KIMG7930

稼動日記は続きますが、年内のス小説(さらに縮めてみた)の連載はここでいったん区切ろうと思います。今年は大好きだったおばあちゃんが向こうの世界に旅立ってしまったので、新年の挨拶は失礼させていだきます。皆々様におかれましても、期待値だけでなく、どうかご自愛のほど、お祈り申し上げております。

書くこと、賭けること 寿


       777

 行こうぜ、と言って、会計を済まして外に出た。
「どういうことだよ」太郎が言った。
「どうもこうもねえよ」自分の喋り方が横柄で、そのことが気に障った。「クソ」たぶん、酔っているのだろう、僕は、転んでしまった。アスファルトが冷たかった。「人間、どこかで必ず転ぶんだ」立ち上がりながらそう言った。「だったら早いうちの方がいい。俺の場合、中1だったってだけだ」
「サダオ、落ち着け。何言ってっかわかんねえ」
「あれ? 太郎、おまえ、何か喋り方おかしくねえ? そこは何言っとんじゃねえの?」
「わかったから落ち着け。さっきのは、誰なんだ?」
「だから生みの親だって」僕は言った。「お父さん? お母さん? 性別は知らねえけど」
「意味わかんねえ」太郎はきょろきょろとあたりを見回して、自動販売機に駆け足で向かい、ペットボトルの水を買って戻ってきて、キャップを外して僕に手渡した。
「飲め」
 言われた通りに水を飲んだ。それは水の味がした。水以外の何の味もしなかった。
「落ち着いたか?」太郎は言った。
 僕は首を振った。体中がざわざわしていた。カイジの背景のように。僕は思ったままに、「ざわざわターイム」と言った。
「……」太郎が心配そうな目で僕を見ていた。そんな目で見るな、と思う。おまえに心配されるほど落ちぶれちゃねえ。水を飲み干して、これ返す、と言って太郎に渡した。太郎はペットボトルのキャップを締めると、ゴミ箱に捨てた。
「何か、よかった」太郎は言った。
「はあ?」
「おまえにも人並に感情があるんだなってことが」
「感情ねえ人間がいるのかよ? いたら連れてきてみろよ。クソ」
「それは毒舌じゃなくてただ口が悪い人だぞ」
「おまえが正論吐くと、気分が悪いから黙れ」僕は言う。
 太郎に促されて、歩き出す。50メートルほど歩いたところに公園があり、ここで休もうと太郎が言った。ベンチに腰をかけて、タバコを吸った。タバコは世界を回すんだ。どうしてだ? ジャングルジムが、ブランコが、そしてすべり台と砂場が回っていた。僕はベンチに座っているのだから、回っているとしたら僕ではなく、世界の方だ。
「あああああ」
「どうした?」太郎が言った。
「世界が回る」
「ああ。この瞬間も、地球は回ってる」太郎は詩人みたいなことを言った。
 むかついたので、「しね」と言った。
「人にそんなこと言ったらあかん」
「だからおまえが正論言うな」
「普段、正論しか言わねえおまえが言うなよ」太郎は笑う。
 空を見上げると、半分の月が浮かんでいた。人間の目には、少なくとも僕の眼には、約半分の大きさの月が浮かんでいるようにしか見えない。だけど実際は、今、この瞬間も、月は地球に引かれて回ってる。地球も回る。月も回る。ということは、俺だって回るに決まってる。ぐるぐるぐるぐる。みんなは気づいていないのだ。俺だけが世界の秘密を知っている。
「なあ、誰にも言わねえ?」僕は言った。
「は?」
「だから、今から言うこと、誰にも言わねえかって」
「誰に言うんだよ」と言って太郎は笑う。
「墓場まで持ってけよ。酔いからさめても蒸し返すなよ?」横柄な口調だったが、構わず言った。
「わかった」
「俺さあ、小学生くれえんとき、信じてるものがあったんよ」
「うん」太郎は相槌を打った。
「何だと思う?」
「何だそのクイズ。サンタさんか?」
「ぶー」と僕は言った。
「小学生の信じるもの。宗教的なことじゃないんだよな?」
「信じるんだから宗教に決まってるだろ。バカか?」
「だから口わりいな。仏教、キリスト教とかそういうことか」
「リアル宗教とは違う」
「わかんねえよ。ヒントは?」太郎は言う。
「おまえも当時は買ってたはず」
「買ってた? ものなのか?」
「もの、ではない。というか、形のあるものではない」
「形のないものを買うって何だよ。サービス?」
「いや、買うものは、ものだよ。だけど、信じるのは、ものではない」
 太郎はポケットからセブンスターのソフトケースを出して、引っこ抜くようにして一本を取り、ジッポで火をつけた。カチ。ジ。シュポ。カチ。ジッポの音は素晴らしい。オイルの味がするのでタバコには使いたくなかったけれど。といって、タバコ以外に使う場面があるようにも思わないのだけど。
 じりじりという音を立てて太郎は煙を吸った。そして、ふうーと吐き出した。
「物語」太郎は言った。「違うか?」
「何で今の不十分な説明でわかった? さてはおまえエスパーだな」
「ふは」と太郎は笑った。「で、サダオの信じた物語って?」
「ジャンプ」
「はあ? ジャンプって週間少年ジャンプ?」
「うん。俺くれえジャンプを熱心に読んでたやつっていないんじゃね、ってくらい真剣に読んでた。当時」
「おれも真剣に読んでたけどな」太郎は言った。
「じゃあ、おまえも信じてた?」
「信じる? 何を? 」
「それがわかんねえならおまえはエセだ。ニワカだ。シッタカだ」
「ふは」と太郎は笑った。「いいよそれで。じゃあ、モノホンのジャンプ信者は何を信じてたんよ?」
「『友情・努力・勝利』に決まってんだろ。バカか?」
「……バカ?」太郎は小さな声で言った。

