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パチ屋通いの童貞と、ホスト狂いの処女の物語♯15


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 スマホが震えていた。少し迷った後で取ることにした。
「もしもし」
「唯? 今どこ?」ジュンヤくんは言った。
「……」
「どした?」
「ごめんなさい。あなたとはもう会えません」
「は? 何言ってんの? 何があった? 男でもできた?」
「ううん」わたしは首を横に振る。
「どした?」
「どうして男女関係にお金が必要なの?」
「そんなの必要ないよ」ジュンヤくんは優しい声で言った。「唯に会いたい。今から会えない?」
「ううん。もう会わない。もうウソは嫌なの。ごめんさい」
 電話の向こうで舌打ちが聞こえた。わたしはそのままスマホの電源を切った。
 ジュンヤくんのことを嫌いになったわけじゃない。ジュンヤくんを求めてしまう自分が嫌い。セックスが痛かったというよりも、自分がついたウソの方が痛い。肉体の痛みは消えても、その痛みは消えないで残る。 

 ここ数日で思ったことがある。やっぱり、素直が一番いいということ。素直になれる自分でいたいということ。

 わたしは明らかにニックに肩入れをしている。間違いなくそう。弟のように感じているのだろうか? それもある。でも、それだけではないような感じがする。それはたぶん、ニックが素直な人間だからだ。

 でも、素直と素直がぶつかったらどうなるんだろう? 素直とはまっすぐな本音のことであり、人間の一番本質的な部分だ。そこが対立したら、どうなるのだろう? 

「我が神が絶対なり」
「否。我が神こそ絶対なり」

 そっか。うじうじとかウダウダとかウソは、戦争や対立を回避する方便なのかもしれない。なら、わたしの不快感は、戦争の要因でもあるのか。うーん。

 コンビニで第三のビールを数本買って戻ると、ふたりは喧嘩をしていた。おいおいおい、何やってんだよ? あたふたしながら、駆け寄った。

 

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「あんた、きたねーんだよ。くせーし」とおれは言った。

「それも戦略のひとつだろ」親父は言う。

「何だ、相撲かよ」とニーナは言った。「仲良いな、おい。ほら酒だよ。クソジジイ」

「かたじけねえ」

「つか、あんたさあ、こいつの父親ってわりには老けすぎてねえか? 何歳なの、いったい?」

「忘れた」

「母ちゃんと何歳差なの?」と聞いてみる。

「二十くらい離れてた気がする」

「マジでクソジジイじゃねえか」ニーナは言った。「路上生活始めて何年になんの?」

「おまえは何歳になるんだ?」

「十七歳」と答える。

「じゃあ十六周年だな」

「その間一切仕事してねえの?」ニーナが聞く。

「うん」

「マジで? どうやって生活すんの?」

「そんなん言わせんなよ。恥ずかしい」
「……恥なんてあんのかよ?」
「あるっちゃある。ないっちゃない」

「あのさあ」おれは言った。「小学校だかで習うじゃん。『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』みたいな憲法。ホームレスだって申請すれば国が保護してくれるんじゃないの?」

「やだよ、そんなん、めんどくせえ。だいたい権利を主張するやつに限って義務や責任は負わないだろ。おれはそういうの嫌いなんだ」

「えらいじゃんジジイ」ニーナは言う。

「だろ」

「だろ、じゃねえ」おれは言う。「なあ、何を考えて、何を思って、ずっと地べたに座ってんだ?」

「別に何も考えてない。あのなあ、おまえら十代が思ってるほど時間って長くないんだぞ。気づくと一日が終わり、気づくと一日が始まってる。延々その繰り返しだ。そもそも一日とか一週間とか一ヶ月みたいな区切りがおれにはない。あるのは季節感くらいだな」

「それ楽しいの?」そう聞いた。

「楽しいって何だ?」

「きもちいいとか、うれしいとか、感情が溢れるっていうか」

「性器いじればきもちいい。酒を飲めればハッピー。感情なんてそんなもんだろ」

「……」

「あのなあ、ホームレスとかって一括りにしてるけど、おれらの世界はおれらの世界で、おまえらの想像以上に健全で文化的で、必然と歴史に彩られた奥行きがあるんだぞ。一緒くたにすんな」

「どういうこと?」

「色んなやつがいるってこと。第一に、おれは狩猟採集タイプの路上生活者で、つまりは狩人(ハンター)だ。当然、個人主義だ」何かしらのプロが、自分の仕事を誇るみたいな言い方で父親は言った。

「何、それ?」頭おかしいのか?

