「わたしは不幸だ」という言葉は理解できない、なぜなら本当に不幸な人間には「わたしは不幸だ」とは書けないからだ。フランツ・カフカ

1ベーコン_走る犬のための習作 - コピー
「不死鳥の灰」
♯77
 ashes of phoenix

まえがき
 
    

スロ小説とは何か? 

スロ小説の年表            


 電気をつけて、改めて部屋を見渡してみたが、何もない。食器もない。冷蔵庫もない。掃除機もない。それらを買い揃えるだけで結構な出費だ。とはいえ、もちろん贅沢は言えない。
 インドに向かうことを決めたとき、それまで使っていた持ち物はほとんど処分した。もしかしたら、おれは日本に戻ってこないつもりで旅に出たのかもしれなかった。あれから3週間も経っていない。
 テレビもない。PCもない。スマホはそもそも存在しない。桐の小箱と骨壷が、インド、ロンドンから持ち帰ったバックパックが、葬式と結婚式を間違えた人のように立ち尽くしていた。体が冷えていたので、風呂に湯をためることにした。待っている間に、室内をうろつく。8畳ほどの部屋が3つ。リビングにダイニング。1人で暮らすには広すぎる。とはいえ、もちろん文句は言えない。風呂にお湯がたまった音がした。上野で購入した服を脱ぎ、ゆったりとしたバスタブに浸かりながら、これからのことを考える。
 この部屋を誰かに貸して、その収入で、慎ましく暮らす。うーん、ピンと来ない。むしろ売ってしまって豪遊する。どちらにしても、手続きが面倒そうだ。ああ、運転免許を取らないといけないのか。一度取ったものを、もう一度取らなければいけないとは……。おれ、ゴールドだったのに。意味のないことを考えている。考えなければいけないことは考えられない。うまく思考がまとまらない。ばしゃばしゃと顔にお湯をかける。洗濯をしなければいけない。タワーマンションだから、乾燥機も必要だ。買い物リストを作らねば。やることけっこうあるな。熱くなってきたので、湯船の栓を抜き、風呂場を出た。ビールが飲みたかった。それに、腹も減った。ああ、バスタオルがない。ドライヤーもない。
 インドで買った服で体を拭いて、上野で買った服に着替えた。何枚かの紙幣、鍵と小銭入れを持って外に出る。そこはただの都心だった。人だらけの都心部だった。店に入る気がしなかったので、コンビニで、メモ用紙とボールペン、缶ビールを何本か、モルトウイスキー、ミネラルウォーター、何個かのおにぎりと揚げ物を買ってそそくさと帰った。
 部屋に戻って、揚げ物をつまみつつ、缶ビールを飲んだ。うん、缶くさい。しょうがない。グラスはない。ヤカンもない。備え付けの家具以外、何もないのだ。
 メモ帳とボールペンの封を開け、思いつくままに、部屋に足りないものと、おおよその値段を書いていく。うーん、少なく見積もっても、数十万単位の出費が必要になる。寒くなってきたので、暖房をつけた。エアコンがあってよかった。
 ……眠くなってきた。あ。歯磨きしねえと……って、歯ブラシねえじゃん。それと、トイレットペーパーはあったっけ? ……ちぇ。歯ブラシ、歯磨き粉、トイレットペーパーを買いに外に出る。プラッチックのコップも追加した。新品の歯ブラシで歯を磨き、プラッチックのコップで口をゆすぎ、8畳の洋間のドアを閉め、暖房をつけ、今日のところは手持ちの服を体にかけ、バックパックを枕に横になった。マイルームでホームレス。くだらないことを考えているうちに、眠っていた。

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 まぶしさで目が覚めた。目を開けると、部屋全体が燃えていた。は? 火事か? でも、火なんて使ってないぞ? もらい火か? というか、これだけ燃え盛っているのに、熱くない。夢?
 起き上がり、おそるおそる洋間のドアノブに手をかけた、やはり熱くない。寝室以上に廊下も燃えていた。火の勢いが一番強いのはリビングだった。怒りを体現しているのか、あるいは喜びを体現しているのか、炎は踊り、うねり、逆巻いていた。そのような地獄絵図の向こうに都市の夜景があった。シュルレアリスムの一枚の絵のよう。そんなリビングにあって、母の白い骨壷だけが、砂漠に咲く一輪の花のように凛とたたずんでいた。
 唾を飲み込み、近づいていく。炎の中を歩いている自分が、どこか滑稽だった。どこが滑稽なんだろう? 今ここで何が起きているか、おれにはわからない。正直ビビッてる。それでも進むしかない。なぜ、ビビるか。生命の危険を感じているからだ。人間は、切羽詰ると自分のことしか考えられなくなる。少なくともおれはそうだ。自分こそが世界なのだ。人間が生きるとは、かくも滑稽だった。ドン・キホーテが風車に立ち向かったのは、本物の巨人だと思ったからだ。巨人を人類の敵と信じたのだ。それを読む者は、嘲笑するかもしれない。おれは笑わない。というか、笑えない。来いよ。来いよ。ゾンビでもアンデッドでもホラーでも妖怪でも出てこい。半ギレ状態でおれは骨壷に近づいていった。すぐそこに骨壷はあるはずなのに、近づけなかった。いつしか、燃え盛っていた部屋は、白いもやに包まれていた。