       777

 吸い終わったタバコを地面でもみ消して、吸殻を太郎に渡した。
「おれ、これ渡されてどうすんだ?」
「ポイ捨てはダメだろ」
「だからって、何でおれに渡すんだよ」
「受け取ったじゃん。もうおまえのものだ。返品は不可」
「小学生か」と言って太郎は笑う。
「とにかく俺は、『友情・努力・勝利』を信じてた。友情、努力、勝利という順番で大切だと思ってた。勉強は頑張らなくてもできた。運動神経は、パワー系はあんまりだったけど、瞬発力とかそっちの方はそこそこあった。何より、俺は目がよかった。喧嘩はする必要がなかった。それが俺の努力による勝利だった」
「いたよな、そういうやつ」太郎は言った。「そつなく何でもこなす。諍いはしない。それでいて、常にクラス内のいいポジションを占有する」
「そっか、俺は量産型なのか」僕は笑った。「だけど俺のクラスには俺みたいなやつは俺しかいなかった。誰からも命令されないし、誰にも立場を脅かされなかった。完璧な世界だった。世界はずっと、そうやって回っていくんだと思ってた」
 小学校の卒業式が終わった後、クラスに戻ってきて、僕はなぜか泣いてしまった。仲の良かった友人の何人かが、私立の中学に進んだという理由もあった。だけど、今思えば、あれはそれから来る変化を予期してのものだったのかもしれない。オカルトだ。そう、僕のベースもオカルト人間なのだ。たぶん。
 中学に上がると、迷わずバスケ部に入った。100%スラムダンクの影響だった。バスケットボールは、5人でやるスポーツだった。特性の違う5人の個性をいかして点数を取るのだ。パワーはからきしだったが、僕の俊敏性と視野は重宝された。バスケットを始めて数ヶ月で、僕は1年では一番上手いという評判を取るようになった。シューティングガードというポジションで、上級生の試合にも出させてもらうようになった。流川楓の影響で、みながやりたがるポジションだったが、夏休みが終わる頃には序列の一番手になっていた。もちろんそれなりに努力はしたが、単純にレベルが低い学校だったのだ。……は? 流川? シューティングガードは三井寿だろ。この酔っ払いの記憶障害が。確かに、天狗になっていた面はあったかもしれない。3年の試合に1年が出るというのは、年功序列が色濃く残るこの国の学び舎では、一種の特例だった。気づくと、僕は同級生から無視されるようになっていた。

