つまらない映画を見るとついつい頭に血が上る。なぜ腹が立つか? たぶん、「物語」というものが、ある種の公共物だからだと思う。物語である時点で、まったくの他人のものではない。それを見ている自分も、加担してしまっているのだ。だからこそ、つまらない映画は、自分を、人類を冒涜しているように感じてしまう。つまらないを通りこすと、どうでもいいので感想が出ない。早く忘れたいとすら思わない。すでにどこか、過去の領域に消えている。つまらなすぎる映画は、物語ではなく、赤の他人、どうでもいいのだ。実際。

ことほどさように、つまらない映画から受ける反発は、有益なものでもある。なりたくない手本として、美に届かなかった夢の跡として。私だったらこうやるな、というインスピレーションの泉として。

あざっす。

寿