つねに真実を話さなくちゃならない。なぜなら真実を話せば、あとは相手の問題になる。
マイケル・クライトン

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「不死鳥の灰」
♯47~51

かつての自分が書いたものを見ると、まず、恥ずかしさがやってくる。それは10年前の写真を見て、何でこんな服を着ていたんだろう? というのに似ている。少し落ち込む。その後で、首を横に振る。この文章は自分が書いたのだ。どんなに奇妙な格好をしていたとしても、写真の自分は自分なのだ。

過去の自分との共同作業。10年後の自分の首をたてに振らすような文章を書きたい。

書くこと、賭けること 寿

まえがき 

♯1~♯9まとめ 

♯10~♯14まとめ

♯15~♯19まとめ

♯20~♯24まとめ 

♯25~♯29まとめ
 

♯30~♯41まとめ


♯42~♯46まとめ 

 



 目の前にはナイフを持った素人。大した敵ではない。が、体がうまく動かない。相手の動きは100%とらえているのに、イメージ通りに体が動かない。しょうがないので、言葉で応戦する。
「金が欲しいんだろ。金やるから落ち着けよ」
「うるせえ」フード男は言った。
「何が目的なの? おれを刺したいの?」
「うるせえ」
「今、おまえがおれを刺す。で、どうする? 殺す? 逃げる? 逃げられると思うか? あそこ」と言って指を差す。「あそこにも、あそこにも、防犯カメラ。おまえはすでに映ってる。人生を棒に振りたいのか?」
 フード男は無言で距離をつめてきた。おれは言葉を吐きつつ、後ずさる。あたりまえだが、人間の体は後ろに進むようにはできていない。サッカーのオフェンスとディフェンスの関係同様、攻撃側にアドバンテージがある。おれは彼の目を見ながら、後ずさる。ナイフを取り上げてしまえ、というような実現不可能な願望に逃げないように気を保ちながら。

「何やってんすか」
 フード男の向こうに山下宍道がいた。
「おい」山下はよく通る声で言った。「警察に電話されたくなかったらナイフをしまえ」
 フード男はナイフをしまわずに奇声をあげた。その瞬間、おれの体を縛っていたアルコールの影響が弱まったのを感じた。
 ナイフを持つ手に向かってつっこんでいくと、フード男はナイフを持つ手に力を入れるばかりで、硬直していた。
 フード男がアスファルトに倒れた後で、おれは盛大にゲロを吐いた。フード男が落としたナイフを拾いながら、山下は苦笑した。
「これ、どういう状況なんすか?」

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 心配なんでついていきますよ、と言って聞かないので、山下を泊めることにした。近くのローソンで、山下は黒霧島のボトルを買った。おれはミネラルウォーターだけにした。
 部屋について、そのミネラルウォーターで胃薬を飲み、桜井さんがここに来たときに持ってきた寝袋を山下に貸した。
「永里さん」黒霧島を飲みつつ山下は言う。「さっきナイフに当たりにいこうとしてませんでした?」
「あいつは素人だったからな」
「どこでわかるんですか?」
「プロだったらおれはもう刺されてる。おれが刺されてないのが証拠」
「そんなもんすか」
「たとえば、ムラムラしてるときに、路上で女が股を開いて寝てたとしても、おねがいしゃーすって言うの何か嫌じゃね?」
「その状況が想像できないすけど」山下は笑う。
「武器を持つ人間の心理は、使いたいという意識と、使いたくないという意識がぶつかっている。手にしてるのが特別なものだという認識が心と体を分断するんだ」
「特別だとダメなんすか?」
「プロ野球の4番バッターが不意をつかれたど真ん中の球に反応できないことってあるだろ? 筋肉がどれだけあっても、どれだけ早く走れても、それらがバラバラでは意味がない。同じように、道具は道具のままではただの物質に過ぎない。ただの物質は怖くない」そこまでしゃべっておれの力は尽きていた。
「永里さんの話って……」
 山下が何かを言っていたが、知覚できなかった。

 電話のコール音で目が覚めた。知らない番号。二日酔い。取るべきではない、と思った。が、白取絵美という可能性が否定できない以上取らないわけにはいかなかった。自らの女々しさに嘆息し、通話ボタンを押した。
「もしもし」
「もしもし」という声は男のものだった。残念……。
「永里蓮さんですよね?」
「はい」
「私は田所類の下で働いていた黒須久という者ですが」

