルー
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74から
87チャンス目
C調
119チャンス目
139チャンス目
144鷹出現リプ
182弱チェ
184プッシュボタン演出発展
187解除青揃い「嬉しく」緑
2連続BTゲット
1話 荒寺 継続
2話 強チェリーヒット
追想巻物同色BCヒット
4話「縁」荒寺 巻物同色BCヒット 蛟龍の巫女♪
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あれ、フリーズしてる。
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何も考えてなかったら引けたってやつか。
よし。青いの揃えちゃおう。
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目押しミスったw
スロ歴何年よ? こんな恥ずかしいことあるんですね。
「大好きです。弦之介さま」
ありがとう。
PBC中に巻物ストック、瞳術揃いストック獲得。
5話「祝言」弱チェでウーハー
6話「祝言」共通ベルが立て続けに3回。どれかでヒット
7話「祝言」弱チェスルー 残念。蜜月終了。
8話 荒寺 ストック消費
9話「縁+恋」強チェリースルー 巻物同色BCヒット
同色BC中、瞳術揃いストック、巻物告知なし、巻物告知なし
追想巻物スルー
10話「縁」ストック消費
11話「縁+恋」強チェリーヒット
追想+20 強チェリー、巻物スルー
12話「縁+恋」チャンス目スルー ストック消費
13話「ALL」共通ベル2回スルー 巻物ヒット
BC中巻物ストック
追想+50 強チェリースルー
14話「ALL」確定リプ、巻物と引いて異色BC、リプヒットか。
終了画面伊賀のカッポー
追想キャラ伊賀のカッポー
15話「縁+恋」ストック消費
次回予告発生
16話「ALL」巻物ヒット
BC中チャンス目エフェクト大
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ストック
17話「恋+想」巻物スルー巻物ヒット
次回予告発生
18話「ALL」共通ベルヒット
こおおおおおWILD EYES♪
次回予告発生
19話「ALL」巻物同色BCヒット
巻物ストック、巻物ストック
お、エンディング確定したのでは?
まあいいや。気にせずいこう。
20話「縁+想」チャンス目、弱チェスルー
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BCヒット
21話「ALL」ストック消費
追想巻物ヒット
22話「ALL」巻物ヒット
23話「想」ストック消費
24話 ストック消費
25話 巻物スルー 継続
26話 朧登場 PBCストックに切り替わり
追想巻物スルー
27話 荒寺 巻物、強チェリースルー
28話 朧登場 復活
29話「恋」荒寺 チャンス目、共通ベル、巻物スルー 朧登場 復活
30話 4082枚
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3連続復活はならず。
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強チェリーを引く。
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来世邂逅はならず。
350から
376、377コーカク確定演出
378黒かんざし
381チャンス目
402チャンス目
Cはあるが、Dは、果たして?
天井到達(ウーハー)赤揃い「ようやった」黄色
……満月 やめ

PBCのおかげというよりも、絆高確の複合の連続と、BC中のストックに恵まれたエンディングだった。

ジ、エンド。

24歳くらいの頃、数日間だけラッパーになったことがあった。

仲の良い友人の知り合いが、某渋谷系大御所ラッパーと親しい関係らしく、そのラッパーが新人アーティストを探しているという情報を聞きつけた歌手志望の友人が、おれの歌の合間におまえラップしない? というオファーをもちかけたのだった。
「いいよ」と私は言った。ティッシュペーパーのように軽い気持ちだった。その足でカラオケに行った。友人が何の曲を歌ったのかは覚えていない。R&B系の何かだった。さて、間奏である。私の出番だ。そこで、見よう見まね(聞こう聞き真似)で適当に言葉をハメた。グレイトフルデイズあたりのKJかジブラのリリックの猿真似だったが、楽しかった。

その日、家に帰った後で、リリックを書き始めたのだった。さて、何を書こう? とりあえずの足がかりとして、ビッチとファックという(ヒップホップに対する圧倒的な偏見ではあるが、あながち誤りとも言えないであろう)言葉を中心に組み立ててみた。たぶん、1時間もかからなかったと思う。内容はさっぱり覚えていないが、セレブなビッチとファックという歌詞ができあがった。無論、客観性ゼロのゲロか殺傷力ゼロのテロである。

で、その翌日か、翌々日にレコーディングをすることになった。といっても、レコーディングブースの備わったstudioなどではなく、自作CDをつくることのできたカラオケボックスに入ったのだった。そこで私は、セレブなビッチとファックというラップを何ちゃってフロウでかましたのだった。そこでできたデモテープ(CD)を、友人は知り合いに渡した。結果が返ってこなかったところをみると、ティッシュペーパー以下の印象だったのだろう。私のラッパー暦はそこで幕を閉じた。2004年くらいの話である。

さて、2018年の私は、小説を書きながら、スロットをして生活をしている。スロットを担保に入れて、あるいはスロットをする時間を生活の糧に変えて、文章を書く生活をしている、と言った方がいいかもしれない。

これまでどれくらいの時間、レバーを叩き、ストップボタンを停めてきたのだろう? 目をつぶって台を選ばない限りは、スロットで負け越すようなことにはならないと思う。それはひとえに、回数を重ねたからだ。

一見正反対の「スロット生活」と「小説生活」ではあるが、「試行回数と再現性」という行為の本質は、同じように思う。そこに、期待値さえあれば。

小説における「期待値」は、過去の小説を読んで面白いと思う気持ちだろう。過去の、それも他者の文章を読んで、面白い。その気持ちを数値化することはできないが、別の物語として、小説化することは可能だと思う。そしてその気持ちが他者の共感を呼ぶものであれば、受け入れられるはずだ。

筒井康隆の「旅のラゴス」という小説の中に、古い世界の小説を麻薬だ、と評した後で、主人公が次のような感慨を述べる箇所がある。
こういう成果は何千人も何万人もの小説家が挑戦し続けてこそ可能であり、何十万何百万という小説の大群の中からやっとひとつかみのものが芸術の水準に達するのであるに違いなかった

どちらも天文学的な確率であるならば、スロットのフラグを祈るよりも、文学を書きたい。コツコツと積み立ててきたバジ絆積立(兵糧)は、この時のためにあったのだ。小説レバーがへし折れるまで、叩きたい。