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パチ屋通いの童貞と、ホスト狂いの処女の物語♯5


          29


 おれは今、夢を見ている。自分でもそれがわかる。夢だというのにまったく夢がない。ニーナの姿が出てくることもなく、エロくもなく、何かを成し遂げるというのでもなく。ただ、問いがあり、それについて考えている。

「おれはなぜ、ニーナのことが好きなのか?」

 こんな夢なら覚めてしまえばいいのに、起きることができない。ぼんやりと、漂う雲のように、おれは考えている。夢を見ている。別に気持ちよくも悪くもない。どうでもいいと言ってもいい。

 どうしてニーナのことが好きなんだろう?

 おれは、誰なんだろう? 


          *


「続、主人公について」


 芸術(ART)とは、自然(NATURE)の対義語、つまり人工の意であり、噛み砕いて言えば、個人の意匠がこらされた作品のことであり、通常、社会通念とは馴染まない。人間は社会的な動物であり、社会とは、個に妥協と迎合を迫るシステムである。だから芸術家は、通常とされるような状態と対峙する。

 十代の悩みは芸術家のありかたと似ている。主人公とは何か? 或るひとつの孤独な魂のことである。

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 目が覚めた。立ち上がり、カーテンを開けた。暗雲が垂れ込めていた。梅雨が戻ってきたのだ。

 気づくと窓の外の風景が精神に同期されている。もしくはおれの精神が、空に反映されている。沈鬱な色の心。虚ろな空。そこから悲しみの涙が落ちてくる。しとしと。と。

 顔を洗って食卓に戻ると、おにぎりと一緒に手紙があった。

「チチキトク オソクナル 母」

 はあ? 

 意味わからん。父? 母ちゃんの父ちゃんはすでに他界している。おれの、父? 

 よくわからないので母ちゃんの携帯に電話をかけた。つながらなかった。

 しかたなく、おにぎりを食べた。梅、昆布、おかか。ぺろりと食べて、さて考える。

 父危篤? それとも、何かの暗号なのだろうか? 文節が違うのだろうか。ちち、きとく、でなくて、「ち、ちきとく」なのか。「ちちき、とく」なのか、「ちちきと、く」なのか。意味不明。「お、そくなる」「おそ、くなる」「おそくな、る」意味不明。

 チャイムが鳴った。

「はい」と言ってドアを開けると、ニーナが立っていた。「ちょっと、やべーことが発覚した」おれが驚く前にニーナはそう言い切った。

「どうしたんすか?」

「うちの彼氏、インポだった」

「だから?」

「だから、じゃなくて、どうすりゃいい?」

「病院行ったらいいんじゃないですか」

「え? インポって病気なの?」

「病気の一種なんじゃないですか。よくわかんないですけど」

「マジか」

「……」

「つうかおまえ、暗くね? どうした?」

「おれもう、唯さんと、会いたくないです」

「はあ?」

「すいません」

 ドアを閉めた後で、猛烈に後悔した。小さな穴の向こうでニーナは目を数回パチクリとさせた後、おれの家のドアを睨(にら)むと、エレベーターの中に消えていった。


          *


「続、ニーナについて」


 白取唯の夢は映画女優になることだった。

 今でも密かに思っている。美しい衣装を着て、誰もがうらやむ大恋愛や、手に汗握る大冒険をする自分を、いつか大きなスクリーンで見るのだ、と。それが果たせないことも知っている。キャバクラに銀髪の紳士が現れて、君をスターにしてあげようなんて話がないことは、わかりきっている。

 このままキャバクラで働き続けることはできない。それも知っている。来年には二十歳になる。わたしを覆う質感は変質していく。良い方向ではない。悪い方に。わたしの価値も、そう。それでも週三以上、仕事を増やしたいとは思わない。いつも金に困っているが、金を稼いでも、どうせ使ってしまうだろうはわかりきっている。見えないふりをしているが、ジュンヤくんがわたしを見ていないことも、何となくわかっている。

 わたしに先なんてない。というか、そもそも道があったのかもどうかもわからない。それでも、わたしは十九歳なのだから、ここまで生きてきたのだから、道はきっとあったのだ。あの。もしもし。わたしの十九年、それ、返してくれませんか? こんなに茫漠(ぼうばく)な、吐き気がするほど茫漠な、先細りで、つまらない、くだらない人生が、人類の歴史にかつてあったとは思えない。それでも自分には何かがあるという、希望というか願望みたいなのが捨てられない。

 ブランド品を作った人を憎む。あんなにキラキラしたものを売る人を憎む。映画みたいにピカピカ輝くものを発明した人を憎む。わたしは光に飛び込む小さな虫だ。虫だから、光るものに引き寄せられてしまうのだ。私は自分という虫を憎む。ふざけんな。どうして私は虫なんだ。光に惹かれるんだ。もっと別のものがあるのに。ウソ。ほんとは憎めない。何も憎めない。悪いのはわたしなのだ。わたしは虫という存在を見下して、それを自分に仮託(かたく)して、それで自分を卑下(ひげ)する振りをして、自分を引き上げようとしている。最低だ。