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 クロスという男からの電話を切ってベッドから起き上がると、山下は寝袋の中ですやすやと眠っていた。ふう、と一息吐く。まだ酒が残っている。シャワーを浴びて、髭を剃り、炭酸水を飲んだ。山下は微動だにせず睡眠の中にいる。その若さがうらやましかった。
「おい起きろ」おれは言う。
「……」
「もう11時だぞ。大学は?」
「マジすか。そんな時間すか。もう少し寝てていいすか?」
「ダメ」
「わかりやした……」と言って山下は大きなあくびをした。「あ、永里さん」
「ん?」
「おれを弟子にしてください」
「はあ?」
「昨日言ってたじゃないですか。パトロン制度って。おれ、パトロン第一号になります。だからお願いします」
「意味わからん」
「永里さんをはじめてバイト先で見たときにピンと来たんです。面白い本の背表紙を見た瞬間のピンと来るあの感じです。わかりますよね」
「わからん」
「この半年くらい永里さんを観察していて、ピンが確信に変わりました」
「何の?」
「この人の見てる世界は面白いに違いないという」
「……面白い?」
「昨日店長と永里さんにおごってもらいましたけど、永里さんのお金の使い方は、時給で働いてる人の使い方じゃないです」
「そんな比較されてもな」
「おれは永里さんに金銭と人材というソフトとしての提供ができる。永里さんはおれにフォーマットとして、ハードとしての提供ができる。ウィンウィンですよ先生」
「御託はそれくらいにして、おれは行くところがあるから、早く支度しろ」
「おれマジで大学辞めますから」
「はあ?」
「大学はいつでも行けるじゃないですか。だけど、永里さんは今おれが支えなきゃ死んでしまうかもしれない」
「頭大丈夫?」
「昨日のことを思い出してくださいよ。おれがいなかったらやばかったでしょ」
「……」
「おれはずっと探してたんすよ。自分を注げる器を。昨日言ってましたよね。金よりも信用だって。おれのことを信用してもらうために、おれは永里さんのパトロンになります」
「じゃあ、今から行くとこついてこいよ」
「いいですよ」

 電車を乗り継いで今間に向かう。
「おれ、辺縁の街ってあんまり行ったことないんですよね」山下は言う。
「じゃあ来なくていいよ」
「いや、いきますって」
 指定されたマンションのエントランスで、指定された部屋番号を押す。
「武装した男が待ち構えてるとかないですよね」山下が言う。
「すげえな」
「はい?」
「その予感当たってんぞ、たぶん」
「……」
「後悔してもおせえぞ」おれは笑いながら、オートロックの扉の向こうに進んだ。

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「本日はお呼び立てしてしまってすいません」クロスという男は言った。
「で、用件は?」
「そちらの方は?」
「ああ、こいつはおれの弟子。問題ある?」
「いえ。失礼しました。単刀直入に申しますと、組織解体にともなう財産分与の話です」
「財産分与?」
「組織では、班長という絶対的な権力をめぐるいざこざを抑止するために、班長になった時点で遺書の提出が義務付けられてました。それがこちらになります。班長は文章を書くのが嫌だと言うので口頭陳述の書き起こしですが」

 遺書

 俺は死なないような気がするから大丈夫な気がするんだけど、ダメ?
 俺が死んだら? そんなの想像できねえよな。でもやんなきゃダメなんだろ? 俺が死んだ後の田所班は、つっても黒須しかいねえもんな。そのまま解体してほしい。一番大変なのはたぶん黒須だから、あいつには次の仕事先の斡旋と、退職金として3年分くらいの給料を渡してやってくれ。その後で、残った金を――ずいぶん残るはずだから――内部留保なんかしないで、俺にかかわったやつに均等に分配してほしい。俺の持ち物はすべて処分してくれてかまわない。ああ。俺の部屋にある獣王だけはレンくんに返してほしい。お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しください。これくらい言っておきますか。以上。田所類でした。

 証人 白取亜美

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「この白取亜美って人は?」
「組織の関連企業で顧問をしてくれた弁護士さんです」
「……」
 白取絵美。白取亜美。偶然の一致だろうか?
「それで、こちらが獣王という台だそうです」
 ビロードの布に包まれていたその台は、コピー打法可能の初代獣王だった。それからドアキーと設定変更キー。こんなもんどこから見つけてきたんだ?
 不可解な顔をしていると、クロスは言った。
「お手数をおかけしますが、お持ち帰りください」
「あいつは死んだのか?」
 クロスは本心ではない、という顔で口を真一文字に結んだ。
「田所班長は消えてしまいました」
「殺されたってこと?」
 クロスは首を横に振った。
「私はこの件に、これ以上かかわりたくないので、何も申し上げられません」
「……つうか、こんな重いもん、持って帰れないだろ」おれは苦笑した。
「車使いますか?」
「ああ、そうするわ」
 おれたちはおれのアパートに獣王を運び、今間に引き返して車を車庫に戻し、クロスという男に車の鍵を返した。なぜか、山下宍道は終始上機嫌だった。
「では、本件をもって、田所班の解体とさせていただきます。証人ということで、ここにサインをいただけますか?」
 おれは署名した。

