憎しみってやつあな、悲しみに面と向かって腰を据えらんねえやつが逃げ込む場所だ。

 ゴドー   
ベルセルク17巻より
KIMG9464
「不死鳥の灰」
♯1~9

一週間お疲れ様でした。酒を片手に、または(パチ屋の中の)ハマリのおともに読んでいただけると嬉しいです。

「書くこと、賭けること」寿

まえがき 

スロ小説とは何か? 

スロ小説の年表  



 電話がかかってきたのは、午前3時。田所類は覚悟を持って電話を取った。
「もしもし」
「あ、類?」
 深夜にかかってくる電話は、抜き差しならない内容であることが多い。だからこそ、覚悟を決めて電話を取ったのだ。が、母の声はのんびりとしていた。
「かーちゃん?」
「ねえ類、ちょっと家に戻ってきてくれない」
「……こんな時間に? 何で?」
「あなたの部屋が燃えてるのよ」
「は?」
「だから、あなたの部屋が燃えてるんだって」
「つうかそれが本当なら、電話なんかしてる場合じゃないだろ。早く逃げろよ」
「それがね、燃えるように見えるだけなのよ」
「かーちゃん? 寝ぼけてんのか?」
「違うわよ。燃えてるのに、温度は感じないのよ」
「とにかく、体に問題はないのね」
「体に問題はなくても、びっくりするわよ」
「オヤジは?」
「仕事」
「牙も一緒?」
「うん」
「わかった。今から向かうわ」
「はーい。待ってまーす」

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 不思議なことは慣れているつもりだったが、その光景は常軌(じょうき)を逸(いっ)していた。母親は燃えてる、という表現を使ったが、俺ならやべーことになってるとか、洒落にならんことが起きてるとか言うだろうな。類は思う。
 かつて生活していた2階の部屋のドアが、青紫色の炎に包まれているのだった。
「何これ?」
「すごいでしょ?」
「すごいっていうか……」母が嬉しそうな顔をしているのが謎だった。
「でもね、触ると熱くないのよ」
「いや、こういうのは触らないほうがいいんじゃない?」類は保守的なことを口走っていた。
「ねえ類、中に入ってみてよ」
「やだよ」
「せっかくこんな夜遅くに来たんだから、泊まっていきなさいよ」
「ここで? ふざけんなよ。これは警察か霊能力者の案件だろ」
 母親は笑った。「あなた、お父さんの仕事知ってるでしょ。警察のやっかいにはなれないでしょ。言うに事欠いて霊能者? オカルトスロッターはやめたんでしょ。ほら、男は度胸。行ってきなさい」
「……」
 類はおそるおそる、部屋に入っていく。部屋の中はマグマだまりのように地獄的な光景が広がっていた。シングルベッド。勉強机。本棚。それらが燃え盛っていた。しかし熱は感じられない。
 と、押入れから何か声のようなものが聞こえてきた。マジかよ、と類は思う。たしかに、あぶれたやつは寄って来いとは言ったけど、人外は別よ? 深呼吸をひとつして、類は押入れを開けた。
「田所くん」
「は?」
「ここ。ここ」
「誰?」類は言う。
「僕を忘れた?」声の主はどこかから言うのだった。
「わかんねえよ。つうか、この炎、何だよ」
 ……どうやら、声は中学の頃の指定バッグの中から聞こえていた。
 類は手を伸ばし、イマ中指定バッグを取り出して、ファスナーを開けた。とたんに、部屋を覆っていた炎が消えた。と思うや否や、かつての勉強机の椅子に誰かが座っていた。驚きを通り越し、感覚が麻痺してしまったようだった。「誰?」類は言う。
「田所くん。久しぶりだね」
 その甲高い声は聞き覚えがあった。
「……おまえ、死んだんじゃねえのかよ」
「田所くんは変わらないね」
「だから田所に田所って言うなよ」
「ふふん」
 そう笑ったのは、田所当真(トウマ)だった。

