本当の戦争の話というのは全然教訓的ではない。それは人間の徳性を良い方向に導かないし、高めもしない。かくあるべしという行動規範を示唆したりもしない。また人がそれまでやってきた行いをやめさせたりするようなこともない。もし教訓的に思える戦争の話があったら、それは信じないほうがいい。

「本当の戦争の話をしよう」ティム・オブライエン 村上春樹訳
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「不死鳥の灰」
♯15~19

調子はどうだい、キョーダイ(brothers and sisters)

一週間お疲れ様です。
「一気読みのコーナー」
酒を片手に、お茶、珈琲のおともに、あるいはパチ屋の中でハマリの友に

書くこと、賭けること 寿

まえがき 

♯1~♯9まとめ 

♯10~♯14まとめ 
 




「戻ってくるたびに思うんだ」田所りんぼは言う。「どうして僕は生きてるんだろう、と。それは死にゆくよりも嫌な気分だ。射精の後の虚無(きょむ)感に、大切な人間が去ってしまったときの寂寥(せきりょう)感、二日酔いのときの吐き気、大金を落としてしまったときの後悔、痒い場所がわからない不快、どうして生まれてきたかを考えるときの茫漠(ぼうばく)、知らない街に連れてこられたときの不安感を足しても足りないくらいに」
「だから?」
「君はさっき、僕のことを悪しきもの、と言ったね。善悪とは何か? 揺れる善悪。裏返る善悪。日本のサブカルチャーは、そんなテーマを一貫して追求してきた」
「だから?」
「ゴジラ、デビルマン、ナウシカ、エヴァンゲリオン。彼らは敗戦から生まれた。我々は、戦争を悪と定義することによって切り離し、金を機軸とする価値に特化することで、繁栄を手に入れた。その歪(ゆが)みの体現として物語はある」
「大きな話をして、問題をすりかえるなよ」
「善悪の話は君がはじめたんだよ。悪とは、相対的なものなのだろうか。それとも、絶対的なものなのだろうか?」
「相対的だろ」類は虚勢(きょせい)を張った。「俺にとっての悪と、おまえにとっての悪が、同じもののはずがない」
「個人の視点から見れば、そうかもしれない。だけど、人類全体で見ればどうだろう? 生物全体で見れば? たとえば、白黒つけるという慣用句は、碁石から来ている。これは、西洋文明の言葉ではない。白い鹿、白い猪、神の化身。古(いにしえ)より、この国では白は聖なる色だった。しかし、白と一口で言ってみても、実に様々な種類がある。日本工業規格によると、296種類の名前がつけられている。が、白黒はっきりさせる、というときの白は、唯一絶対の白がなければ成立しない。そのためには、絶対的な白がある、と仮定しなければいけない。つまり、白が善で、黒が悪と、決めつける必要がある。その意味では、たしかに相対的だ」
「そうやって、結論が出るはずのないことをペラペラとまくしたてることで、混乱させようとしても無駄だ」類は言った。「俺はもともとバカだから、混乱なんかしない」
「混乱させようと思って言っているわけではない。むしろ、理解して欲しくて言ってるんだよ。絶対悪について、福沢諭吉がこんなようなことを言っている。現代語訳と要約は僕がしよう。少し、聞いて欲しい。

 人間の不徳を語る種類の言葉はたくさんあるが、それは、徳を語る言葉にも変化する。『驕傲』は『勇敢』に、『粗野』は『率直』に、『固陋』は、『実着』に、という具合にキリがない。が、絶対的に不徳から徳に転じないものが一つだけある。それが『怨望』という言葉である。


