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同じ時代を戦った同士諸氏に

この時代に生まれてなかったら、スロットに、そしてあなた方に出会うことは決してありませんでした。感謝の気持ちをこめて。寿


「たしかに、小学生もう一回やり直せってしんどいな」桜井さんが言った。
「でも、少年。子どもの方がチヤホヤしてもらえるよ、絶対」佐和が言った。「おじさんになると誰もチヤホヤしてくれなくなるよ」
「そんなのいりません。おれはもう自立してるんで」短パン姿の小僧は口を尖らして言う。
 パチ屋に頼るのって自立なんだろうか? と僕は思った。それは自立というよりも、寄生ではないか? そんなことを考えている間も、小僧は不平不満を並べ立てた。自分はやっと、成人したのだ。やっと大人になれたのだ。成人から成人に戻るのはいい。肉体は若返る。経験はそのまま活かせる。いいことづくめだ。が、成人から子どもに戻るのは不利ばっかりだ。力は弱い。身長は低い。発言権はない。というよりも、大人にとって当たり前の権利が認められていない。納得いきません、というのが小僧の主張だった。不公平すぎる。せめてパチ屋に入れるくらいの年齢にしてほしい、と。小僧の主張を聞いているうちに、小便がしたくなった。したいと思ったら、そのことしか考えられなくなった。ダメだ。小便が漏れそうだった。何でだ? ああ、さっき車の中でアクエリアスをがぶ飲みしたからか。
「すいません。トイレ行ってもいいですか」と言って、立ち上がった。
 人気のない廊下を歩き、トイレに向かう。作られてから誰も使っていないのではないか、と勘ぐってしまうくらい清潔なトイレだった。小便をしながら痛感したのは、やはり僕は集団行動が苦手だということだ。よくもまあ、人間が5人も6人も集まって、自分の意見をぶつけられるものだ、と思う。1対1なら、僕はいくらでも自分の意見を言うことができる。否定されたところで、1対1、イーブンの関係だ。だけど、3人以上になると話が変わる。僕が1、相手が2。たった1人といえど、これはもう、僕の方が圧倒的に不利だ。倍の数の敵に勝てる戦略は見出せない。1:1なら、条件は五分と五分。機械割は100%。自分が自分として生きるために呑むことのできる最低条件だ。だけど、1:2となると、確率的には宝くじを買うようなものなのだ。僕が小僧だったとしたら、ああいう言い方はできないと思う。パチ屋に行けないことを嘆く前に、不公平さを糾弾する前に、小学生の自分、小学生の身分で取れる期待値のことを考えると思う。
 ……髪の先からつま先までパチ屋のルールが染み付いているのだな、と思う。個人主義というのとも違う。自分の不利な条件は甘受できない、勝ちゲームにしか参加しない嫌なやつだ。そりゃ友達もできなくて当然だ。
 小便はなかなか終わらなかった。放物線を描く小便を見ているうちに、昔のことを思い出した。中学生の頃、G-SHOCKが尋常じゃなく流行り、そのタフネスぶりを誇った同級生のひとりが、思い切り地面に叩きつけて、「壊れねえ。すげー」と言い始めた出来事のことを。彼は投げつけるたびに「壊れねえ。すげー」と叫び、周りの同級生もすげーとはやし立てるのだが、僕は不安を覚えていた。結局、彼のG-SHOCKには亀裂が入ってしまった。「……何だ。壊れるんだ」悲しそうな彼の顔を見て、不安が解消されるともに、バカじゃないか、と思った。彼は他人がいなくても、一人でもあれをやっただろうか? やっただろう。だけどたぶん、壊れるまではやらなかっただろう。人が集まると、増長する人間が必ず出てくる。調子に乗らずにはいられないのだ。一人でスロットを打つときはそんなそぶりもないくせに、仲間が隣で打っていると、強打を始める大学生のような。
 とりえず、苦手ということを再認識できただけでもよかった。小便を最後の一滴まで絞り切ると、カーゴパンツのチャックを上げ、手に液体石鹸をつけて洗い、乾燥機で手を完璧に乾燥させて、苦手な世界に戻ることにした。