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「おまえ、どっから入ってきたんだよ」
「僕はずっとここにいたよ」怖い話をする人のような言い方で当真は言った。
「なあ、俺は死人と喋ってるヒマねえんだわ。社長は忙しいんだよ」
「田所くんはいくつになったんだっけ?」
「25歳」
「……干支が一回りしたんだね」
「そんなんいいから質問に答えろよ」類は言う。
「質問?」
「だから、どこから入ってきたのか」
「だから、ずっとここにいたって」
「あのな、人間ってのは、飯を食って、排泄して、眠って、それで命をつなげてんだよ。12年間ここで何してたんだよ?」
「暗闇の中にいたよ」当真は遠くを見るような目で類を見つめた。
「おまえが死んだのは13歳だった。でも、今のおまえは俺と同い年くらいに見える。それについては?」
「ばあちゃんが死んだ」
「ばあちゃん?」
「君は僕のばあちゃんに会ったことがなかったっけ?」
「ある」類はうなずいた。「黒ヤギババアだろ」
「ヤギ?」
「おまえの手紙食っちまいやがったんだから」
「……そんなことがあったんだね。でも、僕はあやまらないよ」
「おまえのせいで俺はどれだけ……。まあいいや。おまえのばあちゃんが亡くなったことと、おまえがここにいることと、どう関係してるんだ?」
「ばあちゃんは魔法使いだった」
「はあ?」
「ばあちゃんが死ぬ間際、最後の魔力を使って僕を転生させたんだと思う」
「……おまえ、頭大丈夫?」
「逆に、田所くんの頭は大丈夫なの?」
「……おまえの姿さえ見えなければ、オカルト乙って言って帰って寝るんだけど」
「ずいぶん冷静だね。死んだはずの人間が生き返ったんだよ」
「ああ。こういうの、おまえで二人目だから」
「風変わりな12年を過ごしたんだね」
「いや、風変わりなのはここ2年だけ。おまえが死んだ年を除(のぞ)けば」
「君が驚いてないのは残念だな。一人目の人に少しジェラシー」
「あ」類は何かを思い出したように言った。「おまえの遺灰だか遺骨だかを、あのばあちゃんに渡されたんだよ。あれどこ行ったっけ? ……ああ。それでか。おまえの声がイマ中バッグの中から聞こえたのは」
 トントン、とドアがノックされ、類の母親が入ってきた。
「お友達? こんばんは。お楽しみのところ悪いけど、もう、4時過ぎちゃってるからね」
「こんばんは。田所当真と申します」
「中一の頃、同じ苗字で問題なったやついただろ?」
「あんたが犯人にされたやつ?」
「うん」
「でも、彼は亡くなったんじゃなかったかしら」
「生き返ったんだって」
「へえ。だから燃え盛ってたんだね」
「お母さんも、冷静なんですね」当真は感心したように言った。
「いやいや、そんなことありませんよ」褒められた人が謙遜(けんそん)するような言い方で母は言った。「で、どうするの? 泊まってくなら布団用意するけど」
「いや、お母さんには迷惑をかけられないので、出ます。ほら、田所くん、行こう」
「何言ってんだ、おまえ……」
「君、社長なんだろ? 僕一人くらい泊められるだろ? お母さん、お騒がせしてしまって申し訳ないです」
「いえいえ。何のお構いもしませんで。これでようやく眠れます。……あ、あなたトウマくんだっけ。靴は?」
「靴」トウマは言う。「田所くん、貸してくれないか」
「俺のなんかあったっけ?」類の問いかけに、「お父さんのクロックスがあったわね。お父さんもう履かないって言ってたからあげるわよ」と母は言った。
「いいんですか?」
「どうぞどうぞ」
「すいません」トウマは申し訳なさそうに言った。
「おまえ、そういうこと言えるんだな」驚いたように類は言う。「まあいいや。じゃあ行くわ」
「あ、類、ちょっと待って」
「ん?」
 母は小走りで台所に向かい、何かを持って戻ってきた。
「これを渡しておきます」
 それは桐(きり)でできた小箱だった。
「何、これ?」
「あなたと私の紐帯(ちゅうたい)」
「はあ?」
「へその緒よ」
「……何で?」
「その昔、男の子が戦争に行くときに、これを渡したんですって」
「意味不明」類は言う。
「類。私もお父さんも、覚悟は決まってます。あなたもいい加減、腹を決めなさいね」
「何のだよ?」
「この世界で生きていくということは、この世界で死ぬということなの」
「どういうこと?」
「嫌なことも、悲しいことも、苦しいことも、生きることの一部なのよ」母は言う。「あなたにとってちょっと嫌なことが起きたくらいでぴいぴい喚(わめ)かないの」
「喚いてねえし……」
「ふふふ」トウマは笑う。
「行ってらっしゃい」母はなぜか、戦地に赴(おもむ)く兵隊が敬礼するように右手を掲げた。
 ちぇ、と舌打ちした後、桐の小箱をポケットに入れ、類は「行ってきます」と言った。12年ぶりに再会した当真。真冬の早朝。これ、どういう状況なんだ? と思いながら。