『怨望(えんぼう)』、すなわち、うらみに思う気持ちを指して、福沢はこういう言葉で表現している。

『不善の不善なる者』

『怨望はあたかも衆悪の母のごとく、人間の悪事これによりて生ずべからざるものなし』


つまり、諸悪の根源は、『うらみ』であると言っているんだ。

小林秀雄は、なぜ怨望が悪であるかについて、自発性という言葉を使って説明する。

 『怨望』は、自ら顧(かえり)み、自ら進んで取るという事がない。自発性をまるで失って生きて行く人間の働きは、『働の陰なるもの』であって、そういう人間の心事(しんじ)は、内には私語となって現れ、外には徒党となって現れる他に現れようがない。怨望家の不平は、満足される機がない。自発性を失った心の空洞を満すものは不平しかないし、不平を満足させるには自発性が要るからだ。

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 田所りんぼの話を聞いているうちに、荒れ狂っていた類の精神は不思議と落ち着いていた。
「自発性、自発的でないものが悪だとしても、だからといって、何をしてもいいということにはならない」類は言った。
「そう。戦争は常に善と善の戦いという構図になる。悪を決めつけることは、自らを正当化するための、あるいは敵を定義するための、独善的な善なんだ。生命体は敵がいなければまとまらない。生命は根本的に独善的であり、エゴとエゴ、善と善の戦いは、より力を持つ者が勝利する」
 いつの間にか、田所りんぼの手には、拳銃が握られている。
「ここで、君に選択肢を与えよう。生きるか、死ぬか。君が生きたいというなら、君は両親の汚名をかぶってもらう。君が死ぬというなら、君と君のご両親の名誉は保障しよう」
「あんたそればっかだな。上から見下ろすことしかできない。かわいそうに。死ねない人間。死が開放ではない人生。出口のない迷路。自発性の欠如。あんたは自分で言った絶対悪そのものだ」
「……ふむ」田所りんぼはそう言うと、類に向けていた銃口を自らのこめかみに当て、引き金を引いた。
「裏返る」誰かの声がした。
 そして、渇いた音が、倉庫か工場のような空間に残った。

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 カラン、という音がして、田所りんぼが持っていた銃がフロアに落ちた。そこにいるのは、田所りんぼではなく、田所当真だった。
「ギリギリセーフ」トウマは言った。
「……どういうことだよ」戸惑いを隠せない表情で類は言う。
「あの人が死んでしまうと、困ったことになる」
「何で?」
「うまく説明できないんだけど、いいかな」
「いいから言えよ」
「何て言えばいいんだろう……」トウマは倉庫か工場のような場所の高い天井を仰いだ。「僕は田所くんの部屋にあった遺骨の一部から甦ったから、成分が薄いみたいな話はしたよね?」
「ああ。ドラえもんのオイル理論とかって」
「あの人は、厳密に言えば、僕の言った悪しきものじゃない」
「じゃあ何だよ」
「僕ではあるんだ。だけど、僕だけじゃないんだよ」
「は?」
「僕の本体に、田所りんぼという魂が入った状態っていうか……」
「でもあれは田所りんぼさんだった」
「それは、僕のことを知らない人間が、僕の姿を田所くんに見えているのと同じ現象だと思う」
「……つまり、田所当真と田所りんぼをつなぎあわせたやつがいるってこと?」
「ああそうか。そう言えばよかったのか」
「そいつは誰なんだ?」
「わからない」
「わかれよ」苛立たしげに類は言った。
「僕がわかっているのは、君が田所りんぼと呼ぶ人が死んだら、僕らも死んでしまうということ」
「は? 俺も? 何でだよ」
「僕の体は、今、君の右腕なんだ」
「意味わかんねえ」
「困ったな」トウマは言った。「君がバカなのか。僕の口が下手なのか……」
「どっちでもいいから早く話を進めろ」
「今、僕と、僕の本体と、田所類くんは、三位一体(さんみいったい)なんだよ」
「何で?」
「何でも」
「おまえ、おまえの本体、俺が三位一体?」
「そう」
「おまえの本体ってのが、田所りんぼなのか?」
「違う。僕と、田所りんぼさんという人の混交」
「わかりにくいにもほどがある……」
「じゃあ、田所くん、君が名前をつけてくれよ。僕はそういうの苦手だから、君が」
「わかった。トウマとりんぼでトんぼ」
「安易過ぎない?」トウマは笑う。
「……俺が本社、おまえが支社。そこまではわかった。トんぼってのは何なんだよ」
「田所くんの一人称だとその理解でいいと思うけど、僕は、君の言うトんぼの支社でもあるんだよ。死者だけに」
「殺すぞ。くだらねえこと言ってねえでちゃんと説明しろよ」
 ダダをこねる子どものように、地団駄を踏みながらトウマは言う。「だから何度も言ってるだろ。僕はまだ13歳なんだよ」
「そうですね。まだお子様なんですね。よしよし」
「バカにするなよ」
 ふう、と一息吐いて、類はあたりを見渡した。
「親父が死んだ。かーちゃんも死んだ。牙、友だちも死んだ。あいつを殺せるなら、俺の命なんかどうでもいい」
「仮定の話だけどいい?」落ち着きを取り戻したような表情でトウマは言った。
「ああ」
「田所りんぼというのは、失われない記憶のようなものなんだと思う。それはある種のシステムというか、OSであって、実体ではない。誰であれ、そのOSをインストールすれば、田所りんぼになってしまう。今のトんぼがそう。つまり、僕と君とトんぼが死んだとしても、田所りんぼの死にはならない」
「じゃあ無理じゃん」
「田所りんぼという存在を消すことは不可能だと思う」

