aaa

パチ屋通いの童貞と、ホスト狂いの処女の物語♯4


       29


 しゃらくせえと心が喚く。街道は甘ちゃんたちの群れを乗せ、液状化現象にもめげず耐えている。

 おれのスクーター、それから黒いカブ。夕暮れに染まったウラジオストックの上を、おれたちの50ccのマシーンは滑るように走り、ニーナの友だちの家に向かっている。これ、夢なのか? 夢ならもう、覚めないでくれないか?

「誰、こいつ?」出迎えてくれたニーナの友だちは言った。ヤマピーというあだ名の、無職の、太った女性だった。ポテトチップの袋を持ったまま、玄関に迎えにくる人間を初めて見た。第一印象→すげえ。

「こいつさ」ニーナは言う。「同じマンションに住んでるうちらのふたつ下で、高校辞めてくっそヒマっつうから、連れてきてみたんだけど」
「どうも、はじめまして」合唱を指揮するときの音楽の教師みたいに胡散臭いテンションでおれは言った。

「ふうん。ぱりぱり」ポテトチップを食べながら、ヤマピーさんは「まあ、上がんなよ」と言った。

 率直に言って汚い部屋だった。まず、入ってすぐの台所、流しのシンクの中にはカップラーメンのカップが、推定三十個くらい隙間なく敷き詰められて(というか放置されていて)、その様は、流しというよりもカップラーメンの墓場である。その横に冷蔵庫、食器棚、とあるが、その上にはポテトチップの袋が、溢れんばかりに乗っている。まるで表面張力である。乗っているというよりも耐え忍んでいるという感じだ。のみならず、そこから先、コタツ出しっぱなしのリビング兼寝室は、足の踏み場もないほどお菓子の袋が散乱している。CDプレイヤーの上にもポテトチップの袋が、テレビの上にもプリングルズの塔が三本立つ。

「まあ、座んなよ」ヤマピーさんは言う。
 ……どこに?
 立ち尽くしていると、「どこでもいいから早く座れよ」とニーナが言った。「つうかさ、ヤマピー、こいつの部屋、えれえきれいなの。びっくり」

「何? あんた、ついに処女捨てたん?」ヤマピーさんは嘲笑を孕みつつも、驚いたような声で言った。

「はあ? ちげえよ、バカ」

 ニーナは、処女?

 ……心の中で呟いていた。正直、処女にいいイメージがなかった。どうしてかはわからない。おれだってチェリー人間なわけで、だから同属嫌悪、自己嫌悪みたいなことだろうか? ニーナのことを処女と卑下した感じで言うヤマピーさんは、当然セックス経験者なんだろう。途端にヤマピーさんのことが、汚い部屋とポテトチップ中毒問題を差し引いても二割増しで見えてきた。豊満な肉体はキャパシティ(潜在能力)を示し、テカッた肌の質感も、艶かしいかも、と。

 足下のポテトチップをどかしながら、ふと思う。

「あの、ヤマピーさん、ちょっとだけ、お片づけしてもいいですか?」

「はあ?」

「あの、ちょっと、座る場所、作ろうかな、と」


          29


「何こいつ、超便利じゃね」とヤマピーさんは言った。

 一時間かけてリビングを、くっちゃべるニーナとヤマピーさんを縫うように片づけた。ご褒美にポテイトティップ好きなの一袋やるよ、とヤマピーさんは言ったが、(言い方に腹が立ったのもあるが)延々ポテトチップを食べ続けるヤマピーさんを見続けたおれに食欲はなく、つつしんで断った。とにかく何とか座れる部屋になり、ヤマピーさんに傾きつつあった心も落ち着いていた。やはり掃除は心をも整頓してくれる。改めてニーナを見ると、何かしょんぼりしているように見えた。キュンとした。