   永里蓮

「これで終わり?」
「はい。ご足労おかけしました」
「じゃあ、おつかれ」そう言って立ち上がろうとすると、「あの……」と呼び止められた。
「ん?」
「田所さんは、弱者のためのセーフティネットをつくろうとしていました。真剣に」
「うん」
「それで実際、助かった人も大勢いるはずなんです……」
「あいつも畳の上で死ねるとは思ってなかっただろ。あいつのしてきたことを無にしたくないというのなら、あいつの意志を継いだらいいんじゃねえの。って、初対面何でえらそうだな、ごめん」
「いえ、ありがとうございます」

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 山下宍道が高揚した顔で言った。
「やっぱ永里さんといると、何かありそうっすね」
「なあ、さっきも言ったけど、おれと仲良くなるやつはたいてい死ぬ」
「人間は死に近接しないと生を感じられない生き物らしいっすよ」
「おれは自分の身しか守らないからな」
「永里さんはおれのことなんて気にせず、したいようにしてください。おれが勝手に永里さんの後ろを追いかけるんで」
「……そういうこと言うやつに限って、いなくなるってのがパターンだよな」おれは笑った。

 山下を家まで送り(デカい家だった)、部屋に帰ってきて、腕を組む。さて、どうすっか?
 バイトをしたおかげで、スペシャリストとは言えないまでも、接客における姿勢、心構えは身についた。次は漠然と、山崎が次につくる店の構想段階から、学ばせてもらおうと思っていた。だけど、そんなことをしている場合ではないような気がする。何かを忘れているような……とりあえず、珈琲でも飲むか。

 お湯を沸かしている間にキリマンジャロをミルで挽き、コーヒープレスに落とす。少量のお湯を注いで少し蒸らし、一気に湯を投入、ふたをはめ、数分待って、金属フィルターをじじじとおろし、できあがり。
 ほろ苦い珈琲を飲んでいるうちに、獣王の筐体が目に入った。ここで起動させたらうるせえだろうな、と思いつつ、ドアキーを回す。
 筐体の中に入っていたのは、コピー用紙の束だった。

 感謝。

 おそらくは類のものだろう筆致の後に、こんな文章が続いていた。



  記憶が波のように、寄せては返す波のように揺れていた。


 ゆるやかな波が行ったり来たり。巨大な橋の向こうには緑色の島が霞んでいる。その緑はほとんど黒に近い。おれは横になり、学ランの胸ポケットからクールマイルドを取り出し火をつけた。煙が灰色の雲を目指してするすると立ち昇り、しかし煙のあまりにも淡いその願望はすぐに風にさらわれ見えなくなる。空気と混じり、消えていく。

「こらあ、未成年。喫煙、及び授業のサボタージュ。そんなんしてると禁固三年に処されんで」

 寝たままの姿勢で仰ぎ見ると、ハルタの茶色のローファーが、ラルフローレンの紺色のハイソックスが、この街の女子にしては短い部類に入る膝丈の黒いスカートが飛び込んできた

「サボタージュて」体勢を起こしながらおれは言う。「破壊活動って意味やねんで」

「じゃあボイコット?」

「それならええわ」

「ええんや。なあ、うちも横、座っていい?」

「パンツ汚れんで」

「もうあんたにじゅーぶん汚されとう」

「ああそう」

「なー、蓮、かまえやー」

「ああ」

「なあ、て。うちにもタバコちょーだい」

「あかん」

「何で?」

「女はタバコ吸わん方がええねん」

「差別や差別」

「そうや。男は差別したがる生き物やねんぞ」

「泣くで」

「泣けや」

「……」

「ホンマに泣くか? 女優か、おまえは。ほら」

「サンキュー」

 氷野は猿みたいに口を尖らして、いかにも美味そうにタバコを吸った。
 
 


 ……何だこれ? 

