この小説は、「書くこと、賭けること」にて、2017年6月6日~7月7日に連載した「33歳の孤独」に加筆修正を加えようとしたところ、あまりの伸び代のなさに頭を抱え、うんうんと唸り、もがいた挙句に発狂し、切り刻むのも、高温で焼くのも、ぐつぐつ煮込むのもあきらめ、新たにスロ小説を書き始めることにしました、というシロモノです。

スロ小説とは造語でありまして、要するに、(ある種の人間にとっての)エロ小説です。はい、要しましたね。フードポルノならぬスロポルノ。スロット打ちなら「うん」と思い、そうでないなら「はん」と思う。知ってるぞという人も、知らんぞという人も、スロットを打った経験がある人は、お読みになってみてはいかがでしjか……。あ、噛んでもた。ということで、よろしく。

書くこと、賭けること 寿


さようならパチスロ!

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 パチ屋の中で、守っていたことがひとつだけある。それは、嘘をつかないということだ。ズルをしない。ごまかさない。たとえば換金所の箱の中の人が誤って紙幣を多く渡してきたとしても、受け取らない。どうしてだろう? うまく説明できる気はしないが、とにかく、主義として、嫌なのだった。
 他人の嘘やごまかしはどうでもいい。目を伏せ、耳をふさげばそれでいい。だけど、自分の嘘には耳をふさげない。目を伏せられない。パチ屋の騒音とブルーライトは耳栓とPCメガネで守れるが、自分の嘘は心の内側から響いてくるのだ。
 僕のノリ打ちのパートナーだった太郎という男は、時々、というかしょっちゅう嘘をついた。出玉や投資金額をごまかしたり、共通の財産である持ち玉でカフェオレや梅こぶ茶を飲んだり、チリドッグを食べたりした。出玉や投資金額に関しては、計算してわかるものは、「計算間違ってるよ」という体で是正した。が、彼のパチ屋内での個人的な消費に関しては目をつむった。25枚。1日に500円使ったとして、年間18万2500円。馬鹿にならない額ではあるものの、リスクを分散するための経費くらいに考えていた。それに、いつ彼がいなくなってもかまわないと思っていた。実際、太郎はいなくなってしまった。嘘をつく主義と、つかない主義。後者の方が物事は持続する気がするのだが、どうだろうか。
 では、多くの人間が娯楽として興ずるゲームで勝ち抜こうとすることは、ズルではないのだろうか? ズルだ! という見方もあるかもしれない。たとえば、天井やゲーム数など、(打ち手にとって)有利な状態を狙うハイエナという行為は、プレイヤーの無知によって生じた期待値を頂戴している。一人は知っている。もう一人は知らない。不公平じゃないか! そういう見方もあるだろう。だけど、僕はズルとは言えないと思う。情報の取捨選択は、スロットを打つという行為のひとつだからだ。むしろそれこそがスロットを打つという行為だと考えているからだ。無論、だから何だ? と言われることも理解している。どんな主義があろうとクズはクズ。そう思われるのはしょうがない。それでもズルはしない。ごまかさない。嘘はつかない。それは道徳や教養というよりも、信仰に似た感覚なのかもしれなかった。

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 カジノの語源はCASA、貴族が娯楽のために集まる小さな家のことを指していたらしい。しかし現実のカジノは飲み屋であり、閉店時間のないパチ屋だった。飲み放題。賭け放題。そりゃあもう、パチンカスにとってはパラダイスである。が、その楽園に入場するには金がいる。そこで勝つには運がいる。金も運もない人間は、退場を余儀なくされる。ひどい場合には、そこで寿命が尽きてしまう。
 カジノ。そんな血で血を洗うパラダイスに滞在して3週間になる。延々設定1を打っている感じで、増減を繰り返しながらも、金が減っていく。
 ブラックジャックで波をつかんだのは、そんな折だった。トランプが2枚配られる。盤上に見えるのはA(エース)。心を静め、その下に伏せられたカードをゆっくりとめくる。Jの文字に心が踊った。ジャックとエースでナチュラルトゥウェニーワン(21)。賭け金を上げた途端、このゲームにおける最高の役が来たのだった。この瞬間、僕の脳内では神経伝達物質がどばどば放出されたはずだ。僕は張った。強気で張った。ここでの負けは反転し、3600ドルほど(43万円程度)の浮きが出た。僕はもしかしたら、博打の才能があるのではないか。そんな愚にもつかないことを考えながら酒を飲んだ。調子に乗ってけっこう飲んだ。夢で元カノに会った。

