いまや人間はじぶんが偶発事であり、意味のない存在であり、理由もなく最後までゲームをやりとげねばならないことを実感しているのだ。

フランシス・ベーコン

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「不死鳥の灰」
♯10 post-truth

まえがき 

スロ小説とは何か? 

スロ小説の年表 
 


 少し時間をさかのぼる。

 田所類と別れた後、田所当真は山田克己が勤務しているという大学病院に向かおうとした。が、今間駅まで歩いた後、トウマは困ったというように天を仰いだ。ポケットを探ってみるも、お金を持っているはずがなかった。トウマは駅員に、とても悲しそうな顔で、「財布を落としてしまいました。切符代を貸して頂けませんか」と言った。
「身分証は……そうか、落としちゃったんだよね」トウマの物言いが同情を誘ったのか、40代後半から50代前半くらいに見える男性の駅員は優しそうな声で言った。「1000円で足りるかな?」
「助かります」トウマはうなずいた。
「はい」と言って今間の駅員はトウマの手に1000円を渡した。「これは僕のプライベートなお金だから、なるべく早く返しにきてくださいね。帰りに一杯飲めなくなっちゃうから」
「必ず返します」トウマはそう言って頭を下げると、切符を購入し、駅構内に入った。
 電車を乗り継いで、大学病院に向かう。受付で田所類と名乗り、伝えてもらった。受付で30分待つと、慌(あわただ)しい様子で山田克己が現れた。
「田所、すまんが今忙しい。後にしてもらえないか?」
「それは残念。山田くん、悪いけど、ここに来るので電車賃がなくなっちゃったから、お金を貸してくれないかな」
「いくら?」
「1万円」
「すぐ返せよ」と言ってトウマに1万円札を握らすと、踵(きびす)を返し、山田は足早に次の現場に向かった。
 ……山田くん? 10メートルほど歩いて足を止め、後ろを振り返る。が、トウマの姿はすでになかった。つうかさっきのあれ、田所だったか? 親指と人差し指を使ってゴリゴリと左右の眼球をマッサージする。電車賃で1万ってのもおかしな話だ。疲れてるんだな……。山田は思った。

 トウマは今間に引き返し、先ほどの駅員に1000円を返し、「ありがとうございました」と言って頭を下げた。
 こんなに早く返しに来るとは思っていなかったというような表情で、「どういたしまして」と駅員は言った。
 ……さて。トウマは思う。このペースで行くと時間がいくらあっても足りない。しょうがない。田所くんの消耗が激しくなるからできるだけ使いたくなかったんだけど。トウマは駅のトイレの個室に入ると、スパン、スパン、スパン、と手刀で自らの体をまるでケーキのように切ったのだった。5体に分裂した田所当真は、それぞれが2000円ずつを持ち、核となるトウマだけが1000円(と、往復の電車代の残り)を手に、かつての同級生の居場所に向かった。

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「驚いたことに」トウマは言う。
「何?」
「誰一人として、僕のことを覚えてなかったんだよ。野球部の佐伯くん、サッカー部の木島くん、美術部の蓬田くん、吹奏楽部の立花くん、君の憧れの吉見さんまで」
「それ、どういう人選(じんせん)なの?」類は言った。
「田所党と、君のアイドル」
「そんなんあったな」遠い星を見つめるような目で類は言った。それから、バーボンを口に含む。
「だから彼らには、僕のことが君に見えている。山田くんだけは少し違ったけどね。あ、社長。山田くんに1万円を借りたから返しておいてね」
「1万? 何に使ったんだよ」
「交通費。イマ中出身者で、今も今間に住んでいるのは少ないからね」
「ここらは何もねえからな」類はバーボンのお代わりを頼んだ後で言う。「つうか、やっぱ今日俺が異常に疲れてるのはおまえのせいなんじゃねえか」
「それは申し訳ない」
「で、何か収穫はあったの?」
「あった。イマ中1年3組。あのときのクラスメイト31人のほとんど全員が僕のことを覚えていなかったことがわかった」
「悲しい話だな……。まあ、俺は覚えてたけどね」
「ありがとう」
「つうか、何で仲間が必要なんだ? 俺、今けっこういると思うんだけど」
「大不幸においては、それが全部ひっくり返るんだよ。忘れたの?」
「だったら、仲間なんかいないほうがいいじゃん」
「これは僕の保険なんだよ。君というよりむしろ」
「おまえの保険?」
「僕と君を同時に攻撃することは難しい。もちろん、本体である君が消滅したら僕もいなくなるけど、それでも」
「悪しきものとかって言ってたけど、それ何なんなの?」
「君の人生で、君が一番大切なものは何?」
「おまえ、ジョジョ読んでねえの? 質問に質問で返すなよ」
「質問に質問で返せないってどういう状況なの? 裁判か何か? それは質問というよりも詰問だよね。立場が対等ではない」
「たしかに」類は納得してしまった。
「悪しきもの、と僕は言ったけど、君にとって悪しきものと、僕にとって悪しきものは、違う可能性がある」
「まあ、そうか」
「そうだよ」トウマは笑う。「僕のばあちゃんは、君にとっては黒ヤギだったかもしれないけど、僕にとっては偉大な黒魔術師だよ」
「黒魔術って悪いやつじゃねえの?」
「これは失敬。最初に白黒を定義してなかった。黒魔術が他者に危害を与える技法。白魔術は他者に恩恵をもたらす技法。そう仮定しよう。でも、白黒は立場によって変わることもあるよね。君にとって黒魔術かもしれないけど、僕にとっては白魔術なんだよ」
「言いたいことは何となくわかるけど、それでも、真実はひとつって考えかたもあるんじゃね?」
 トウマは首を振った。「ポスト・トゥルースって言葉はご存知?」
「トゥルース(真実)、ポスト(~の後)。『2016年を表す漢字』とか流行語みたいなやつだろ。英語圏の」
「……君の頭に知識が入ったおかげで、会話がスムーズになった。これは単純に良いことだと僕は思うね」
「うるせえ。早く話を進めろ」
「20世紀の真実は、『正しいこと』、『善いこと』だった。世界はひとつになる方向で調整されていった。人種差別は悪いことだ。貧困は悪いことだ。すべての人間は平等な権利がある。グローバリズムは、一つの世界という、ある種、偏向された考えで、価値観を統一していった。その結果、何が生まれたか?」
「さらなる貧困と、格差」
「そう。貧困と、格差。それによって生まれたもの。『怨嗟(えんさ)』の連環」
「怨嗟。恨みと嘆き」類は単語の意味を確認するように言った。
「ポスト・トゥルース。真実の向こう側でうごめくのは個人の感情だ。日本では安部政権が権力構造を強化し、イギリスはEUから離脱、アメリカではトランプ政権が誕生した。ユーロ圏はテロリズムに怯え、中東ではひとつのアラブが国家間を超越し、アフリカでは誘拐ビジネスが流行し、東南アジアでもポピュリズムの風が吹き荒れている。傍観(ぼうかん)するにせよ、加担(かたん)するにせよ、その登場人物のほとんど全員がアイフォンなりスマートフォンを使っている。なるほどザワールド」
「おまえそれ、今日一日で知ったの?」
「うん。今日のほとんどは図書館で過ごしたからね。もし、君が大切にしているものが複数あるなら、ひとつに決めておいたほうがいい。じゃないと、守れない」
「守る?」
「悪しきものの手から」
「おまえにとって守りたいものは?」類は聞いた。
「君の存在だよ。田所くん」

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