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パチ屋通いの童貞と、ホスト狂いの処女の物語♯12


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 起きると夕方だった。寝たなあ。よく、寝た。汗ばんだ肌をシャワーで洗い流し、浴室の鏡に映る自分の顔を至近距離からマジマジと見た。
 目がやや腫れぼったいように思う。目の下の隈も気になる。唇はもっと厚くていいような気がする。鼻はわりとすらっとしているけれど、もう少し高くてもいい気がする。顔を見ているうちに鏡が湿気で滲んできて、シャワーを当てて、顔を見て、シャワーを当てて、とやっているうちに、バカらしくなってきてシャワーを止めた。

 髪を乾かしてリビングに戻ると、ちょうどご飯の時間だった。そのまま座ってご飯を食べる。トマトサラダと、おからの煮物と、唐揚げと、お味噌汁と、ご飯。唐揚げをつまんだ瞬間、ニックの顔を思い出した。あいつは泣いているわたしに唐揚げを渡してきたんだよな、と思うと、おかしかった。でも、笑うわけにはいかない。こんなタイミングで笑ったら、お母さんとお父さんに頭がおかしいと思われる。

 ご飯を食べ終えて部屋に戻り、ベッドの上に横になった。目を閉じたら眠れるような気がしたけれど、それはきっと気のせいで、何より食う即寝る、というのはお相撲さんの体重アップのための手段だと聞いおり、つまり、信頼と実績があるわけで、そんなの太るに決まっている。ぷにぷに腹周りをつまんで、ぞっとして飛び上がり、鏡を開いて顔を見た。さっきシャワーを浴びたのに、もう油っぽくなってる感じがした。もう一度洗顔をしに洗面台に向かう。前髪をゴムでまとめ、念入りに洗った後、化粧水を手にとって、肌になじませていく。もっとキメの細かい肌だとよかったのにな、と思う。乳液を塗る。何となく気分が乗ってきて、手を洗い、部屋に戻って鏡を開き、(ワンデイアキュビュー)ディファインを装着し、買うだけで満足して読んでなかった化粧マニュアル的な雑誌を参考に、美容液で顔をなじませ、これまた買ってから一度も使ってなかったシャネルの下地を塗っていく。化粧が下手だと言われるけれど、面倒なだけなんだ、と言いたい(信じたい)。ほら、念を入れれば、丁寧を心がければ、わたしだってそれなりにはなるんだ。マニュアルどおりにファンデーションを重ねる。ほら。よいお色。その上をパウダーで押さえる。ぽんぽん。うーん、眉毛の形が気になるなあ。抜いてしまえ。うーん。どんなもんだろう。不器用な手だなあ、まあいいか。大胆にいっちゃえ。できあがった眉毛をアイブローでコーティング、まあ、よし。アイラインを引きましょう。ぴーっと引く。……テンション上がってきた。ビューラーでマツゲを立たせ、マスカラで一本一本丁寧に塗ってく。おお、目が大きくなった感じがする。

 よし、とどめのチーク。にっこり笑う。とんとん。完璧。ふふふふふ。やべえ、この雑誌、すげえかも。服は何がいいかな、おお、これだ。買ってから使ってないの、こんなにあるじゃんか。これと、これ、あ、ついでにマニュキュアも塗ってしまえ、おまけにペデュキュアもつけちゃおう。くっせえ。換気しないと。

 ちょっと大きめの鏡を押入れから引っ張り出してきて、その前に立つ。前髪のゴムを外す。うわあ、髪の色、きっついなあ。根本の黒さが致命傷みたいに見える。ああ。帽子かぶりゃいっか。どっかにあったはず、一度もかぶってなかった夏っぽいパナマっぽいハット。どうだ?


 鏡の中に、気合の入ったわたしがいた。まるで別人みたいだ。せっかくだから、誰かに会わない手はないぞ、と思う。そうだ、ニックの家に行ってみよう。一番新しい香水を手首と首に振り、新品のパンプスを履いて外に出た。エレベーターに乗って、8、9階に到着。ピンポーンと鳴らす。