 おそらくは、神戸、須磨海岸からはじまるその文章は、おれという一人称で書かれていた。気恥ずかしくなるような氷野との日常があって、義父さん(当時のおれはぎふさんと呼んでいた)の会社がつぶれることを告げられ、元服だと言ってXYZを飲ませてもらった後、義父から300万円を受け取り、逃げるように東京に向かう。まるでおれの記憶を剽窃したような文章だった。おれはパチンコを覚え、そして、スロットを覚える。そう。記憶のままだった。
 しかし、この綾香という人物がわからない。おれには幼なじみなんていない。誰がおれの人生にこんな登場人物を書き加えたのだろう?
 読み進めていくうちに、文中のおれは綾香という幼なじみと再会を果たす。綾香は言う。
「私の名前は白取亜美」と。

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 物語は、「氷野アキか、水沼綾香か。どちらかを選べ」と母親に言われ、どちらをも選ばずに、おれが自殺するところで終わっていた。主人公はたぶん、それが最善の策だと信じたのだ。読んでいるおれが同じ状況になっても、同じことをするような気がする。
 記憶にあることと、記憶にないこと。おれは混乱していた。疑念。戸惑い。感傷。色んな感情で渋滞していた。それだけじゃない。300万を手にはじめた新しい生活。忘れられない女性。今の状況とも酷似していた。おれは人生をくりかえしているのだろうか? それとも誰かの操る糸で動かされているのだろうか?

 そういえば、牙大王がこんなことを言っていた。
「その傷を持つ人間は逃れられない。時空移転装置みたいなものです。何をしていても、過去のある地点に戻ってしまう仕掛けなんです」

 コピー用紙の束をトントン、と揃えて獣王の筐体の中に収め、シャワーを浴び、ひげを剃って真新しい服に着替え、外に出た。電車を乗り継いで東京駅に向かい、東海道新幹線の自由席のチケットを買って、やって来たのぞみに乗車した。
 新幹線内を巡回する販売員からプレミアムモルツを買った。ビールを飲みながら、流れていく景色を見つめた。田園風景があり、郊外の景色があり、住宅街があり、街がやってくる。それがくりかえされる。気づくとおれは眠っていた。

 京都を過ぎた頃、目が覚めた。外はすでに暗かった。まもなく新大阪、トントン拍子に新神戸に到着。
 駅に降りると懐かしい香りがした。が、その源がどこかはわからなかった。記憶力よりも、嗅覚のほうが鋭敏ということか。
 タケに電話をしてみたが、つながらない。8コール鳴らして切った後、再び電話をしてみるも、つながらない。次は6コールで切った。
 勢いで来てしまったものの、タケと氷野に会えなければ来た意味がない。氷野の連絡先は知らない。おれは新幹線のホームにあるベンチに腰をかけ、空を仰いだ。

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「久しぶりやな」
 いつの間にか隣に座っていた男が言った。
「誰?」
 →↑こういう発音で、誰? と言った後、不審の目でおれは男を見た。
「忘れたってことはないやろ」男は言う。
 まじまじと見ても、わからなかった。
「おれ、おれ、おれやって」
「誰? マジでわからん」
「ヒント出そか? イチ、おまえより年上やな。ニ、これ言ったらバレるかな。元、バスケ部エース。サン……」
「ミキモトさん?」
「ベンゴー」男はやたらとテンションの高い言い方でビンゴと言った。
「……は? ミキモトは死んだやろ」
「うん」
「ほな誰?」
「だからミキモトさんやって」
「いつからおったん?」
「ずっとおったで。君のそばにずーっとおった」
「意味わからん」
「何で死んだはずの人間と喋れてるか教えたろか? 自分、今、死にかけてんで」
「は?」
「君はよう頑張った」
「何を?」
「君のことを恨んどうやつは他にもおるし、そいつらの恨みを一身に背負ってようやったわ。いや、ようやったほうや思うで。もうええんちゃう?」
「知らん。てか、人違いじゃないですか?」
「そんなん言うなやあ。さみしいやんけ。おれ、おまえにトリツイテルねんで」
「いつから?」
「ずっと」
「何で?」
「恨みのパワーやん」
「意味わからん。だいたい恨まれることしてへんし。してたとしても、お門違いやし。つうかはよ去ねや。クソが。人間のカスが」
「口わるっ。そんな口悪い子やったっけ自分。おれ、いちよ先輩やぞ」
「人生経験はおれのが長いやろ100パー。あんた十代でいってもうてるやん。四捨五入したらおれ40やで?」
「ついでに死者も誤入したってや」
「くだらんこと言うな。ハゲ」
「……ハゲてへんし」

つづく
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文中画


Francis Bacon" Study after Velázquez"

「ベラスケス後の習作」
フランシス・ベーコン 1950年

原稿用紙換算枚数枚25枚