37歳で死ぬと思っていた。なぜその年齢かといえば、10代の頃、もっとも強くシンパシーを覚えた二人の作家が、その年齢でこの世を去ったからだ。宮沢賢治。フィンセント・ファン・ゴッホ。二人の経歴を、ためつすがめつ見つめているうちに、あることに気づいたのだった。え? この二人、同い年で亡くなってね? そのとき、胸に去来したのは、じゃあ、オレも、作家としてその歳で死ぬんじゃね? ということだ。

……馬鹿も休み休み言え。と37歳の私は思う。

また、27歳のとき、こう思った。オレが10年間毎日文章を書き続けたら、37歳には相当の腕前になっているはずだ。文学賞の一つや二つ、まあ、何とかなるべ、と。

……馬鹿も休み休み言え。と37歳の私は思う。

なぜ、過去の自分は、未来の自分に依存してしまったのだろうか? 

私が仕事を辞めたのは2008年のことで、2008年といえば、バラク・オバマが共和党のジョン・マケインに圧勝し、USA(ユナイテッドステイツオブアメーリカ)初の黒人大統領になった年であり、日本でいえば、エド・はるみがグーグー言っていた年である。

丸九年が経過して、アメリカでは、ドナルド・トランプが、大統領として世界の中のアメリカの立ち位置を改変しつつあり、日本ではにゃんこスターが、奇しくもエド・はるみと同じ指を軸としたダンスで一夜の栄華を極めた年として、2017年は記憶されるだろう(どうだろう?)。

37歳にして、書くことが出てこなくなった理由の一つには、当時の思いがあるのかもしれない。10代の思い、20代の思い。その思いが蓋となり、出口をふさいでいるのだ。

深呼吸~

10代の自分へ、37歳では死ぬ兆候はありません。

20代の自分へ、10年ではそこまで文章は上達しません。

現実を見つめよう。

寿
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