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「33歳の孤独」または、師匠の選択。
 ♯4 
all you need is gamble.


「ファー」
「ファー」
 小学生みたいなノリで、後部座席のふたりが叫んでいる。真っ赤なオープンカーはゴールデンゲートブリッジを再び通過中。これから僕たちは、どこに向かうのだろうか? 前途多難な気しかしない。真夏ではあるが、サンフランシスコの風は涼しかった。冷たい、と表現するべきかもしれない。先ほどフィッシャーマンズワーフで見た、アルカトラズ刑務所のあった島を囲む海は、低体温症になってしまうほどの水温で、かつ潮流が速く、サメがうようよしていた、と言う。夏なのにこの気温。横に殺し屋。後ろには、牙とデビル。何だろう? この非現実感は。
「アニキィ、カジノはどうでした?」後部座席左に座るデビルが言った。
「カッスィ(↑)ーノ」デビルの発音を咎めるように僕は言う。
 CASINOはアメリカではカッスィーノというような発音をする。濁らない。アクセントはカ、じゃなくて、スィ。
「師匠は勝ったよ」梅崎さんが言った。
「マジすか、すげえ」デビルが嬉しそうに言う。
「さすがやね」うんうん、と牙がうなずく。
 たぶん、後ろの二人が僕のことを必要以上に持ち上げるのは、自分が負けた相手は強くあって欲しいという希望的観測なのだと思う。だけど実際は、僕の人間的な強さはゼロに近い。カジノの勝利はたまたまに過ぎない。運がよかっただけだ。

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「到着しました」
 梅崎さんはそう言って、車を駐車スペースに停めた。牙とデビルが合流して以来、僕と梅崎さんは敬語で喋るようになっていた。
「ここは?」
「ここが一応、おれたちのアジトというか、拠点です」
 そこは、太平洋にほど近い住宅街の一角にある低層アパートだった。敷地の前にはバスケットボールコートがあり、黒人の少年がジャンプシュートの練習していた。防犯のためだろう、日本ではあまり見られない、二重になった扉をそれぞれ違う鍵で開け、室内に入った。
「梅さん、アメリカにも事務所があるんですねえ」感心したように牙が言う。
「そんなことより、おまえらちゃんと英語勉強してきたんだろうな?」
「イエスアイドゥー」デビルがうなずいた。
「Are you silly?」
 おまえはバカか? と言われ、満面の笑みで、「イエスアイアム」とデビルは答えた。梅崎さんはあきれたように首を振って、僕に問いかけた。
「師匠、珈琲飲みますか?」
「はい。お願いします」
「Hey you guys,have some coffee?」牙とデビルに向けて梅崎さんは言った。
「イエス,please」なぜか、プリーズという発音だけ流暢に牙が答える。

 梅崎さんがいれてくれた珈琲はとても深みがあった。
「梅崎さんは今でも飲食店をやりたいって思ってますか?」思わず聞いていた。
「タローズは今でも夢です」梅崎さんは笑った。
「梅さん」デビルが話しかけると、「shut the fuck up,kid」と言って梅崎さんは突き放した。黙れ小僧? 梅崎さんは、デビルと牙に対しては、日本語を使うつもりがないようだった。デビルの理解度はほとんどゼロに等しく、牙は半分くらい理解しているようだった。
「アニキィは英語どうですか?」デビルが言う。
「何となく、言ってることはわかるような気がするんだけど、返そうとするときに、言葉が出てこないんだよね」
「ああそれ、わかる気します」牙が深くうなずいた。
「おまえ、コソ勉したやろ」
「アメリカは慣れましたか?」デビルを無視して牙は言う。
「うーん、単位が慣れない、かな。メートルじゃなくてフィートだし、マイルだし、後、温度。カジノにいるときに、今日は100度を超えてるとかおばさんに言われて、え? ってなった」
「ああ、こっちでは温度は華氏なんですよね」梅崎さんが言った。「華氏の場合、人間の体温が96度って覚えるとわかりやすいですよ」
「摂氏(せっし)、華氏(かし)。何か、学校の授業でやった覚えがありますね」と言って苦笑した。
「摂氏? 華氏? それ何ですか?」デビルの質問に、梅崎さんは答えなかった。代わりに記憶を掘り起こしつつ、僕が答えることにした。
「水って、0度が液体と固体の分かれ目でしょ。で、100度が液体と気体の分かれ目。この凝固点と沸点を基点とした、俺らになじみのある単位が摂氏なんだよ。度Cってやつ。それに対して、華氏っていう単位があって、こっちの定義は俺もよくわかんないけど、アメリカでは使うらしい」
「華氏の正式名称はファーレンハイト」梅崎さんは僕に説明するように言った。「℃に対して゜Fっていう風に表記されますね。華氏32度が摂氏0度、華氏212度が摂氏100度です。だからさっき師匠が言った華氏100度ってのは、日本で言う38℃弱って感じです。まあ、暑いですね」
 ウィキペディアを開けば一瞬で解決するような日本とアメリカの比較文化論に興じた後、珈琲休憩は終わった。