「路上で寝起きしてる人間には、いくつか類型的なタイプがある。この国の場合、ここまで堕ちるには、社会のふるいから落ちて、家庭のふるいからも落ちなきゃいけない。それは実際簡単なことじゃない。いや、簡単すぎるがゆえに難しいっていう感じかな。だって親の力を借りようと思えば何とかなる。国の力を借りようと思えば何とかなる。民間団体の力を借りようと思えば何とかなる。それともなければ、自殺するか。そのどれをも、あえて選ばないんだぞ」

 父親は、ニーナが買ってきてくれたビールを飲み干して、新しい缶を開けた。

「てなわけで、まず、ふたつのグループに別れるわけだ。積極的に自ら進んでこの世界に堕ちてきたやつと、どうしようもなくて堕ちてくるやつ。九割九分後者だな。前者、おれみたいなエリートはほとんどいない。このあたりは社会と一緒だろうな。そこで非エリートが取る手段も、社会と同じだ。授業で習ったかどうかは知らんが、乞食のなわばりのことを、古くは乞庭(コッパ)と呼んだ。あがりを安定させるためになわばりを決める、場合によっては徒党を組む。リスクヘッジってやつだ。平安の昔からそうなんだ。それから、モラルや風習、法律を無視できるかどうか、犯罪に手を染められるかどうかで、また変わってくる」

 自称エリートは、あっという間にビールを飲み干して、新しい缶を開ける。買ってやったツマミには全然手をつけない。体に悪そうな飲み方だった。

「もちろん、人間社会に溶け込めないくらいだから、路上生活者に身をやつしたって徒党を組めないやつがほとんどだ。といって犯罪も犯せない。むしろそういうやつらが主流だろうな。図式にしてみれば、小数のエリート、徒党を組む非エリート、徒党を組めない食い詰め者。そんなピラミッド」

「自分でエリートとか言ってて恥ずかしくないの?」我慢できずにおれは言った。

「自分で言わなきゃ誰も言わない。恥ずかしくもなんともない」

「まあいいや」おれはあきらめて首を振った。「で、そのエリートは何を目指してるの?」

「そりゃ、のたれ死にだろ」自称エリートは胸を張った。「男の理想、完成形。いやあ、今日は酔ったなあ。おれはそろそろ寝るから、おまえらも、ヒマだったらまた遊びに来いよ。じゃあな」

「おいおい、すげー自分勝手なおっさんだな」そう言ってニーナは苦笑した。

 父親はただのバカだった。母にそう伝えようと思う。

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 時間は深夜0時を回っていた。通行人のほとんどいない道を、わたしたちは原付のあるコンビニに向かって歩いている。

「何つうか、色々あったね」わたしが言うと、ニックは申し訳なさそうに、すいませんと言った。

「ちげーって。何ていうか、色々、思うところがあったっていうか」

「ニーナ、あの」

「ん?」

「あざっす」

「いいって。つか、何か、あんたの親父のあのあっけらかんとした感じ、ちょっとうらやましいとか思ったし」

「どこかですか?」

「よくわかんないけど、明るいっていうか。自殺したりしそうにないじゃん。女の子を襲う可能性はあるかもしんないけど」

「バカですよ。単なる。完全なる。だって、夢がのたれ死にですよ」

「でも、何か、自由よね」

「自由の代償デカすぎませんか? 狩人(ハンター)とか、バカですよ。マジで」

「まあ、楽しかったよ。さ、帰るべ。あ、ニック、帽子、メットイン入れてくれる?」

「はい」
「ありがとう」  
 カブちゃんにキーを挿し、キックを蹴り下げる。ぶおおおん、と控えめな音でエンジンが動き出す。ホームに向けて、走り出す。
 つか、腹減ったな。色々あったからかな。念入りに化粧したり、初めての服を着たり、人を捜したり、警官にからまれたり、公園に行ったり、ニックの親父にビール買ってあげたり。ああ、腹減った。ファミレスかコンビニ寄ってくか? でも、こないだも夜中にやきとり食べちまったんだよな。ここは我慢か。うーん、でも、何か食べたいなあ。このままだとヤマピー化すんぞ? うーん。


つづく
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「種まく人」ジャン=フランソワ・ミレー