「はい」と言って、ニック登場。

「よ」気合入れて化粧してみたんだぞ、気づくか、このやろう、というのを込めた、よ、だった。

「こんばんは」とニックは言った。仕事上のつきあいみたいな口ぶりだった。ノリの悪い男だ。

「今、大丈夫? 上がってもいい?」

「いいですけど」

「おじゃまします」と言ってパンプスを脱いだ。「お母さんは? いないの?」

「そうなんですよ、しばらくひとりなんです」

「どうしたの?」

「ちょっと入院してて」

「大丈夫なの?」

「たぶん」

 リビングに通されて、座る。何だかニックの顔が浮かない。

「あんた、何か、うちに言うことあるんじゃない?」と言う。

「何の話ですか?」

「ふーん、白を切るつもりなんだ。で、アイスは美味かったの?」

「正直、わかんなかったです」

「うちも、したけどね」そう言って、わたしは胸を張った。何に対抗しているのかよくわからなかった。「てか、どうした?」

「いや」

「元気ねーじゃん。童貞捨てたんだろ? もっと喜ぶ感じじゃねーの」うちに気を遣ってんのか? 「つうかさ、あんた、うちのこと大切な人とか、大好きですとか言っといて、どうしてうちの友だちとそんなことしたん」

「すいません」

「いや、あやまられても困るけど、ちょっとひどくね」

「そうですよね」

「どうしたの? 辛気くさい顔して」

「色々ありまして」

「そんなんみんな色々あるよ」

「そうなのかな」

「よし。話してみ。聞くから。年上の先輩が聞いてやるから話してみろよ」言いながら、年上の先輩って何だよ、と思う。右に右折するか、オイ? 自分のテンションの高さが意味不明だった。

「いや、いいですよ。個人的なことだし」

「何だよそれ。言えよ」


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「……」言えよと言われても。

「じゃあ、わかった。うちも個人的な悩みを言う。うちが言ったらあんたも言う。どう?」

 何だか今日のニーナはやたら強引だ。いつもと顔の感じも違う。メガネじゃないし、服もジャージじゃない。スカートだし、何かアクセサリーとかつけてるし、帽子までかぶってる。香りも違う。それにバカみたいに明るい。セックスしたから? 

「悩みなんてさ」ニーナは続ける。「口に出した瞬間、その悩み成分の何割かは空気に溶けるもんなんだよ。自分の中に溜めて絶対化するんじゃなくて、外に出して相対化するんだって。そんなことを誰かが言ってたよ。いいから、うちが言ったら言いなよ」

「嫌ですよ」

「何で?」

「だって、本当に個人的なことだし、自分でもその悩みのオオモトが何なのか、わからないんです」

「だから言うんじゃんか。バカ……」

 ニーナはなぜか、言葉につまった。

「どうしたんですか?」

「よくわかんないけど、おまえ見てると苦しくなってくる」

「そういえば、こないだのことは解決したんですか?」

「何、こないだって?」

「カブの上で泣いてましたよね」

「クハッ、あんたに唐揚げ弁当渡されたとき? ハハ。ほぼ、ね」

「問題って、どうやったら解決できるんですかね」

「だから言うんだって。口に出すの。そしたら言霊が出てきて具現化されるでしょ。ボワンって。具現化できたら解決方法が見つかりやすいでしょ」

「意味わかんないです、つかニーナさん、麦茶飲みます?」

「うん。ちょうだい」

 こぽこぽ、こぽこぽ、麦茶がグラスに吸い込まれる。

「どうぞ」

「ありがとう」

 ごくごくとニーナが麦茶を飲む。おれも麦茶を飲む。

「あの、ニーナさん、」

「あのさ、話の腰を折るようでなんだけど、ニーナっていう語感にさん合わないからニーナにしてくんない? ニックくんって変でしょ? つか、別にタメ語でいいし」

「うん。わかった。っていきなりは無理ですよ。さんは取りますけど。ええと、何だっけ。ニーナの個人的な悩みって、どういうものなんですか」

「よしよし。やっと食いついてきたね。まあ悩みっていうか、解決しつつあるんだけど」

「じゃあ悩みじゃないじゃないですか」

「でも、ちょっと前までずっと悩んでたもん」

「そのちょっと前ってときは、人に相談したんですか?」

「できなかった」

「おれと一緒じゃないですか」

「だから、言った方が楽だったなあって。あのね、経験者としてうちは言ってるわけ。いい?」

「はあ」

「とにかく、まあ、何だ。彼氏と、別れることにした」

「どうしてですか?」

「それも言わなくちゃダメなの?」

「言いたくないなら言わなくていいですけど」

「愛が冷めた、以上。さ、うち言ったよ、あんたの番」

「母ちゃんが、乳がんで入院しているんです」

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「……もしかして重い話?」

「いや、母ちゃんの病気はまず治るって先生が言ってたんですけど、昨日、おれには父がいないって言ったじゃないですか」

「うん」

「おれの父ちゃん、生きてるらしいんです」

「生きてるってどこで?」

「よくわかんないんですけど、路上で……」

つづく
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「シンデレラ」ジョン=エヴァレット・ミレイ

♯13は8月21日午前11時にアップします。寿