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パチ屋通いの童貞と、ホスト狂いの処女の物語♯2



 国道357号線。
 巨大な道路の端っこを、ちまちまビーンと進んでいる。道路をガタガタ揺らしながら、トラックがぶふぉおと進む。軽く抜かれる。車が次々やって来る。おれはすみっこで、ねばっこく走る。めげず、くさらず、負けないように、負けないように。

 左手にららぽーとが見えてきて、追い越して、信号に止まって考えた。ここはどこだ? 南船橋、か。ここから先は行ったことないな……。

 動物の臭いがする。そっか。船橋競馬場か。競馬ってしたことないな。スロットより楽しいのだろうか?

 進む、進む。何となく右折する。そして進んでいくと、幕張が見えてくる。ウラジオストックにはない高層ビル郡が並ぶ。高揚した心が叫ぶ。

「何だ、この、冒険?」

 小さい頃、近所を歩いていて、気づくと知らない場所にいて、知らない場所にいることが楽しくて、自分が輝いているような気がして、羽が生えたようにそのままずんずん迷子に突き進んで、どんと暗くなって恐怖心がむくむく現れて、わんわん泣いて、そのうちに警察に保護されて、迎えに来た母ちゃんにぶん殴られたことがあった。あのときのあの冒険は、所詮はウラジオストック圏内のできごとでしかなかったけれど、僕の中では(そうだ。あの頃は自分のことを僕と呼んでいた)大冒険で、泣いたことなんて忘れて、布団の中では勇者のように誇らしかったんだった。今は? 今、おれは輝いているか? ……

 がっつりとくすんでやがる。どうして汚れちまったんだろう? 高校を辞めたせい? 年齢のせい? スロットで負けたせい? 何のせい? なあ、あんた……

 ガタガタ揺れている、またトラックかと思ったら、揺れているのはおれだった。震えている。たぶん怖いのだった。正直、怖い。地元のヤンキーにからまれたらどうしようととか、スピード狂が突っ込んできたらどうしようとか、高揚した心がぷちんと破け、そこからなだれのように不安が襲ってきて、帰りたくなった。見上げると雲が、小さな入道雲のような雲がぽんぽん連なって、浮いていた。


          *


 ダリが描いたみたいな雲が、彼の上、湾岸地域の空に浮かんでいた。

 この記述に科学的な整合性はない。ダリの絵画とは関係なく、あの雲は空に浮かんでいる。ダリを知らない人の上にも浮かんでいる。現に、彼の頭上に浮かんでいる。でも私はダリの画に出会ってしまっているし、今彼の上に浮かぶあの雲を、他の言葉で表現はできない。「ダリが描いたみたいな雲」この表現は要するに、模写である。 

 彼の目はあの雲を見ているが、私の目はあの雲の中にダリを見ている。言葉にしてみると、不思議だ。でも、私の思いはどうあれ、彼の目にそうは映らない。それは、連なる小さな入道雲なのだ。こういうことはいくらでもある。ひとりの人間にとってそうでも、別の誰かにとってそうではないことが。

 ウィキペディアによると、ファム・ファタールは運命の女の意味とある。また、男を破滅させる魔性の女(悪女)のこととある。が、ニーナとまともに話せない彼にとって、ニーナは悪女とは言えないだろう。そもそもニーナにとって彼はエキストラのひとりに過ぎないのだ。彼は十七歳、ニーナは十九歳である。


「海だ!」

 おれは叫んでいた。もちろん地元にも海はある。でも海を見て、おれのテンションは確実に上がっていた。

 原チャリを道端に置き、公園のような場所を走り抜け、砂浜に立った。海は青くなく、どちらかというと茶色に近い。水平線と平行に、一直線に伸びるあの線はアクアライン。左手に見えるのは、たぶん小学生の頃習った京葉工業地帯。波はほとんどなく、人の姿はまばらで、老夫婦に連れられたゴールデンレトリバーが嬉しそうに駆けている。空には天空の城みたいな雲が浮かぶ。

 おれは砂浜に座り込み、茶色い砂をいじいじつまんだり、てのひらに乗せたり、ぷわっと放り投げたり、その砂が目に入って大慌てしたり、しばらく海を見て、さあ、帰るべ、と思う。

 正直、何となくの期待はしてたんだ。新たな経験地を得られるとか、知り合いができるとか、美しい女性とお近づきになるとか、そんなことをちょっとは願ってたよ。冒険ってそういうもんだろ?

 でも、実際はどうだ。海を見て、満足した自分を発見しただけだ。ああ。ガソリンを入れなきゃならない。腹も減った。スロットで負けて腹が減るなんて、何と理不尽なんだろう。今日負けたあのお金があれば、一ヶ月は飯を食えたのに!