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 牙とデビルに夕食の準備を頼んだ後、僕と梅崎さんは買い物に出ることにした。
「師匠」ハンドルを握った梅崎さんは言った。「なるべくあの二人を甘やかさないで欲しいんです」
「甘やかす?」
「もしかしたら、今回の作戦で、彼ら二人は命を落とすかもしれない」
「作戦」僕は梅崎さんの言葉を繰り返した。「……作戦?」
「田所班長は、牙とデビルのうち、一人を選抜しようとしています」
 田所りんぼ。彼こそが僕の体の所有者であり、僕のアメリカ行きを全面的にプロデュースした男の名前だった。
「選抜……?」話が見えなかった。
 車は海辺の駐車場に停まった。梅崎さんが外に出たので、追いかけるように外に出た。砂浜の向こうには、太平洋が広がっていた。真夏ではあるが、泳いでいる人の姿はない。リードのないコーギーが、たぶん飼い主だろう小太りの白人女性をぶっちぎって、まるで笑っているような顔で、僕らの脇を駆け抜けていった。
 砂浜を歩きながら梅崎さんは言う。
「おれはね、師匠、たとえば牙リバの二人だったら、素手だったとしても、15分あれば殺せると思うんだ」
「……はい?」
「でも、師匠は殺せない」
 おそらく、日本列島がある方角から、波が押し寄せ、砂浜に痕跡を残し、また、返っていく。
「何でだと思う?」
「さあ」僕は立ち止まり、断続的にやって来る波の彼方を見つめながら言った。「検討もつかない」
「師匠がおれの命を助けてくれたこと。そのことは、心から感謝してる。それでも、もし、会長から指令が出たら、おれは師匠であっても殺そうとするだろうし、だけど、おれが力の限りを尽くして師匠を殺そうとしても、たぶん、できない」
 波の彼方には水平線があった。そして、少し大げさなんじゃないか、と思うくらいに輝く太陽があった。太陽は僕と梅崎さんの影を砂浜にくっきりと映し出していた。
「何で?」僕は聞いた。
「今までに、この人は殺せないという人間が何人かいた。でも、それは、おれの師匠だとか、師匠の師匠だとか、竹田会長だとか、田所りんぼさんだとか、年長者だった。物理的に殺すことができないのではなくて、倫理というか、恩義があるからできないというだけだ。だけど、例外的に、どうやっても殺せそうにない男がひとりだけいた。たしか、そいつは師匠と同い年だったと思う。その年下の男が死ぬところは幾らでも想像できた。第一、おれよりずっと弱かった。だけど、おれは彼を殺せなかった」
「……どうして?」」
「たとえば、マリオでもドラクエでも何でもいいけど、ゲームの主人公を殺す方法ってあると思う?」
 少し考えた後、無理っぽいね、と僕は言った。プログラムされ、世界に広まっているものを消し去ることは難しい。それは将棋や、あるいはサッカーを殺せ、と言っているようなものだった。
「うん」梅崎さんはうなずく。「敵のモンスターがいくら頑張っても、主人公の存在を消すことはできない。それどころか、セーブデータが壊れても、ゲームソフトを壊しても、ゲーム機本体を壊しても、主人公の存在を抹消することができない」
「あ」僕は言った。「書き換えちゃえばいいんじゃない? 主人公が死ぬプログラムのゲームにしてしまえば、死ぬんじゃないかな」
「それはほとんど唯一の方法だとおれも思う。でもね、師匠。テレビの中の人が、テレビを見ている視聴者を殴れる? あるいは逆に、テレビを見ながら、テレビ番組の台本を書き換えられる? そいつは二つ以上の世界で生きていた。たぶん、師匠もそうなんだ。原理的に、二つ以上の世界に属している人間は、殺せない」
「二つ以上の世界……」
「ゲームというのは、ゲームの中の主人公と、その主人公を操るプレイヤー、マトリョーシカみたいな入れ子構造になっている。一人はどこまで行っても一人だけど、ふたつの世界にまたがる一人というのはほとんど無限なんだ。片方の世界で死んでも、幾らでも甦ることができる」
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The Solitude Of Thirty-Three Years Old.

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