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 ガラガラと扉が開いた。入ってきたのは組織の幹部、高崎だった。
「田所班長」高崎は言った。「会長の遺言を受け、本部はあなたを組織の次期会長に推挙(すいきょ)することが決まりました」
「……高崎さん。それは、りんぼさんの意思ですか?」
「りんぼさん? あの人は亡くなっただろ」
「じゃあ、どういう理由で?」
「長い話になる。今それを話しているわけにはいかない。とにかく、この場を何とかしなければ」
 類は首を横に振った。
「親父とかーちゃんをこのままにはしておけない」
「おふたりはこのままお連れしよう。とにかく、警察がやってくる前にここを抜け出さないと」
 高崎班の面々が倉庫か工場のような空間に入ってきた。テキパキと、フロアに転がっている遺体を外に運んでいく。
 人にまかせるわけにはいかない。類は父親を背負うことにした。が、自発的に動く可能性のない遺体は重いなんてものではなかった。
「トウマ、悪いけど、俺のかーちゃんをおぶってくれないか?」
 トウマは無言でうなずくと、類の母の遺体を背負った。
「高崎さん、牙も一緒に運んでもらっていいですか?」類は言う。
「わかった」
 部下ではなく、高崎本人が、牙大王の遺体を背負う。外に用意されていたリムジンに、類たちは乗り込んだ。
 類も、トウマも、高崎も血まみれだった。
「高崎さん」類は言った。「あなたは誰の味方ですか?」
「質問の意味がわからないな」高崎は答える。
「たとえば、田所りんぼさんと、組織が反目した場合、あなたはどちらにつきますか?」
「りんぼさんはすでに亡くなっている。その仮定に意味はあるのか?」
「たとえばの話です」
「もちろん、組織だよ」
「本当に?」
「どうして嘘をつかなければいけない?」
「高崎さん。俺が会長になったら、組織をただの非合法集団から、田所りんぼを消滅させることを目的とする集団に変えます。それでも、俺を推挙しますか?」
「田所班長、薬を盛られたんだね。君は少し休んだほうがいい」
「あれ? トウマはどこですか?」
「トウマ? 君は何を言っているんだ?」