 公園をぽつぽつ歩いて国道に戻ると、制服みたいなのを着た人がふたり、おれの原チャリの前に立って、何かを調べている風だった。

「ちょ、ちょ、ちょ、何してんすか?」

「ああ、君ね、ここ、路駐禁止だからね」

「いや、ちょっと、海見てたんすよ」

「へえ、そりゃ、風流だね。でも、そういうときは駐車場を探してからしてくださいね」

「え、つうかマジ、何なんすか、いったい」

「いや、だからね、ここ、路駐禁止なの」「知ってるでしょ。免許持ってるんだから」

「だから」とおれは食い下がる。「ちょっと海見てただけだろ。今、この広い道の隅っこに、おれのこの原チャリが置いてあって、誰が迷惑すんだよ?」

「あのね、法律っていうのがあってですね、この道はね、停め放題とかじゃないんだよね」「覚えたでしょ。赤地の斜めラインが駐車禁止。バツが駐停車禁止って。赤は警告色ですよ、ダメなんです」

「だって、こんなにたくさんスペースあるでしょ? じゃああの車は?」

「もちろん、今から登録しますよ」「でもこういうのは順番だから。私らの体がたくさんあればいいんですけどね」

「あ、あの人、今、車乗った。捕まえないんですか?」

「うちらはね、警察じゃないんですよね」

「じゃあ、おれが、何分か早くここに戻ったら捕まらなかったってこと?」

「そういう問題じゃないんですよね」「うん。そういう問題じゃない」

「あ、また。あの人、ほら乗った」

「君が私たちの足を止めているせいだよね」「うん」

「何すか、それ? 何なんすか」

 その人たちはつまり、金を払えと、おっしゃるのだった。

「じゃあ、今払いますよ。めんどくさいから」

「あのね、それをね、私らがもらうわけにはいかないのよ」「そういうことするとね、賄賂を取る人が出るかもしれないからね。禁止されているんだよね。だからね、このキップをね、所定の場所にもっていってね、払ってくださいね」

          29


 しゃらくせえと心が喚く。

 原チャリを運転しながら、おれはちょっと、泣いていた。潮風が全身を撫でていくが、そんなのでは癒されない。そんなのにはだまされない。やっぱりウラジオストックから出なければ良かったのだ。クソ。クソ、クソ。 

 ギャンブルで負け、道路交通法にかつあげされて、おれは何なんだ? 高校からは追い出され、やりたいこともこれからの予定も何もなく。いくらなんでもひどくないか?

 踏んだり蹴ったり。そんな言葉が浮かんでくる。でも、何かを踏んだり何かを蹴ってしまうよりも、巨人に踏まれたり、ムエタイの選手に蹴られたりする方が、ピンとこないか? 

 ピンとくる。何でわざわざ何かを踏むのだろうか、蹴るのだろうか。地雷を踏んだり、トゲトゲを蹴らなければ、人間は傷ついたりしない。そもそもそれは罠じゃないか。……

 ああそうか。自業自得のたとえなのか。世の中には罠が張り巡らされているのだから、気をつけなさいよ、ということなのか。踏み心地の良さそうなものを見かけても、蹴るのに最適な的があっても、安易に踏んだり蹴ったりするのはやめなさいってことか。ギャンブルをしなければ金は失わないし、路上にバイクを置かなければ、駐車違反にはならなかった。悪いのはおれなのか? 

 ガソリンスタンドを発見し、「レギュラー満タンで」と言った。どうしてだろう。この台詞は不思議とおれを勇気づける。おれは今、「レギュラー満タンで」という台詞を言えるだけの、その分の金を支払うにふさわしい男なのだ!

 五百円弱を支払って、少しだけ元気を取り戻したところでウラジオストックに戻ってきた。腹も減った。弁当屋でごはん大盛りのからあげ弁当を買って、ふんふんと鼻歌を歌いながら駐輪場に入ると、ニーナが27番の場所で、カブにまたがっていた。

 おそるおそる、29番の位置に、原チャリを戻す。ニーナはこちらを振り返りもせず、カブに座ったまま、動かない。

 一瞬、

「これはおれの妄想が具現化した奇跡なのかもしれない」と思った。「おれはついに時間を止める魔法を使えるようになったのかもしれない」と。

 次の瞬間、そんなはずがないと思い直し、「あの」と声を出した。

 無視された。ニーナは肩を震わせていた。おそらく、泣いているのだった。気づくとおれは、ニーナを抱きしめていた。思いきり、ひっぱたかれた。

「ふざけんなよ、てめー、ぶっころすぞ」ニーナはそう言って、おれの顔を見た。やっぱり泣いていた。おれはニカっと笑ってみた。

「は? きもいんだけど、何なの、おまえ?」

「これ、からあげ弁当だけど、食べませんか?」

 自分が何を言っているのか、わからなかった。

「は?」ニーナはおれの顔を睨んでいる。

「すいません。マジ、すいませんでした」

 おれはからあげ弁当をそこに起き、走り去った。


つづく
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