「わたしは不幸だ」という言葉は理解できない、なぜなら本当に不幸な人間には「わたしは不幸だ」とは書けないからだ。フランツ・カフカ

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「不死鳥の灰」
♯75 
And Then Then Were None
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 雨が降りそうで降らない空の下、新市街のマクドナルドでブランチを取った後、旅行代理店を探した。急な予約だったが、コペンハーゲン経由、成田行きのチケットが取れた。
 エジンバラ空港までバスに乗り、チェックインカウンターで手続きを済ませ、長いすに座ってぼーっとした。パタパタパタという飛行機の行き先案内が変化する音に耳をすませていると、むしょうにビールが飲みたくなった。立ち上がり、バーカウンターでギネスを飲んだ。自分が一人でいることが、不思議だった。松田が横でわあわあ言わないことが。楽しい旅行だったな。……うん。

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 コペンハーゲンも曇っていた。寒そうな空模様だった。トランジットで少し時間があったが、特にすることもなく、カールスバーグ(デンマーク産のラガー)を飲みながら、小説を読んだ。成田までの空路はほとんど寝ていた。結局、日本から持っていった3冊の小説は、1冊半しか読み終えることができなかった。成田も曇っていた。

おかえりなさい

 同胞の帰還を祝す文字。日本の匂いがする。そういえば、おみやげらしきものは何も買わなかったな、と思いつつ、京成のホームに降りて、特急電車に乗った。瓦屋根。田んぼ。パチ屋。コンビニ。軽自動車。同じ曇り空でも、電車から見る日本の風景は、どこか異国のように感じた。
 上野について、階段を上っていく。西郷さん。ここで泣いたのはいつだった? もうあの過去は、存在しない。おれの記憶以外にはどこにも。いや、おれの記憶といっても定かじゃないか。確かなことなど何もないのだ。移動続きと時差ボケで、それ以上は何も考えられず、カプセルホテルに入って、早々に寝てしまった。目が覚めて、ゆっくりと風呂に浸かった。伸びたい放題だった髭を剃った。
 そういやおれ、携帯持ってたな。浴場からあがって髪を乾かして、インドで買った服に着替え、二つ折りの携帯電話の電源を入れてみると、電源はまだ生きていて、留守電が入っていた。
「もしもし。わたくしは税理士の白取海と申します。お母様のことでお話がありますので、折り返し、こちらの携帯電話にご連絡いただけますでしょうか」
 おれはその留守電を2回くりかえし、番号を覚えた後、電話をかけた。
「もしもし。永里蓮です」おれは言った。「母のことで何かお話があると伺ったのですが」
「……大変、申し上げにくいのですが、お母様は亡くなりました」
「はい?」
「お電話を差し上げた時点では、ご存命だったのですが。残念です。田所様のご意志で、葬儀はありませんでした。戒名、墓石も不要とのことでした。それで、相続の話をしたいのですが、永里様は大阪に来られますでしょうか」
 時計を見ると、午前9時30分だった。
「今、東京にいるので、新幹線に乗れば昼過ぎには着くと思います」
「かしこまりました。それでは、その頃、新大阪にお迎えにあがります」
「あの……」
「はい」
「母が亡くなったというのは、本当ですか?」
「……」少し間があった後、電話の向こうの女性は答えた。「はい。お悔やみ申し上げます」
「そうですか」
 母が、死んだ? 2017年まで生きていた母が、2002年に死ぬ? おれが何かをしてしまったのだろうか? おれが前回とは違う行動を取ったからか?
 深く息を吐いた。答えが出るはずのないことを考えてもしょうがない。ショーウィンドウに映る自分の格好を見て、これじゃまずいだろう、と、アメ横の服屋を回って比較的見栄えのする服を購入し、着替えた。御徒町から山手線に乗り、東京駅から東海道新幹線に乗った。味の薄い日本の缶ビールを飲んでいるうちに、母の記憶がよみがえってきた。

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 小学生の頃、ドラゴンボールのスペシャル版が放映されたことがあった。主人公孫悟空の父が主人公のスピンオフアニメだった。おれはその日、コウ先生のところで稽古があった。ものすごく楽しみにしていた番組だったから、母に録画を頼んでいた。しかし稽古を終えて帰ってみると、録画はされていなかった。狂ったように母に当たった。
「そんなに見たかったのなら、どうして、自分で録画をしなかったの?」母は毅然とした態度で言った。
「いや、だから、稽古があったから、頼んだんじゃないか」
「録画予約をすればよかったじゃない。自分で」
「だってわかったって言ったじゃないか」
 母はあくまで毅然としていた。「絶対にしなければいけないことは、絶対に他人の手にゆだねてはいけません」
「でも、お母さんがわかったって言ったんだろ」
「私がその行動を取ろうが、取るまいが、あなたが何かをゆだねた事実は変わらない。あなたがあなた以外の誰かの手にゆだねた以上、その結果がどちらに転ぼうとも、あなたの責任です」母は毅然とした態度を崩さずに言った。「他人の手にゆだねた以上、どんな結果が出たとしても文句を言ってはいけない。あなたは、これから一人で生きていかなければいけないのだから」
 ……何だこの記憶は。おれはこの出来事を、ただの不快な出来事と記憶していた。しかしこれではまるで……。 
 記憶の蓋が開いてしまったのか、次々と母の思い出が出てきた。どれもこれも、嫌な思い出だった。しかし、記憶の中の母が発しているメッセージはひとつだった。
 ……愛してる。

 おれは缶ビールを握り締めたまま、泣いていた。こんなのはおかしい。だって嫌な思い出なんだ。どうして嫌な思い出しかない人間のメッセージが愛してるなんだ? 自分を誘拐した犯人を好きになる、あの症候群のように不健全だ。
「I don't care.」
 おれは帰国子女的なイキり方でそう呟いた。
 新幹線は熱海を過ぎたところだった。外は雨が降っているようだった。窓にはりついた雨粒が、精子のようにニョロニョロと、進行方向と反対に動いていた。この分だと、富士山は見えないだろう。
 頭から追い出そうとしても、母の記憶はしつこかった。それすらも、母の陰謀のように思えた。母は今日、この場所で、この記憶が発動することをプログラムした。
 そんな遠大な計画をして、母にどんなメリットがある? メリットなんてあるはずがなかった。メリットがあるとすれば、おれに、だった。この残酷な世界で生きていくにあたって、母が差し出してくれたもの。
 ……どうしてこの缶ビールはしょっぱいんだろう?

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 新大阪も曇っていた。トイレに入って顔を洗った。目が真っ赤だった。まるでラリッている人のようだ。ハハ。
 改めて自分の顔を眺めてみると、母にそっくりだった。目。まつげ。鼻筋。唇。再び涙があふれてきた。トイレに入ってくる人たちが、奇妙な顔をして、おれのほうをチラ見した。それでもおれは、鏡の中の自分から目をそらすことができなかった。この顔は母から受け継いだものだった。山崎の言う犬要素は、たぶん、父のものだ。いや、父と母だけじゃない。おれと始祖の生命を連綿とつないでくれたすべての生命から。あるいは宇宙から。
 おれはひとりだった。が、おれはひとりではなかった。

つづく
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"Study for a Running Dog"


「走る犬のための習作」
フランシス・ベーコン1954年

  
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