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 獣王のリール始動音で目が覚めた。
「おはよう」トウマのあいさつに、類は「今、何時だ?」と返す。
「午前11時だよ」
「俺はどれくらい寝てた?」
「そうだね。15時間は寝たんじゃない」
「そうか。高崎さんは?」
「もちろん帰ったよ」
「親父とかーちゃんと牙は?」
「遺体をここには置いておけないでしょ。組織のうちうちで荼毘(だび)に付されるって。遺骨は遺灰にして後で届けるって言ってた」
「……俺は何をしてた?」
「意識を失ってた」
「そうか」
「ごめんね」トウマは頭を下げた。
「何で謝るんだ?」
「僕のせいで、体力の消耗(しょうもう)が激しくて」
「いまさら何を言ってんだよ」
「ありがとう」
「つうか、なあトウマ、俺は何をすべきなんだ?」
「仲間を集めないと。騎士だけに」
「くだらねえこと言ってんじゃねえよ」
「安心して。仲間といっても、そんなにたくさんいない。僕のことを知覚している人間は31人のクラスメイト中、2人しかなかったんだから」
「ひとりは山田克己だろ」
「イエス」
「もうひとりは?」
「土田孔明くん」
「……マジか」
「しょうがないよね。その二人しか僕のことを覚えてなかったんだから」
「おまえのことを覚えてるとどうなるんだ?」
「13歳の記憶というのは普通、封印される」
「何で?」
「それを代償に、人間は大人になるんだよ。よく言われる喩(たと)えだけど、13歳から15歳くらいの時期は、蝶で言えば成体に変態するための蛹(さなぎ)のようなもので、その期間にものすごいエネルギーを蓄(たくわ)える。記憶というのは、そのエネルギーの残滓(ざんし)に過ぎない。けど、僕は違う。そのエネルギーを丸々保持している。それでも、僕を知らない人にはそのエネルギーは届かない」
「意味わからん」類は困ったような顔で言った。
「僕らはそれぞれ、お互いに罪悪感があるんだよ。負の数を掛けるとどうなるんだっけ?」
「マイナス×マイナス×マイナスは、マイナスだぞ」
「君は算数もできないのかい? 田所類、山田克己、土田孔明、そして、田所当真。マイナスを4回掛ければプラスになる」
「……プラス、ねえ」
 田所当真がレバーを叩き、右からトン、トン、トンとストップボタンを押すと、左リール上段に赤いチェリーがとまってポロロンと台が鳴いた。ちぇ、と舌打ちをした後、類は起き上がる。

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 親が死んでも腹は減る。類はその事実を粛々(しゅくしゅく)と受け止めた。
「なあ、おまえマジで腹減らねえの?」
「うん。その分、君がたくさん食べてくれ」
 類は靴下を履き、ジーンズを穿き、Tシャツ、ドレスシャツ、バーガンディ色のセーターと重ね着し、MA-1風のフライトジャケットをはおると、プラダスポーツのスニーカーを履いて外に出た。
「とりあえず飯食うわ」類は言う。
「もちろん、君の体力事情が僕らの最優先事項だからね」
 ローソンに入り、からあげくんレッド、赤飯おにぎり、ハムサンドと買って食べながらスマホをチェックするが、クロスからの連絡はない。一応、電話をしてみるが、応答がない。事務所に行ってもしょうがないか……。
「どっちから行く?」類は言う。
「どっちって?」
「山田と孔明」
「どっちの方が難しいと思う?」トウマは聞いた。
「難しいって?」
「今してること、仕事も人間関係も、すべてをやめてもらわないといけないからね」トウマはサラッととんでもないことを言った。
「そんなの不可能だろ」
「ねえ田所くん、今、君がいる場所は、片手間で抜け出せるようなところじゃないんだよ。メジャーデビューを義務付けられたフォーピースバンドのリーダーの気概(きがい)で誘わないと」
「何、そのたとえ?」
「何となく」
「孔明はともかく、6年間医大に通って医師免許を取った25歳の男が仕事を辞めるはずないだろ」
「だけど、君はそれをしなければいけない」
「……」
「君のために。そして、僕らのために」
「なあ、トウマ」類は言った。「俺はこの1年でずいぶん色々な人に会った。そして実際に関わり合いを持った。それでわかったのは、人間を動かすには、何かしらのインセンティブが必要ということ」
「インセンティブ?」
「動機付け。人間が行動するには、モチベーションというか、何かしらの報酬が必要なんだ。その内容は人によって違う。人とコミュニケーションができるだけでいい、という人もいれば、金銭しか興味を持てない人もいたり、それでも、すでに行動してる人間の目標を変えるというのは、その目標を上回るようなインセンティブを提示しないと」
「親しい友人の死じゃ、天秤はつりあわない?」
「俺が死んだくらいじゃ何ともならんよね」類は自嘲気味に笑う。
「ぴいぴい喚かないってお母さんに言われてたじゃない」トウマは言う。「君は今、それをしなければいけない。手段は選んでられない。友人の未来? 君の現在よりもそれは大きなものなのかな」
「そりゃそうだろ」
「それでも、君はしなければいけない」
「何を?」
「田所党の再結成を」