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 それでも歩いていくと、もやの向こうに見覚えのある建物が見えてきた。その建物は、類が「かたつむり」と呼んだ図書館だった。つまり、今間だった。図書館の前は桜並木になっていて、ソメイヨシノが咲き乱れていた。
 おれは上半身に何も着ていなかった。インドで買ったサイケデリックな柄のショートパンツを穿いて、裸足で歩いていた。警察官が来たら、きっと注意される。しかし人の姿はない。空は奇妙なまでに青白い。上空では、ヒュン、ヒュン、と何かが飛んでいた。しかし、姿は見えない。スカイフィッシュ?
 うむ。これは夢だ。そう認定しよう。燃え盛る部屋から、今間にワープ。夢なら何でもありだ。上半身裸で路上をうろつくことも。今は存在しない街にいることも。
 夢なら誰か出てこないかな。せっかく上半身裸なのだし、エロい夢がいいな。しかし人は現れない。上空ではヒュン、ヒュン、と何かが飛んでいる。
 ヒュン、ヒュン、ヒュン……何かを思い出しそうになった。思い出せなかった。思い出したい。思い出せない。何を思い出せばいい? おれはかつて、今間に近い在原で暮らしていた。父方の祖母の家だ。暮らし始めたのは、1999年の初夏だったか、梅雨時期だったか、ともかく、夏が来る前、義父からもらった300万をショルダーバッグに入れて上京したのだった。
 祖母の趣味のパチンコを付き合いで打っているうちに、それが金になることに気づいた。そんな折、ハネくんという、通信制の高校の2個上の同級生に教えられて、スロットを覚えた。それから18年。パチ屋からもたらされるものだけで生きてきた。18年経って、人生初のアルバイトをはじめた。ファミリーレストランのウェイター。マニュアルに書かれた仕事をすべて覚えた後、バイトをやめた。より本格的に、より実践的に、飲食業を学ぼうと思っていた。そんな矢先、おれは18年前に戻ってしまったのだった。失ったものを取り戻せるかもしれない。そう思った。だけど、そんなことはなかった。何かを得たら、何かを失う。それだけのことだった。

 ……何かがポケットに入っていた。取り出してみると、桐の箱だった。その間も、ヒュン、ヒュン、ヒュン、何かが上空を飛んでいた。うーん。ややこしい夢だ。ヒュン、ヒュン、ヒュン、その音には明らかな規則性があった。しかし、上空には何も見えない。おれは意識を上空から逸らし、桐の箱を開けた。
 中から出てきたのは、へその緒だった。
 ……何故?
 そのとき、唐突に、上空を飛ぶヒュン、ヒュン、の正体がわかった。それは或る時間を表しているのだった。ヒュン、からヒュン、の間の時間、およそ0.75秒(0.75~0.8秒)。それはすべてのスロッターの体内に刻み込まれた時間だった。
 そういえば、松田遼太郎がこんなことを言っていた。
「リール一周のスピードってさ、日本中のスロッターが体得してるよな。これって何かに応用できそうじゃない?」
 おれは言った。「どうやって?」
「目隠しをさせられてる状況で、タイミングを合わせろ、みたいな」
 おれは笑う。「どんな状況やねん」

 こんな状況だった。

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 上空の何かは、明らかにおれに何かを訴えていた。そんなことをするのはスロッター以外に考えられない。試しにおれは、ヒュン、ヒュン、に合わせ、ストップボタンを押すように、トン、トン、と呟いてみた。トン、トン、トン、トン、一糸乱れず、おれたちはスロットのリールを回した。
 トン、トン、トン、トン、トン、トン、そのうちに、音が遅れる瞬間があった。チェリーか? チェリーなのか? おれは上半身裸でそう叫ぶ。まるで変態である。構わない。ボーナス。ボーナスが確定したんだろ?
「4コマ滑り」
「ズレた。2カク。2カクのズレ目」
「右リールビタどまりでREG否定」
 スロッターなら反応するであろうワードを言うも、反応が薄い。5号機育ちなのか? それならば、と南国育ちのBIG中の音楽を口ずさんでみる。これもピンと来ないようだった。あれ、初代は4号機だったか。どうする? エウレカの歌でも歌うか。何がいいかな。


 ふふふふふーん(振り返り)♪
 ふふふふふーん(繰り返し)♪


 振り返り、きみを思い出す

 意味もなく 繰り返す

 氷の誓い、覚めない 思い違い 届かない

 アル中の蛇が宙を舞う 七色夢を見て 


「何だよそれ?」どこかから声が聞こえた。
「虹」おれは言う。「虹の語源って、空にかかるでっかい蛇なんだと」
「そうじゃなくて、何の歌?」
「だから『虹』。エウレカのART中のエピソードボーナスで流れる曲。歌詞は適当。エウレカ2だともっとイカツい恩恵というか確定演出だったと思うけど、詳細は忘れた」

 いつの間にか、ヒュンヒュンは消え、トントンも消え、誰かがおれの前に立っていた。そいつはおれがインドで買った上着を着ていた。下半身はボクサーブリーフのみ。……ヤバいやつか?
 人間関係は、自分が差し出すのが初手。
 おれは片手を差し出した。その人物は態度を決めかねているようだった。おれは差し出した手に力をこめた。そいつが誰でもよかった。ここがどこでもよかった。むしろ、おれが誰であってもよかった。優位性があればいい。期待値があればありがたい。なければないでしょうがない。生まれた場所は選べないし、親を選ぶこともできない。たとえ過去に戻ったとしても、そこだって今。どうあっても過去は変えられないのだ。それでもレバーを叩けばリールは回る。地球も回る。地球が回ればカルマも回る。
 ここが世界の終わりでも構わない。終わりは終わり、そして始まり。何かが変わるとすれば、これからではなく、これまででもなく、今だ。






















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