 いい加減にしてほしかった。いつまで僕の脳は、過去に属しているつもりなのだろう? 後悔か? それとも、ないものねだりか? 何にせよ、過去は過去。佐和は今の自分とはまったく関係のない他人なのだ。いまだに名前で呼んでしまうのがいけないのだろうか? あの子。あの人。あの女性……
 目が覚めると、目の前には梅崎さんがいた。ここ、アメリカでの僕のボディガード兼、通訳。職業は、殺し屋。ボディガード。ツウヤク。コロシヤ。言葉だけを並べてみると、頭がおかしくなったんじゃないか、と思う。
 太郎は、僕がスロットをしている頃の相棒は、ここにいる梅崎さんに殺された。いつから僕はこんなにも複雑な世界に紛れ込んでしまったのだろう?
 スロットで生活していた頃は、物事が単純だった。期待値があれば打つし、なければ打たない。それだけだった。A店、B店、C店、D店、E店、F店。それぞれの店の設定配分、設定を入れる台の傾向、客層、ライバルの動向、様々な角度から比較検討し、最も蓋然性(確率のことだ)が高いであろうプランを立て、優先事項を常に意識し、それを見失わないように行動する。考えるのはそれだけだった。勝った負けた、ヒキ強ヒキ弱の揺らぎはあったが、安定した日々だった。太郎はそんな生活に音を上げた。
 その相棒がいなくなるのと時を前後して、彼女ができた。それは人生で初めて味わう幸せな時間だった。あの出た試しのない「化物語」のATではない。スロット打ち風情がこんな幸せを享受していいのだろうか? と不安になるくらい心安らいだ時間だった。
 そんな日々が続いて欲しいと思う気持ち。そんなわけにはいかないだろうという気持ち。彼女がいなくなったことで、絶望しながらも、どこか安堵したのも事実だった。たぶん、僕には先天的に欠けているものがあるのだろう。決して大きな穴ではないが、小さくもない。
 その穴だか窪みに、パチスロがぴったりはまったのだ。こう考えてみると、本当にバカみたいな人生だった。が、死にたいなんて思ったことはない。生まれてすいませんとも思わない。17歳でサンダーVに出会ってから何年経った? 手遅れだ。

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 で、アメリカのカジノホテルの一室で、僕の目の前には殺し屋がいる。殺し屋の手には鋭利なナイフが握られており、僕の体はがっちりとロックされている。閉店2分前に現金投資をしている人くらい絶体絶命だ。閉店保障はない。
「死ぬって痛いかな?」僕は言った。
「師匠」梅崎さんは僕のことをそう呼んだ。梅崎さんは僕の2個上で、僕の人生とはほとんどかかわりがないにもかかわらず、僕のことをそう呼ぶのだった。
 そういえば、師匠がいちばん大切にしてるものは何ですか? 昔、そんな質問をされたことがあった。僕は何と答えたんだっけ? 「期待値と再現性」たしか僕はそう答えたのだった。一度きりのものに価値はない。まぐれ当たりに頼るのは、バカのすることだ。
 どうしてこんなにも、ゆるやかな時間が流れているのだろう? 死の間際に見るという走馬灯。あれは本当だったのだ。死の間際の時間は引き延ばされるのだ。RTみたいなものだ。増えはしない。ただ、引き延ばされる。本当にバカみたいだ。ああ、死ぬっていうのに、何で俺はスロットのことなんかを考えているのだろう? というか、何で俺は殺されるんだ?
 ああ、そうか。酔っ払わないという約束をしたのに、それを破ったからだ。なら仕方ないか。……仕方ない、か?

つづく
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