 どうやらふたりは、熱心にシモネタについて語り合っているようだった。おれの言った勃起の角度の話である。

「えー、こいつ、そんなこと言ったの?」ヤマピーさんは「がはは」と笑った。「うちの彼氏も仕事終わりとか、疲れて相手してくんないことあるよ。つうか、十代はどうか知んないけど、二十代ってそこまで性欲ないんじゃね?」

「そうなんすかねえ」とおれは言う。

「おまえいくつなの? ああ、二こ下とか言ってたっけ。十七歳? はは、うける。こいつ犯したら、あんた犯罪じゃん」

「はあ?」ニーナはヤマピーさんを睨んで言う。「ふざけんな。バカじゃねーの」

「この年になって処女ってどう思う? こいつ来年二十歳だよ。やらはたじゃん、つうかおまえもどうせ童貞だろ。ふたりで矢羅旗ってチーム作ったら? 暴走族、旗振って。ビバ! ビバ! やらはた! フー」

「ぶっころすぞ」ニーナはすごむ。すごんだ後で、おれに問いかける。「なあ、別にセックスだけが人生じゃねえよなあ」

「はあ」としか言えなかった。早くこの話、終わんないかな。

 いや、終わらないのだった。そんな話が延々続き、おれはほぼ会話に参加できず、しまいには「じゃあそろそろ帰っか」とニーナは言うのだった。


          29


 ニーナは27番に、おれは29番に愛車を戻し、一緒のエレベーターに乗り、1、2、3、4、5、6、7階で「じゃあな」と言い、ニーナは降りた。「おつかれっす」とおれは頭を下げた。

 ニーナがいなくなったあと、今日の後半のできごとを思い出しながらニマニマしていると、気づくと扉が開いていて、目の前に母ちゃんが立っていた。

「あんた何? 幼女を誘拐するぞ、みたいな顔でエレベーターに乗って。そんな顔してたら、また警察に捕まるよ。いつまでも少年法に守られてると思ってたら大間違いだよ」

「何だよ。ただ思い出し笑いしてただけだろ」

「てかあんた、ほら。これ、ゴミ、捨ててきて」

「え? こんな時間にいいのかよ?」

「いいのいいの、あんなに大きなゴミ捨て場があるんだから一晩くらい」

「めんどくせえなあ」と言いながら、エレベーターから降りることなく扉が閉まり、おれは再び下降するのだった。

 駐輪場の反対側にあるゴミ捨て場まで歩き、扉を開けて市指定のゴミ袋をふたつ投げ入れた。

「こら」怒気を孕んだ声に、後ろを振り向くと、老婆が目をギラギラ光らせて立っていた。「こんな時間にゴミを捨てたらダメでしょ」老婆は毒リンゴでもかじったかのようにまくしたてる。「あんた本当にここの住民? 何号室の誰? 言ってみなさい。言いなさい。ほら。言ってみなさい。言いなさい」

「うっせえババア」と言って、逃げ出した。

 マンション内には入れなかった。おれは走った。

 空には幾つかの星が輝いていた。何でおれ、こんなことしてるんだ?

 ああ、めんどくせえ。マジ、めんどくせー。何だよ、これ、完全に母ちゃんのせいじゃんか。

 ぶつぶつと母ちゃんに対する愚痴をこぼしながらコンビニに入り、目ぼしい雑誌を何冊か読んでから戻ってみると、マンションの前に速そうな黒い車が停まっていて、ニーナがエントランスから出てくるのが見えた。

 彼女はいつものジャージではなく、ケバケバ、モリモリと、魔女のように着飾っており、夜なのに大きなチョウチョみたいなサングラスをしていて、それでも嬉しそうな表情がわかった。彼女の目には、おれが見えていない。だからもう、堂々とジロジロと見た。車の中からこれ以上ないくらいチャラついた格好の男が出てきてニーナを出迎えた。ふたりは抱き合いキスをした。クラクラした。魂が薄くなっていくような感じがした。それはそのまま、天に昇って成層圏まで到達した。呼吸がうまくできなかった。ぶるぶると頭を振って地に戻す。ふたりはまだキスをしている。ニーナの腕が男の体にからむ。男がニーナを車の中に誘導し、車が発進し、視界から消えても、おれはそこから動けなかった。


