神を見たものは死ぬ。言葉の中で言葉に生命を与えたものは死ぬ。言葉とはこの死の生命なのだ。それは「死がもたらし、死のうちで保たれる生命」なのだ。驚嘆すべき力。何かがそこにあった。そしていまはもうない。何かが消え去った。

モーリス・ブランショ 「La part du feu」3ベーコン_人物像習作 II
「不死鳥の灰」
♯35 with or without you

まえがき 
    

スロ小説とは何か? 

スロ小説の年表  


 職歴なし、アルバイト経験なしの35歳を雇ってくれるところなんてあるのだろうか、というのは杞憂に過ぎなかった。求人アプリを使ってみると、驚くほど多くの職場が、人手を欲していた。
 前職を偽り、週6で働けます、と言うと、あっさり採用された。もともと、休みなんてない生活をしていたのだ。時給は850円。1日に9時間(うち休憩1時間)。即金ではない生活。現金をさほど必要としない生活。別の生き物になったような気分だった。8時間働く。それを週に6日繰り返す。1ヶ月が経過する。銀行の口座に16万ほどが振り込まれる。それは、性善説と信用をベースにした取引なのだった。1k5万のアパート。食事は自炊。スマートフォン、インターネット。麦焼酎かブレンデッドウイスキー。給料だけで成立する生活。

 人に命令されることを恐れていたが、そんなことは問題ですらなかった。給金の発生する仕事を突き詰めると単純作業であり、単純作業という意味ではパチ/スロと変わらない。職種によって単純さの度合いは異なるが、単純には違いない。単純でないことは、仕事にならない。仕事をもらっている時点で嫌もクソもない。業務内容があって、上役がいて、その役割に即して自分をつくりかえる。クリエイティブであろうとなかろうと、それはクリエイティブな作業なのだった。朝8時に起きる。9時に店に入る。1時間の休憩をはさんで18時まで働く。パチ屋暮らしでは気が引けていた公共の図書館で本を借りて帰宅する。youtubeの音楽を流しながら、米を炊き、料理をつくる。食事を済まし、お茶を飲む。風呂に入って、ストレッチをする。酒を飲みながら、借りた本を読む。0時から1時にはベッドに入る。8時に起きる。くりかえすこと6回。休日は9時に起きて掃除と洗濯をする。長い間耳栓の中で沈黙を強いられていた聴覚の要請にこたえ、ブルートゥースのヘッドフォンでJinmenusagiのsoundcloudなどをかけながら。掃除が終わったら、借りた本を返しがてら、散歩に出かける。

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 体から過剰を抜くような日々だった。簡単なことだ。タバコを吸う人がいなければ、服も部屋も臭いがつかない。が、イライラしている人がいないからイライラすることはない、というほど単純な話でもなかった。年下の同僚は、貴重品をあたり構わず平気で置くし、職場や上役の愚痴を屈託なくこぼす。そんなあれこれにフラストレーションを覚える。つまり、おれはどこでもイライラするのだった。それも新しい発見のひとつだった。もちろん顔には出さないが。
「お疲れーす」と言って、店を出る。
 初夏の街は何かが始まる気配で満ちていた。梅雨なしで夏本番がはじまりそうな。飲みたい気分だったので、ビアパブに入って、ブルームーンの生をパイントでもらう。プレミアリーグの放送を眺めながら、フィッシュ&チップスを食らう。モルトビネガーをたっぷりかけて、食らう。生ビールを流し込む。
 パイント(568ml)を3杯飲んだらお腹がいっぱいになった。一週間の自炊費を上回る額を支払い、外に出る。頭上には楕円形の月が浮かんでいる。着ていたシャツを脱ぎ、腰にかけて歩き出す。大変気分がよい。本心を言えば、20代の頃にこういう生活をしたかった。が、失われた10年を悔いても意味がない。思い出せないものは思い出せない。おれは1k5万のアパートに住み、時給850円のパートタイムジョブを持つ35歳。それ以上でもそれ以下でもない。ありのままの自分にようやく会えた気分だった。

つづく
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Francis Bacon"Figure Study 2"

「人物像習作2」

フランシス・ベーコン 1946年