「わたしは不幸だ」という言葉は理解できない、なぜなら本当に不幸な人間には「わたしは不幸だ」とは書けないからだ。フランツ・カフカ

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「不死鳥の灰」
♯73
 feedom and whisky

まえがき
 
    

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 首都エジンバラについたのは、昼過ぎだった。よく晴れていた。ロンドンに比べると、空気がしまっているように思えた。
「おはようございます。張り切っていきましょう」山崎が言った。
「あー眠」と松田が言った。
「おまえずっと寝てたよな……」
 街角に、スコッチキルト(スカート)を穿いて、背筋を伸ばしてバグパイプを演奏するおじさんの姿があった。バグパイプの音はなぜか郷愁感をそそった。旧市街にあるスコッチウイスキー博物館を見物した後、隣接したレストランで昼食を取ることにした。グレンフィディックを飲みながら、オレンジソースのかかった鶏肉のソテーを食す。幸福なコンビネーションだった。
「ウイスキーの味が、ちょっと普通じゃなく美味しく感じませんか?」先ほどから、妙に鼻息の荒い山崎が言った。ロンドンにいるときよりも、生き生きとしているように見える。
「美味しいね」
「たぶんですけど、気候が味に寄与してるように思うんです。日本みたいな高温湿潤な気候だと、同じウイスキーをストレートで飲んでもこんな味にはならない」
「日本だと、何でもかんでも水割りとかオンザロックにしちゃうもんね」
「繊細なウイスキーに氷を入れてしまうのは、ビールに氷を入れるようなものだとわたしは思います」しかめ面で山崎は言う。「だからこそ、それを出す店は、店内の湿度まで管理しないといけないのかな、と」
「リコは将来、東京に飲み屋をつくりたいんやろ?」
「はい」山崎はうなずいた。
「でも、その若さで何でそんな目標を持てるの?」
「うちは、母が水商売をしていて、バカにされることもあったんですよね。こっちのパブは庶民の憩いの場。だから、目標というよりは、復讐心というか、武士のような気持ちです」そう言って山崎は笑った。
「おれ、常連になるわ」
 松田と山崎の会話を、食後のウイスキーを飲みながら聞いていた。山崎はこうやって努力して、店を幾つも構えるようになったのだな、ということがよくわかった。
「おれも大学戻るかな」店を出る前に、松田はボソッとそう言った。
 明らかに、松田は山崎に感化されていた。単純な男なのだ。目的があるやつも、戻る場所があるやつも、どちらも少しうらやましかった。

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 少し歩き、新市街と旧市街の中間あたりにある公園の芝生の上でスキットルの中身を飲んだ。
「おまえはどこでも飲むな」松田があきれたように言った。
「おれはおまえらみたいに若くないからな」おれは笑った。「目標もない。帰るところもない。酒くらいしか友だちがいない」
「何か、そういうのを明るい顔で言えちゃうのは、ずるいですよね」
「そうだぞ。自慢はよくない」
「自慢?」
「おまえくらい自由な20歳は早々いないってこと」
「ロバート・バーンズという、スコットランドの国民詩人はこんな言葉を残しています」山崎は言った。「『Freedom and whisky gang thegither(自由とウイスキーは共に進む)』と」
「ロバートバーンズさんナイス」松田はそう言うと、おれからスキットルを取り上げて、ぐいと飲んだ。
「自分のあるだろ」
「自由とウイスキーは共に進む、だぞ」
 おれは芝生の上に大の字に寝転がった。青い空を雲が泳いでいた。おれはそのまま少し寝てしまったようだった。目が覚めると、ふたりがいなくなっているような気がしたが、ふたりはそこにいた。

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「今日はどこに泊まる?」おれは言った。
「オーナーのサマーハウスの鍵を借りてきたので、もしよかったら」山崎が言った。
「働き始めて間もない状態でそこまで信頼されてるってすごくね」
「そうですかね。オーナーが、友だち連れて行ってくれば? って言ってくれたので」
「スコットランドって北海道と同じくらいの大きさって言ってたっけ。東京に住んでて北海道に別荘があるっていうイメージなんかな」松田が言う。
「面積と人口はほとんど同じですけど、正直、別の国っていう感じがしますね」
「てかさ、リコはいつまで敬語なん?」
「敬語を使っていれば日本語ってあんまり失礼なことを言わなくて済むので」
「頑なやねえ」
 そんなことを喋りながら、山崎の先導でバス停を目指し、やってきたバスに20分ほど揺られると、海沿いの道に出た。
「この海は何海?」松田は言った。
「北海です」
「やっぱ北海道やん」
「本当ですね」山崎は笑う。
 以前の山崎は、あまり友だちをつくるのがうまくない感じだったから、ふたりが仲良くなっていることが微笑ましかった。それとも、この山崎と、あの山崎は、別人なのだろうか? 考えても出るはずのない問題なので、意識を外の景色に切り替えることにした。海外とはいえ、左側通行というのは、親近感があった(インドもそうだったが、インドはカオスだった)。しかし、日本と比べると、信号がほとんど見当たらない。しばらく海沿いの道を走った後、バスを下車。テクテク歩くと、海に向かっていかにも別荘という建物が林立していた。その中のひとつが、山崎の働くパブのオーナーのサマーハウスだった。
 山崎の持っている鍵は、魚をモチーフにしたかわいらしいつくりだった。ガチャリという重厚感のある音を立てて、ドアが開く。
「靴のままどうぞ」と山崎が言った。
「お邪魔します」と言って、おれたちは部屋に入った。
 高い天井、木のぬくもりのする広いリビング。奥に暖炉が見えた。暖炉がある家に入ったのは初めてかもしれない。暖炉の上には火かき棒。おれはバックパックからスキットルを取り出して、ぐびと飲んだ。

つづく
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「走る犬のための習作」
フランシス・ベーコン1954年


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