          29

 

 原チャリを運転しながら、あらん限りに声を出す。あああああああああああああああああと、声を出す。あに濁点をつけたような音が、街道を漂い消えていく。あ゛あ゛あ゛あ゛……

 しゃらくせえと心が喚く。
 車通りはほとんどない。おれの声が聞こえる人はいない。いたとしても、たぶん妖怪か魔物の類だ。明らかにおれはネガティブな精神を抱えてウラジオストックを走っている。

 ニーナを追って道に出たはいいが、どう考えてもおれの原チャリとあの車では、基本性能が違いすぎる(おれの原チャリは宇宙一ではなかったか? なかったのだ!)。見失う前に、そもそも姿が見えなかった。それでも浦安まで来た。いつものパチ屋はもう閉まっている。死んでしまいたいと思った。

 でも、死にたくないという気持ちもあるのだった。

 ねえ、神様。ちょっとおれに当たりきつくない?

 十七年前、おれという人間が生まれました。はい。ありがとうございました。

 でもね、そっから先、おれに何か幸福ってあった? 勉強できない。運動神経も大してない。何かで表彰されたこともない。テストはよくて並。通知表に5とかAってついたことない。にもかかわらず、自分は他の人と違って特別なんじゃないかとか、今でも少し思ったりする。おれだけは死なねーとか、秘められた能力がいつか発動するとか、実は失われた王族の血筋ではないかとか。

 彼女、できたことない。女性に告白されたことは二度ほどあるけど、どっちも怖くて返事ができなかった。今思えばただのおれの勘違いって線も大いにある。あるある。高校は追い出された。仲間からは連絡が来ない。スロットは最近全然勝てない。貯金は尽きた。

 たしかにおれは、法律に違反することを幾つかした。草花を踏んだこともある、木の枝を折ったこともあるし、虫もたぶんいっぱい殺してる。

 女性のシャツからブラジャーが透けているだけで勃起するし、やらしい夢に母ちゃんが出てきたこともある。

 これはそういう諸々の、罰ですか? そうなんですか?

 つうかおれは、ニーナのことを一方的に好きなだけで、別にニーナが何をしようがニーナの勝手なのに、どうしておれはこんなにショックを受けてるんだ?
 理不尽だ!

 ああいやだ。自分がいやだ。周りもいやだ。世界がいやだ。すべてがいやだ。

 今ここで事故って、その瞬間に、悪魔みたいな人がぼわわんと現れて、「さあ、貴様、今ならもれなく悪魔になれるが、どうする?」と言われたら、その特典しだいでは、なっちまうかもしれない。新たな魔の存在の誕生だ。ふはーっはっはっはっは。

 魔界、魔物、魔王、魔、魔、魔のつくものを考えているうちに、間男という古典の授業で習った単語が出てきた。旦那のいる女性とやっちゃう男のことだった。

 よし、こうなったらおれは間族に転生してやるからな。向こうに彼氏がいても、たとえ旦那がいても、関係ねえ。おれはニーナのことが好きだし、ニーナがどう思おうが、ニーナが処女だろうが、ニーナが誰だろうが、何だろうが、おれはニーナが好きなんだ。

 力がみなぎってくるのを感じた。これがきっと間族の力だ。我、転生しせり。さっきの車は品川ナンバーだった。速そうな黒い車という手がかりだけで、見つかるとは思えない。けれど座して待つことはできない。おれは中川を越え、都内に入った。ふおおおおおおおおおおおおおおお。
 

 この夜、おれは一晩中都内を走り回り、勢い余って川崎市に突入し、何の手がかりも得られず朝になり、そして、色々なものをあきらめた。

つづく

にほんブログ村 スロットブログへ

タイトルバック
「シンデレラ」ジョン=エヴァレット・ミレイ