 だけど、実際、そのことだけが原因で、僕が爪弾きにされたとは考えづらかった。流川や桜木花道がハブられる姿は想像できない。何か、僕にはそうされるに値する欠陥があったのだ。僕は、そう考えた。
 ひとりきり、世界を考察すること。それはまったく楽しくない作業だった。だけど、それを怠ったら最後、負の連鎖が始まるに違いなかった。当時は漠然としか考えられなかったが、負の連鎖の終点には、自殺という選択肢が待っていたのだ。ひきこもることは、その時間を遅らせるだけのように思えた。どうにか受け入れたくない世界を肯定する必要があった。
「俺は、あきらめた」太郎に向かって僕は言った。「バスケ部をやめ、友情・努力・勝利という看板を外し、1から自分を作り直すことにした」
「おまえ、悔しくなかったの?」太郎は言った。
「何で? おれはむしろ、感謝してるんだぜ。彼らのおかげで、宗教から抜けることができたんだから」
 太郎は地面でタバコを消すと、ソフトケースのビニール部に、僕が渡した吸殻と一緒に入れ、くるくると巻いてポケットにしまった。
「それ、おまえの考察が間違ってたんじゃねえか」太郎は標準語でそう言った。
 太郎の標準語は妙なアクセントが混じっていた。僕がそれを訂正しようとする前に、太郎は続けた。「感謝してんなら、どうしてさっき、あの酔っ払いから逃げたんだ? あのときはありがとうって言えばよかったじゃんか」
「うるせえ」僕は言った。
「おまえの信仰が悪かったんじゃなくて、ただ、そいつらが悪かったのかもしれないだろ」
「世界に悪人が存在するからといって、殺人にあったらおしまいだろ。他人に押し付けたって問題は絶対に解決にしねえ。バカか?」
「いや、すまん」太郎は謝った。「それはそうだ。おまえが正しい。だけど、そうじゃない解決方法もあったんじゃねえのって話。つうか、おれはおまえのこと、友達だと思ってるよ」
 はらわたが煮えくり返るというが、そんな感じだった。「その友達から逃げたのは誰だ?」声を荒げて僕は言った。
「おれだ」太郎はそう答えた。「それは言い逃れできないおれの過ちだ。だけどそのことと、おまえの過去の体験は関係のない別の話だ」
「もちろん別だ。だけど、逃げたおまえにとやかく言われたくない」
「感情的になるなよ。これも、おまえの言葉だろ?」
 プチンと神経が切れるという表現があるが、本当にそんな感じだった。僕の手は太郎の顔面を、ベンチに座ったままの姿勢でぶん殴っていた。いや、そんな間接的な表現ではいけない。僕は、自分の意志で太郎を殴ったのだった。立ち上がり、もう一度殴ろうとした。が、そのパンチは太郎の左手で叩き落とされてしまった。太郎は無言で立ち上がると、僕の頬を殴り返した。
 僕は太郎を殴り返した。太郎は僕を殴り返した。僕が殴る。太郎が殴る。はは。何か、楽しくなってきた。それは昔、父親としたキャッチボールに似ていた。ボコ。ボコ。という鈍い音が夜の公園に響いていた。
「なあ」何度かの応酬の後で、太郎が言った。
 僕は太郎の言葉に反応しようとしたが、殴ろうとする手は止まられなかった。
 ボコ。
 太郎は僕のパンチをくらったまま、僕の肩に両手を置き、「サダオ。すまん」と言った。
「何謝ってんだ?」
「おまえにとって、期待値ってのは、大切なものだったんだな」
 太郎の言葉を聞いた瞬間、気づいてしまった。退化だったのだ、と。僕は、自分の力で自分を作り直したと思っていた。だが、違った。せっかく信じたいものを見つけたのに、少しうまくいかなかったからといって、それを捨てた。そして戻った。退行したのだ。小さい頃、飛行機の中でゲームをするしかなかった自分に。
 口の中に懐かしい味が広がっていた。そうか、血ってこんな味だったな。

つづく
にほんブログ村 スロットブログへ