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「ともかく」トウマは言う。「問題がふたつあって、難易度が違う場合、どちらから手をつけるか? テストのときは、簡単なほうから解くべきだよね。自分の力が10あったとして、簡単な問題を2か3の力で解いてしまった後で、残った8なり7の力を難しい問題に注いだほうが効率がいい。だけど、これはテストじゃない。山田くん、土田くん、どっちから行く?」
「山田だな」間髪(かんぱつ)入れずに類は答えた。
「どうして?」
「難しい道と、簡単な道、どちらを選ぶ人間のほうがかっこいい?」
「格好の問題なの?」トウマは苦笑する。
「いや、得られるものが10かゼロか。だったら、すべての力を注がなければ、意味がない。だろ?」
「田所くん」
「ん?」
「成長したね」
「……そんなこと前に誰かにも言われたな」
「よし、じゃあ、それで行こう」
 今間の駅まで歩き、類はパスモを使い、トウマは切符を買って構内に入った。トウマはキョロキョロと首を動かして探したが、1000円を貸してくれた駅員は見当たらなかった。

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 電車はガラガラといっていいくらい空いていた。トウマと類は並んで座る。
「ねえ」トウマは言う。「田所くん、君は恋愛は?」
「は?」
「全然しないように見えるけど。どうして?」
「どうしてだろうな」
「もしそれが、両思いだったユーティリティとうまくいかなかったことに端を発しているのだとしたら、申し訳なく思うけど」
「いや、関係ねえだろ」
「今は?」
「恋愛どころじゃねえだろ」
「ねえ田所くん、セックスってきもちいい?」
「おまえそれ、電車の中でする会話か」
「まさか、田所くんは童貞なの?」
「まさか」
「じゃあ、いつ、童貞捨てたの?」
「おまえ、俺のこと詳しいんじゃねえのか」
「僕が生きてた頃は童貞だったでしょ」
「そりゃそうだろ」
「じゃあ何人とした?」
「中学生かおまえは……」あきれたように類は言った。
「だから中学生だって」
「なあ、金やるから風俗行ってくれば」
「嫌だよ」
「何で?」
「何で? だって性欲って極めて犯罪的な衝動のことだよね。ああいうところこそ、セーフティネットじゃないの? 困ったときは風俗がある。性犯罪をせずに済むというような」
「……うーん。その考えはなかった」
「僕は不思議なんだけど、どうして世界の枠を守っている人間に限って、蔑(さげす)まれがちなんだろう?」
「たぶん人間は、自分の中の欲望を直視するのが苦手なんだよ」
「人間じゃないでしょ」トウマは言う。
「ん?」
「大人の悪いところだよね。それは」
「そうかもな」
 違和感なく、こうやってトウマと電車に乗っていることに、類はふと、違和感をおぼえた。トウマは死んだ、はずだった。あの日、学校に行くと、トウマの机の上に菊の花が載っていた。あのときの無力感は忘れようがない。

「君のお母さんは、いい人だったね」
「……」
「いい人だった」
「おまえの家は、あのばーちゃんしかいなかったっぽいけど、両親は?」
「殺された」
「は?」
「昔の話だよ」
「……考えてみれば、俺はおまえのことを全然知らないな」
「僕は君のことをよく知ってるけどね」
「あのばーちゃんは仕事は?」
「仕事はしてなかった。両親が死んだことで保険金が入ってきたから、それで細々と暮らしてた。僕が死んだ後のことはわからないけど」
「そうか」