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 中一で自殺した男(田所当真)と、その男のせいで学校中から無視された男(田所類)が、12年ぶりに再会し、早朝の道を並んで歩いている。こんな説明しても、誰も理解してくんねえよな、と思いながら、田所類は空を見上げた。うう……さみい。
「ねえ田所くん」
「だから田所が田所って言うなって。わかりにきーだろ」
「誰に?」
「俺に」
「君は変わらないね」
「あのさあ、俺、被害者よ? よくそんなこと言えるな」
「君はさっきから普通に話しているけれど、僕は見るのも聞くのも喋るのも12年ぶりなんだよ。若干13歳の精神なんだ。もう少し優しく言えないもんかね」
「わかった」田所類は言った。「一発ぶん殴らせて。それでチャラにしてやる」
「いいよ」田所当真はうなずいた。「暴力で解決したければすればいい。ほら。12年ぶりに街角を歩く13歳の精神の僕の顔を殴りたければ殴ればいい。だけど僕の心は屈しないよ」
「……もういいや。俺は帰って寝るから、おまえは魔法のレベル上げ頑張れよ」
「田所くん、僕はこの世界に君しか頼ることができる人間がいないのだよ」
「魔法使いなんだろ。余裕だろ」
「魔法を使ったのは、ばあちゃんであって、僕ではない」
「そこの角曲がったら、おまえが昔、頭部を盗んだお地蔵さんがあるから、お願いしてこいよ」
「オカルトだね」
「オカルト? どの口がそれを言うんだ? おまえの存在自体がオカルトだろ」
「僕だけだったらいいけど、僕以外にも僕がいるんだよ」当真は言う。
「は?」
「僕はたぶん一人じゃない」
「はあ?」
「君がばあちゃんから受け取った遺骨はほんの少しだっただろ? ドラえもんのオイル理論じゃないけど、僕は、わずかな遺骨から出てきたから存在感が希薄なんだ」
「ってことは、もっと強烈なおまえがいるってこと?」
「たぶん」
「とんこつスープみてえだな」類は言った。
「臭い? 我慢して。とにかく今、この世界には僕の仲間は君しかいない。わかったかい? キョーダイ」
「兄弟?」
「僕の体は実体じゃない。人間は死んだら生き返らない。当たり前だよね。僕らは二心同体なんだよ」
「ニシンドウタイ?」
「たとえば」そう言って、当真は電信柱をグーで殴った。
「いってえ」と言ったのは類だった。
「ね?」
「……痛……どういうことだよ?」
「何て言えばいいのかな。僕と君は、支社と本社みたいな関係なんだ」
「支社と本社?」
「そう。僕が支社。君が本社。僕の負債は本社が引き受ける。まあ、社長というくらいだから、理解できるとは思うけど」
「……何か、そんなストーリーの話なかった? ひとりはダメージをくらう。ひとりはダメージをくらわない、みたいなの。マンガか何かで」
「そうかもね」こともなげに当真は言う。「ばあちゃんが魔法を行使するにあたって影響を受けたのかもしれない。ばあちゃんはSF好きだったし。僕は可愛い孫だからね。その条件は吟味したはずだよ」
「……」
「ただ、君自身わかってると思うけど、君は一人で輝くタイプじゃない。だから、僕らには仲間が必要だ」
「仲間?」
「一人目はそうだな。山田くんがいいかな」
「山田って山田克己? 何で?」
「僕の姿は僕を認識してる人にしか映らない。僕の姿が見えるのは、あの1年3組の関係者に限られるんだ」