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「おれ、小学生やったら女風呂入りたいわ」太郎がそんなことを主張していた。
「包茎ですよ」小僧はすかさず言い返す。「あんなに苦労してむいたのに。また皮かむってるんですよ。そんなの耐えられますか?」
「今のうちにむいておいて、鍛えてみるのはどうや。前の人生よりも立派なものになるかもしらんやん」
「そんなのどうでもいい。おれはセックスよりもスロットを打ちたい」
「おまどんなけ打ちたいねん。それただのジャンキーやんけ」
「太郎さんが10歳でも、同じこと言えますか?」
「言えんかもしれん。でも、おれ、10歳やないし」
「それは思考停止ですよ」
 りんぼさんは、ホワイトボードの前で、パイプ椅子に座って、二人の言い合いを興味深そうに見守っている。佐和はつまらなそうに栗色の髪を手でいじっている。桜井さんは疲れてしまったのか、あるいは会話に飽きたのか、デスクにつっぷして眠っているようだった。
「わかった」りんぼさんはパイプ椅子から立ち上がって言った。
 肉体的、年齢的なハンデがあるというなら、小僧くんには、これを進呈しよう。りんぼさんが懐から取り出したのは、L字型をした黒い物体だった。その物体の後方をかちゃりと引いて、小僧の前のデスクに置いた。「引き金を弾けば、すぐに弾は出る。さあ、話を続けて」
「……ちょそれはハンデでかないっすか?」太郎が言った。
 小僧は興味深そうに、人を脅し、殺傷する目的でつくられた武器を手に取った。
「マツ太郎、おまえが本当に脅威と思うなら、今、取り上げちゃえばよかったのに」桜井さんがあくびまじりにそうに言った。「もう遅い。それをしなかった時点で、おまえは自分の意見を撤回するか、銃を持った相手と戦わなきゃならんな」
 小僧は太郎に向かって銃を構えた。
「ちょ待って。悪かった。おれが悪かった。おれがパチ屋におまえを連れて行くからどうや? 正規の店は無理やろうけど、知り合いの闇スロの店やったら子どもでもいける思うわ」
 小僧は銃を構えたまま静止している。
「それか、ゲーセン行こう。出た分のメダルはおれが金に交換する」
「太郎さん、バカにしないでください。おれはスロットというゲームがしたいんじゃなくて、法律の中で、パチ屋に入ってギャンブルがしたいって言ってるんですよ」
「なあ、小僧」僕は立ったままで言った。「こういう風に考えてみたらどうだ? 今、おまえには、2006年から先の、2017年だっけ? まで続く人類の歴史という記憶がある。この資本優位社会においては、その優位性を持ってすれば、コツコツとパチスロを打つなんていう地道な作業の何十倍、何百倍の資本、つまり金を得ることができる。10歳という年齢は、確かに今は不利かもしれない。だけど、10年後はどうだ? 人間はみんな歳を取る。おれたちは衰えが始まってる。白髪も混じり、小便の切れも悪くなる。だけどおまえは、その頃には、最も充実した肉体を得ている。使い切れないほどの金とともに。パチ屋に入りたいという目先の願望よりも、割のいい話だと思うけど」
「それは師匠が今、現時点で大人だから言える言葉なんですよ。師匠のガワが子どもだったら、そんな戯言は言えないはずだ」
「なあ、小僧、俺は前にも言ったはずだ。スロットを打つんじゃなくて、期待値があるから俺たちはスロットを打つんだ。スロットは手段に過ぎない。目的はあくまで金だ。手段と目的が入れ替わってしまうのは堕落だ」
「そんな言い方ってないだろ」そう言って、小僧は太郎に向けていた銃口を、僕に向けた。「スロットの喜びは、師匠が教えてくれたんですよ。ストップボタンの感触、リールの回る音、目押しの快感、ヒキがかみ合った瞬間の脳汁。すべて師匠がおれに与えてくれたものだ。いくら師匠でも、そのことを否定されたくない」
 梅崎さんに殺されるならいざ知らず、こんなところで10歳の小僧に殺されるなんて、そんな馬鹿らしいことはないように思えた。はいはい。わかったよ。僕は自分の主張を撤回しようとした。が、どうしてか、僕の口は、逆のことを言うのだった。
「甘えるのもいい加減にしろ」僕は自分が信じられなかった。信じられないながらも、口が止まらなかった。「おまえが自分のことを大人だと主張するなら、大人としてふるまってみろよ。今のおまえは駄々っ子そのものだ。おまえのガワがおっさんでも、老人でも、そんなふるまいは通用しない」
「そんなことを言って、師匠は逃げ出したじゃないか」小僧は言った。「たけさん、死にましたよ。誰が見取ったと思ってるんだ? たけさんはもう一度師匠に会いたい。もう一度みんなで酒を飲みたいってずっと言ってた。あんたはどこで何してたんだ? アメリカに行った? アメリカに行って、カジノからも逃げ出したんだろ? 牙リバさんから聞いたよ。期待値がないからって逃走した。最低だよ。あんたは逃げることしかしてないじゃないか。そんなあんたに、大人とは何かなんて語ってほしくない」
 小僧は銃を握っていた右手に、左手を加えた。カジノから逃げた? あのままカジノホテルにいたとして、未来の自分はそんなことをしたのだろうか? でも、まあ、確かに逃げがちだな、と思う。そのことに関しては、ぐうの音も出ない事実だった。確かに、僕は逃げ出しがちな自分が嫌だったこともあった。でも、逃げるのは、僕なりの前向きな選択なのだった。逃げても逃げても、敵は必ず追いかけてくる。敵というのは、常に自分の弱さだ。振り返ればやつがいる。僕は僕なりの方法で、僕の敵と戦っているのだ。誰も僕の代わりには戦ってくれないのだから、そんなことを誰かに言われる筋合いはない。
「そのこととおまえの駄々は、まったく関連がない。俺が誰と過ごすかというのは、おまえじゃなくて俺個人の問題だ。関係のない問題を一緒くたにするなよ。頭が悪い」
「うるせえクソが」
「今頃反抗期か? まあ、でも、10歳だったら適齢期か」
「殺すぞ」小僧がすごんでいた。
「殺す? 何で?」僕は言った。
「もう話すことはない」そう言うと、小僧は引き金を弾いた。

つづく
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