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パチ屋通いの童貞と、ホスト狂いの処女の物語♯9


小説の途中ですけど、まえがきを



         29


 しゃらくせえと心が喚く。街道は甘ちゃんたちの群れを乗せ、液状化現象にもめげず耐えている。

 セックスをすると世界が変わって見えるとか言うけど、そんなことは決してなかった。ただ、だ。精神的余裕? そんなのはあるかもしれない。さっきまでの自分を軽く見下せる、この感覚。これこそが経験者だけが得られる経験値なのだ。うん……たぶん、そうだ……。どうしてだろう? 胸の奥がズキンと痛んだ。

 湿気で肌がべとべとする。海からの臭いがぼんやりとする。雨が降ってくるんだろうな、と思う。その予感は当たるような気がした。こういう風にスロットに負けることも、くっきりとした予感としてあったなら、こんなに負けが続くこともなかったのにな、と思う。

 水滴がぽつ、と頬に当たる。ぽつ、ぽつ、ぽつん、ぽつん、雨がざーざー落ちてきた。

「やっぱりね」

 予想が的中した嬉しさはまるでなかった。雨粒がヘルメットに当たる感触が、なぜか神経に障った。急いで帰ろうと思っても、原チャリが出せるスピードなんて知れている。ああ、そうだよ。おれの原チャリは全然速くないさ。

 びーん。

 駐輪場の29番に原チャリを置いた。おれの体は濡れていた。おれの原チャリも濡れていた。でも、ふたつ隣のカブはもっと濡れていた。

 ニーナは今、どこにいるんだろう? 


          27


 黄泉の国から戻ってきたみたいだ。

 ジュンヤくんに対する気持ちを筆頭にして、前世の記憶が蘇った人のようにわたしは覚めていた。覚醒といっても良かった。知恵の樹の実を食べたイヴの気分。イブA錠を前にした頭痛の気分。

 実際、もしかするともしかするのかもしれない。痛いだけだったセックスが、気持ち良く快いものに変質するのかもしれない。でも、おまえはダメだ。おまえだけは許すことができない。ウソをついてセックスをしたおまえだけは。おまえ? 違う。わたしだ。でも違う。ウソなんてついてない。わたしは、エッチがしたいと言っただけだ。

 週六で働け? いやだ。そんなのいやだ。もういらない、ブランド品も、ジュンヤくんもいらない。

 処女膜は破られた。今はもう、処女捨てなきゃ、という強迫観念はない。だって捨てた。処女は捨てた。それは捨てるべきものだから捨てたのだ。でも、わたしはそれを捨てたはずなのに、どうして同じような何かを抱きかかえているんだろう? いつの間に拾ったんだろう? それは処女という強迫観念よりも重く、そして単純ではなさそうだった。

 スマートフォンがぶーぶー鳴っている。ジュンヤくんだ。ずいぶんとひどい態度で帰ってきたからな。お金の当てが外れてあせってるのかもしれない。そのせいでジュンヤくんは殺されちゃうのかもしれない。でも、わたしによりかからないで欲しい、お願いだから。もう、さっきまでのわたしはいないのだから。あなたが解き放ったのだから。電話は取らない。もう取らない。無視してるなんて思わないで欲しい。無視なんかしてない。ちゃんと見てる。その上で、拒否をしてる。ジュンヤくんありがとう。おかげで気づきました。

 唯、愛してるよ。ジュンヤくんはそう言った。会うたびにそう言った。好きだった。愛していると言われて嬉しかった。だから自分も愛しているのだと思っていた。彼の店にも行った。というか通った。飲みたくもない酒を、自分が飲むわけでもない酒を注文した。喜ぶ顔が見たかったから。ジュンヤくんが言うから、店に行かなくなった。その分、お金を手渡した。感謝の言葉が欲しかったから。

 でも今は、愛なんか、言葉なんかいらない。温度が欲しい。今のわたしにはエネルギーが足りない。セックスってもっと温かいものだと思ってたのにな。お腹が減るだけだ。

 何か食べよう。


          29 


 シャワーを浴びて、髪を乾かして、リビングのいつもの席に座ったが、テレビをつけたりパソコンを開く気になれなかった。食欲もなかった。だから音楽をかけた。母がCDコンポに入れっぱなしの能天気な八十年代ポップスが流れだした。音量を調節しようとツマミに触れると27だった。29、27、29、おれはツマミを交互にくるくる回した。27、29、27、29、27、バカか? おれは。 

