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一般的に、男の欲望の向かう先は、「金」「異性」「名誉」と言われている。金があれば食いっぱぐれないし、名誉があれば、プライドが保てる。異性がいれば、主の保存欲求を満たせる。そのモチベーションを駆動させるのは「飢餓感」だろう。では、そのモチベーションの担保は何だろう? 私は、「自信」ではないか、と思う。

根拠なき自信。大多数の成功者が口にするファクターではあるが、まったく自信のないものに取り組むことは、そもそも難しい。もちろん、自信は、自然とわいてくるのが望ましい。が、誰もがそうではないだろう。剣呑なたとえで恐縮だが、ストリートファイトをしなければいけない状況にあったとする。
1度目に勝った。→相手が弱かっただけかもしれない。
2度目に勝った。→運が良かっただけかもしれない。
3度目に勝った。→あれ、自分は強いのか?
4度目に勝った。→もしかすると、強いのかもしれない。
なぜ、この人の精神は、変遷したのだろう? 成功体験を重ねたからだ。成功体験は自家製の麻薬である。あれは中学生の頃。菊花賞にて、1位ナリタブライアンから、2位ヤシマソブリン、3位エアダブリン、4位スターマン、5位ウインドフィールズ、という4点に予想を絞ったことを、今でも「全部当てたった。おほほほ」と思い出す(無論、ナリタブライアンーヤシマソブリン以外の馬券は無効)。私のような単純な人間は、一度の成功体験を、燦然と輝く思い出として保存している。

※このレースの1番人気はナリタブライアン、2番人気はヤシマソブリン、3番人気はエアダブリン、4番人気はスターマン、5番人気はウインドフィールズ。何てことはない。人気順にゴールした稀有なレースだっただけである。

とまあ、これは成功体験の暗部であるが、成功体験を正しく自信に変えるには、自らの意志で、狙い通りにことを遂行する必要がある。絶対に成功させなければいけない。運の要素があるものはダメだ。というわけで、一番結果が出やすいのは、自分を変化させることだろう。たとえば化粧である。たとえばファッションである。しかしながら、肉体を飾る行為は、成功と失敗がわかりにくい。ダイエットはリバウンドの蓋然性が高い。そこで、筋トレ。

しかるべき方法で筋肉に負荷をかけ、しかるべき栄養素を摂取し、休養する。これを続ける。すると、筋肉量が増えていく。これはあくまで、成功体験を重ねることを目的としている。筋肉ではなく、自信をつけたいのだから。だから別に、人に見せなくてもよい。というかむしろ、隠れている方が都合がよいような気がする。古来より、能ある鷹は爪を隠し、スーパーマンは、新聞記者であったわけだし。

ただし、自信がついたらついたで、次に問題になるのは、驕り高ぶり、という態度だったりする。目的と手段が入れ替わることは間々ある。勝てる(目的)からスロットを打っていた(手段)はずなのに、スロットを打つことが目的になってしまうというような。筋トレに興じるあまり、周りが見えなくなってしまうのは、これが原因か、と。

適度な自信と適度な懐疑心を備えるにはどうすればいいか? バランスの取れた人間になるためには? 目下、思案中。心にも、筋トレが必要なのだろうか。
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