思慮の浅さ。ずばり、これが私の欠点である。思慮? いや、これは幾分回りくどい表現であり、端的に言えば阿呆ということだ。ここで試みに、私の頭の悪さは誰のせいだろうか? ということを考えてみたい。

両親? 環境? 運? 自分? これはただの犯人探しではない。誰のせいにすれば楽になれるかという思考実験である。たとえば親のせいだとする。親が悪いのだから、親が責任を持って、頭を良くする努力をしなければいけない。頼むよ、オトン、オカン。ただ、その場合、たとえ頭が良くなったとしても、自分の功績とは認められない。親にその気がない場合も、あるいは努力の方向性を間違えても、そこで試合終了である。次に、環境が悪いパターン。治安が悪く、近隣住民は軒並みガラが悪く、あるいは阿呆、悪漢、痴れ者しかおらず、何をしようとしても、邪魔が入る。頭の悪さがそのことに起因するとすれば、引っ越すしかないだろう。運はどうだろう? 私の見る限り、運気を上げる式の行動やパワーストーンやお守りは、効く人を選ぶらしい。不公平だ! しかし、それが運なのだ。

こう考えてみると、私の頭が悪いのは、自分のせいだ。そう仮定するのが、最も自然かつ建設的な気がする。仕事もせず、9年も文章を書き続けて、何の進展もないなんて、正気の沙汰ではない。そもそも、社会を飛び出した契機、小説を書いて生きていこうなどという(狂気の)動機、が、そのアホさ加減はすべて、自分の責任である。阿呆を治療することは多分できない。ただ、自分が阿呆なのは、ただ、自分が阿呆だっただけだという結論は、何かを恨まずに済むだけ、気が楽である。

人のせいには幾らでもできる。政府が悪い。アメリカが悪い。中国が悪い。韓国が悪い。北朝鮮が悪い。東京が悪い。大阪が悪い。男が悪い。女が悪い。犬が悪い。猫が悪い。麺が悪い。米が悪い。パンが悪い。テレビが悪い。インターネットが悪い。パチンコが悪い。酒が悪い。大人が悪い。子供が悪い。伝統が悪い。革新が悪い。が、悪いものを特定することと、自分が善きものになることの間には何光年もの隔たりがあるように思う。

寿
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