 びくん、とした。家の電話が鳴ったのだった。音量のツマミをゼロにして、電話に出た。

「もしもし」

「わたしだ」

「はい?」

「だから、わたしだ」

「母ちゃん?」

「バレたか。今、病院にいるんだけど」

「え?」

「ちょっと入院することになったから、家のことはよろしく」

「はあ?」

「とにかくそういうことだから」

「ちょっと待てよ。病院ってどこ? つうか、入院? 何の病気なの?」

「だから、わたしのチチがキトクなわけ。手紙読んでないの?」

「は? 意味わかんねえ」

「チチ、ガーン」

「は?」

「乳がん。まあ、手術するんだけど、まず治るって先生も言ってるし、おっぱいもなくなるわけじゃないって言うし、見舞いとか別にいいし、そういうことだから。じゃ」

「ちょっと待てって」

「大丈夫。保険ちゃんと下りるから。心配無用、じゃ」

 電話が切れた。は? ふざけんな、自分の命を何だと思ってるんだ? おれの母親だぞ? パソコンを起動させ、乳がんについて調べてみる。確かに初期なら治りやすいという。けれど乳がんは、肝臓などに転移しやすいともいう。西側諸国の女性の10%が人生のうちにかかり、また、患者の20%くらいが死ぬともある。ただし、日本人女性の羅患率は3~4%程度らしい。死亡率を30%とするサイトもある。何がなんだかよくわからないが、要するに母ちゃんは、20~30%の死の招待券を受け取ったということじゃないか? もちろん、それはただ数字の話だ。病状の段階によっても、患者の年齢によっても変わってくるんだろう。

 ただ、30%とは、スロットの世界ではアツイとされる確率であり、母ちゃんはその確率で死がヒットする病気にかかっているのだ。
 ……涙が出てきた。


          27


 食べても食べても腹は満たなかった。眠気も訪れそうになかった。家の人はみんな眠っていた。こんなとき、取れる選択肢はひとつしかない。

 外に出た。

 雨はもう、ほとんど降っていない。わたしはびしょびしょのカブのサドルをタオルで拭いて、ついでに、二つ隣に停まっている銀色のZXのサドルも拭いておいた。キックを蹴飛ばしエンジンをかけた。サドルに座るとじくじく痛んだ。何だかお腹も痛かった。いつもよりスピードを出した。といっても、どんなに頑張っても五十五キロしか出ないのだけど。

 到着。ベルを鳴らす。何度も鳴らす。ヤマピーは不機嫌な顔でドアを開ける。

「寝てたのに」とヤマピーは言った。「今何時よ?」

「いいだろ、どうせ予定ないんだから」

「予定の有無じゃなくて、生活のリズムが狂うだろ」

「うるせえ。おじゃまします」

 相変わらず汚い部屋だった。いつもは全然気にならないのに、なぜか気になった。

「で、どうした? セックス、できた?」ヤマピーは言った。

「うん」

「良かったじゃん。きもちかった? んなわけないか」

「痛かった」

「だろうね。まあ、すぐにきもちくなるよ」

「そんなもん?」

「うん。する人にもよるけど」

 わたしは冷蔵庫を開けて、缶チューハイを取った。

「もらうよ」

「唯、うちにも取って」

「はい」

 ぷしゅうと開けて、ぐびと飲んだ。飲まないとやってられなかった。どうしてやってられないか、その理由がさっぱりわからないところが、このやってられない感の最大の理由だった。

「それよかニック、唯のことが好きだってよ」

「うん」

「でもごめん。ニックとやっちゃった」

「は?」

「我慢できなくて」

「は?」
「ごめんね」
「マジで言ってんの? 信じらんない。は? 何、うちがつれてきた男に手出してんの? つうか、何なのおまえ。このクソヤリマンビッチが。殺すぞ?」

「あんたがニックのことほっぽって、彼氏のとこにホイホイ行ったんじゃん。で、何? セックスまでしといて、ニックに鞍替えすんの? おまえだってヤリマンじゃんか」

 イタイイタイイタイ。お腹が痛い。言い返すことができない。

「つうかさ、唯、あんた、ニックのこと好きだったん」

「わかんないけど、何かむかつく……」

 一気にチューハイを飲み干して、冷蔵庫を開けた。

 何でわたしは唯一の幼なじみと喧嘩してるんだろう? 漏れ出る冷気を浴びながら、わたしは泣いた。


つづく
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「種まく人」ジャン=フランソワ・ミレー