 お金持ちがうらやましい。もったいないなんて思わずに、何の迷いもなく、キラキラを自分に身につけ引き寄せて、生きていければいいのに。若い子がうらやましい。自分より若いだけで、うらやましい。わたしの年齢からの引き算。わたしにはその数字だけの猶予がない。

 小さい頃、「19Memories」という歌を聴いて、おばさんの歌だと思った。自分が十九歳になるなんて想像できなかった。でも、自分がその年になってみて、夜の仕事をはじめて、それでもあの頃と何も変わってなくて、本当にただ年を取っただけで、ただ汚れてしまっただけで、何かそんな気がして、処女なんて、清純じゃなくて汚らわしさの象徴みたいで。でも、それを捨てるのが怖い気持ちもあるんだ。タチが悪い。タチ悪いにも程がある。

 処女を不落の城に、童貞を新兵に見立てるたとえがあったけど、それはたぶん男子の願望だ。もしくは買いかぶりすぎだ。ふざけんな。女子は城じゃない。港でもない。ほら、すぐ、他の何かを貶しだす。わたしは小さい。狭い。でも、絶対。なんだ。じゃあ、女子って何だ? わたしは何だ? 虫だ。同じところをぐるぐる回る触角の取れた虫だ。ほら、すぐこうやって他のものに責任を…… 
 

 そう、ニーナもまた、主人公なのだ。


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 むかつく。むかつく。むかつくむかつく。何なの、あいつ。昨日は「大切な人」とかなんとか言ってたくせに、「おれもう、唯さんと、会いたくないっす」? 何なの? マジで。ふざけんなよ、マジで、ぶっころすぞ。

 ちぇ、ちぇ、ちぇ、何回舌打ちをしても、収まらない。イライライライライライラ。ヤバい。収まらない。やっぱりもう一回行こう。部屋を出て、エレベーターまで歩いて、ボタン押して、待って、乗って、8、9階、降りた。チャイムを押した。あいつが出てきた。

「どうしたんですか」

「どうしたじゃねえ。入るよ」

「ちょっと」

 ずけずけ入って、リビングの椅子にでん、と座り、「つうか、どういうことだよ?」と言った。年下の男はため息交じりにわたしの前に座り、「どういうことって?」と言う。

「うちと会いたくないとかってやつ」

「だって唯さん、彼氏、いるんでしょ」

「おまえさ、うちのことマジで好きなの?」

「……」

「どうして?」

「どうしてって、何がですか」

「どうしてうちのことを好きになったりするの? どういうシステムなの?」

「わかんないですよ。じゃあ、唯さんはどうして彼氏のことが好きなんですか?」

「かっこいいから?」

「何で疑問形なんですか?」

「そう言われると、困る」

「いや、あなたが言ったんじゃないですか」

「ああ、そうか」そういうものか……。

「麦茶、飲みます?」

「お願い」

 こぽこぽ注がれた麦茶をごくごく飲んで、「難しいな」と言った。

「難しいすね」十七歳の少年はうなずく。

「なあ、あんたのこと、何て呼んだらいい?」

「何てって、何でもいいですよ」

「じゃあ、あおびょうたんでいい? 年下の男とか、十七歳の少年とか、まぎらわしいからさ」

「何の話ですか?」

「で、いいの? あおびょうたん」

「何すか? アオビョウタンって」

 スマホを取り出して、ピピピと辞書を出して、あおびょうたんに手渡した。

「未熟な青い瓢箪。転じて、顔色の青ざめた人をあざけっていう語。何すかこれ。悪口じゃないですか」

「いや、いい意味の方。書いてない? いい意味」

「書いてないです」

「いい意味だと思ったんだけどな。青白くて、スマートでっていう」

「だいたい語感がよくないでしょ。アオビョウタン」

「ま、いいじゃん。わたしは好きだよ。あおびょうたん」

「マジっすか?」

「あ、あれね、そっちの意味じゃなくて、ね」

 まずい、何か、顔が赤くなってしまった。「語感いいじゃん、たんたかたんみたいでリズミカルだし、あおびょうたん、うん」ダメだ。この雰囲気は。何かないか、何かないか、何か……「何、この、チチキトクって?」

「わかんないです」

「これやべえやつじゃね?」

「つうか、おれ、いないんですよ、父。母の父も亡くなってますし」

「じゃあ、何?」

「冗談じゃないですか? おれ、昨日夜帰らなかったんで、すねてるとか」

「あの後? 何してたん」

「……フラフラしてました」

「何だそれ。つか、おもろい母ちゃんだね」

「そうすかね」

 あれ。何だかいつの間にかイライラが収まっている。やった。「まあいいや、あおびょうたんくん。外に出かけないか?」

「どこに?」そう言って、あおびょうたんが青い顔で麦茶を飲んだ。

「どこにって、ヤマピーんち」

「ええっ、あそこ、汚いから嫌ですよ」

「普通あんなもんだよ。あんたんちがキレイなだけ。ね、ほら、ほら、行こう」

「雨降ってますし」

「もう止んでるって。ほら、止んでる」

「……ほんとですね」


つづく

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「種まく人」ジャン=フランソワ・ミレー