かつて村上龍は、キューバのミュージシャンを引き合いに出して、「一日八時間の練習を何年も続けることができる。それが才能で、それ以外、才能というものは存在しない」ということを書いていたが、何かモチベーションがあって、それを燃料に走り続けることは、その人間にとって別に苦ではない。ごく自然な行為である。が、モチベーションがなくなってから、ガス欠状態で、その作業を続けることは、可能なのか? むしろ、それこそが、努力ではないか? 最近そんなことを考える。

というのも、夏に小説を書き上げたあと、どうにも文章が出てこなくなってしまった。というよりも、何を書けばいいかわからないという状態が、続いている。

敗色濃厚か……。

負けを認めるのはつらい。たぶん、誰だってつらい。が、負けを認めずに、なかったことにする。または、別の何かに切り替える。そこは無限ループ、無間地獄の入り口である。何かが起きるたびに、そんなことはなかったと否認する。そして、同じことをくりかえす。負けを認めるのはつらい。でも、負けを認めずに、前に進むことはできない。どうすればいい?

思い出すのは、香川真司が、不遇を過ごしていたときの発言である。

 「プラス思考に考えるしかなかった。」

追い詰められて、初めて発動するポジティブがある。逆に言えば、楽な環境で利権を貪っているがゆえに、マイナス思考になっている可能性がある。

ともあれ、きちんと試合を成立させなければいけない。負け試合であっても、勝ち試合であっても。

「勝利からではなく、敗北からしか学べない」そう言ったのは、球聖ボビー・ジョーンズだった。もし、このゲームが敗色濃厚だとしても、最後まで走り続けたい。

寿
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