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「田所くん」
「ん?」
「田所くんっていう呼び名に慣れた?」
「そういや慣れたな」そう言って類は笑う。
「山田くんに何て言おうね」
「真っ向勝負」
「何て?」
「俺の仲間になってくれ」
「仕事を辞めてもらうことはどう伝えるの?」
「仲間になってくれ。仕事は辞めてくれ」
「……バカなの?」
「ワンピースだとそんな感じだろ」
「君は少年マンガの主人公じゃない。そんな能力もない。もうちょっと考えないと」
「うーん」

 山田克己の勤務する大学付属病院は混み合っていた。受付で山田を呼び出してみると、失礼ですが、どのようなお関係ですか? と聞かれ、類はとっさに「兄弟です」と言った。トウマと俺が同じ顔に見えているなら、信憑性(しんぴょうせい)もあるだろう、と。少々お待ちください、と言われ、10分程が経過して、やって来た看護師風の女性は、「山田先生は、とても忙しく、手が空くまでにはかなりの時間がかかる」というようなことを、独特の言い回しで言った。
「あ、ここで待ってるんで大丈夫です」トウマは笑顔で言った。
「そうですか。では、そう伝えます」看護師風の女性はそう言うと、スタスタと去った。
 長椅子に腰をかけつつ「何て言おうな」類は言う。
「君の家族の命が惜しかったら、仕事を辞めろ、とかは?」
「なあ、トウマ。おまえってけっこう暴力的だよな」

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「おせえな」
「ヤマダくんは忙しいんだね」トウマは言う。
「おれらはヒマだな」
「ヒマってのはある意味幸せなことだよね。生命体にとって」
「まあ、危険がないからやることないんだもんな」
「トんぼの話でもしようか?」
「急にどうした?」
「僕には本社がふたつあるからね」
「卑怯なコウモリは誰からも信用されなくなるぞ」類は言う。
「何で?」
「昔々、獣(ケモノ)連合と鳥(トリ)連合が戦争をしていました。その様子を見ていたコウモリは、獣が有利になると見るや、私は毛が生えているので仲間だよ。と言ってすり寄り、鳥が有利になると見るや、私は羽が生えているので仲間だよ。と言ってすり寄りました。しかし、コウモリのそのふるまいは、長くは続きませんでした。ケモノ連とトリ連の間の戦争が終わった途端、獣たちも鳥たちも、コウモリのことを信用できないやつだ、というレッテルを貼って追放したのです。コウモリは、獣の仲間にも、鳥の仲間にもなれず、洞窟の中に潜み、夜になると飛び回るという生活をするようになりましたとさ。fromイソップ童話」
「……」
「どうした?」
「でも、コウモリも、獣や鳥と同じ場所で生活しないで済んで、せいせいしてるかもよ」

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 時間は少しさかのぼる。

 星が落ちてきそうな夜だった。とある病院の一室に、男は音もなく忍び込んでいた。
「りんぼんか?」竹田新三郎は目を閉じたままで言った。
「たけさん、起きてた?」
「起きてるんか、起きてないんか、現実か、夢か、自分では判断でけん。わしはもう死ぬんか?」
「そうだね。もう間もなく寿命が尽きる」
「そうか。なあ、りんぼん、ひとつ聞きたいことがあるんやけど」
「何だろう?」
「おまえやろ。おれの息子をあんなんにしたんは?」
「たしかに、きっかけを与えたのは僕だ。でも、そこから先は本人の意思だ。会長になったことも、死を選んだことも」
「そうか……あいつは死んだんか」
「うん」
「わしが死んだら、あいつに会えるか?」
「死後の世界のことは僕にはわからない」
「おまえは、何を望むんや?」
「たけさんだから正直に言うけどね」田所りんぼは言う。「もう疲れちゃったんだよ。役割を下の世代に託したい。だけど、僕の子孫たちはみんな断る。どうしたもんかね」
「ハハ」竹田新三郎は笑った。「おまえにも跡目問題があったんやな。自業自得や」
「跡目というよりは、筋目の問題かな、キリストの教えはユダ(裏切り者)がいなければ成立しない。というか、ユダこそがキリストを神の地位に押し上げた。じゃない?」
「わしは宗教のことはわからん」
「宗教じゃない。たけさんの話だよ。今日は折り入って、たけさんにお願いに来たんだ」
「昇天寸前の老いぼれに何ができるんや?」
「小僧くんに、あなたの息子、竹田四郎の遺産を相続させたいのだけど」
「そんなもん、わしに決定権があるはずないやろ。あいつには女房子どもがおったやろ? それに、おまえがもし、それを本当にしたければ、わしなんかを頼らんでもやるやろ。何が目的や?」
「僕は、この国の人間を、そしてこの国をひとり立ちさせたい」
「それは方便や」
「方便じゃない」
「じゃあ政治家を目指せや」
「政治家が何かを変えるのは、ほとんど不可能だ。宗主国に都合のよい政策をしなければ、政権が維持できない。田中角栄、細川連立政権、民主党、あなたはあなたの人生で何を見てきたんだ?」
「人間失格、親失格、男としても失格。わしは国のことなんてどうだっていい。自分のことも、息子のことも、今はもうどうだっていい。だけど、小僧には幸せになってもらいたい。もうそれしかない。あいつから両親と弟、片目を奪っただけじゃ飽き足らんのか? わしの全財産をおまえにやる。小僧だけは勘弁してやってくれ」
「お金なんて僕には何の価値もない。知ってるだろ」
「矛盾しとるな」竹田新三郎は言う。「あれの遺産の相続ってのは、銭金の問題じゃないんか?」
「筋(すじ)の問題だよ」
「筋でも武士でも何でもいい。頼む。一生のお願いや」
「たけさん。小僧くんの今の肩書きは?」
「スロプロ、やろ」
 田所りんぼは恭(うやうや)しげにうなずいた。「彼がスロットで勝ったお金は、何十人ものギャンブル中毒者の財布から出ている。そんな小僧くんが幸せになれると、本気でそう思ってるのかい?」
「成人が、自分の意思で使ったお金や。しょせん、この世は椅子取りゲーム。何が問題なんや?」
「たけさん、今まで黙ってたけど、僕はあなたよりも年齢が上だ」
「ふん。だから何や。りんぼん、どうしたんや? いつもの余裕がないぞ」
「……そうかもね」
「わしは今でも夢を見る。師匠と小僧とパチ屋のイベントに並ぶ。わしは一目散にジャグラーコーナーに駆け寄り、台を確保する。ランプが光るか光らないか。ただそれだけのことに一喜一憂する。勝っても負けても帰ってきて『風』で宴会する。越智さんがいて、牙とリバも合流して、トモの料理をツマみながらウマい酒を飲んで、馬鹿話をして……。りんぼん、おまえはいつも笑っとるよ。牙とリバがまた悪さしたけん言うて口では怒る。でも目は笑っとる」
「たけさん。それは失われてしまった夢だよ」
「りんぼん、あれが夢なら、日本の自立も日本人の自立も夢や。わしはもう目を覚まさんでええ。最後にいいものを見せてもらった。もう満足や。でも、りんぼん、おまえは違うやろ」
「……」
「りんぼん。人生の最後にあいつらと出会わせてくれてありがとう」
「……」
「おまえの目的が何であれ。友だちになってくれてありがとう」
「……」
「ありがとうな」

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 田所りんぼは泣いていた。ひとしきり泣くと、横たわる竹田新三郎のまぶたを閉じて、病室を出た。

つづく
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挿入画
「Painting」1946年
フランシス・ベーコン 


原稿用紙換算枚数36枚   
           

また月曜お会いしましょう。

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