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 獣王のリール始動音で目が覚めた。
「うるせえ」ガラガラの声で類は言う。「今何時?」
「もう昼過ぎだよ。ねえ、田所くん、これって何が面白いの?」
「スロット?」少し考えた後で類は言った。「そうな、ギャンブルだから面白いんじゃね」
「そうか、ギャンブルできる年齢なんだね」
「ギャンブルでも風俗でも酒でも煙草でも借金でもできるお年頃だわ」
「ふうん」類の借りている1DKの室内を見渡しつつ当真は言った。
「つうか、おまえ、飯は?」
「お腹は空かない」当真(トウマ)は答えた。「その代わり、君のお腹が異常に減るはず……」
「おまえマジで何なの?」類は当真が喋り終わるのを待たずに立ち上がり、伸びをした。「何か疲れが取れてない感じがするんだけど、これもおまえのせい?」
「何でもかんでも人のせいにしないでよ」当真はそう言って、コインをダララララ、と獣王のコイン投入口に流し込み、レバーを叩いた。リプレイが揃い、カバが鳴く。

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 トウマの予言通り、おそろしいまでの空腹が類を襲っていた。一刻も早く何かを腹におさめなければ死んでしまう。類はお腹をくだした人のような格好で外に飛び出した。その後ろをトウマはゆっくり追った。
「おい、急げ」類は言う。
「僕は急ぐのが好きじゃない。何より、まだ歩くことに慣れてないから急げない」
「つって、おまえから離れると、おまえまた何か言うだろ」
「うん。僕は消滅してしまう」
「何なのその脅し。勝手に死ねよ」
「そんなこと言っていいのかな。僕が死ぬと、……(もにょもにょもにょ)」
「おい。もにょもにょ言ってないで最後まで言え」
「切り札は先に見せるな。見せるなら、さらに奥の手を持て」
「何だっけそれ?」
「君が好きだったマンガのワンシーンだよ」
「ああ。幽遊白書か」
「じゃあ、このセリフは?」
「ん?」
『俺がおまえを背負って生きてやる。ほら、今度こそ乗っかれよ。田所当真、同じ名字のよしみだ』
「……」
「さあ、誰の言葉でしょう?」
「……」類は赤面していた。「何でおまえがそれ知ってんだよ」
「ばあちゃんの魔法。君の言霊。それが僕だ」
「……つうか、腹減り過ぎて話が入ってこない」そう言うと、類はローソンに入っておにぎり、メロンパン、からあげくんレッドを購入し、戻ってきた。
「で、何だって?」もぐもぐと口を動かしながら類は言う。
『俺がおまえを背負って生きてやる。ほら、今度こそ乗っかれよ。田所当真、同じ名字のよしみだ』
「それはもういいって」
「じゃあ、これは?『あぶれたやつは寄ってこい。俺が全部面倒見てやる』
「……」
「誰の言葉?」
「……俺……」

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 類のポケットの中で、スマートフォンが振動していた。
「もしもし」
「田所班長。面会希望者がお見えになりました」
「わかった。今から行くからちょっと待ってもらって」
「はい」
「仕事だ」類は言った。
「仕事って?」
「居場所がないやつのセーフティネットつくってんだ」
「僕は?」
「は?」
「居場所がないやつ。僕」
「……だから、こうやって話聞いてるし、泊めてやってるじゃん」
「ふうん」当真は興味なさげにうなずいた。「仕事ならしょうがないね。じゃあ別行動する?」
「おまえ消滅するとかって言ってなかった?」
「いや、君さえ了承してくれたら、方法がないこともないけど、でも、いいの?」
「うん。おまえと離れられるんだろ」
「ちょっと右手貸して」
 類が右手を出すと、当真は山羊座のシュラばりの手刀を類の肩目がけて振るった。右肩に激痛が走った。手がもげた、と類は思う。しかし右手はついている。パニックに襲われそうになったが、類はこらえた。
「これで別行動できる」トウマは言う。
「……おまえ、何した?」
「君の右手を依り代にする」
「は? つうか俺、右手あるぞ?」
「ああ。機能には問題ない。と、思う。ちょっと君の体の消耗は激しくなるけど、君のことだからきっと大丈夫」
「何なのおまえ?」
「背負ってくれるんだろ。右手の一本くらい、いいだろ」
「……後で返せよな」
「山田くんの所在はわかる?」トウマは言った。
「山田克己? あいつ、たぶん忙しいぞ」
「何してるの?」
「どっかの大学病院で研修医してる」
「へえ、あの山田くんがねえ」

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 ひとりになった田所類は、事務所までの道を急いだ。事務所とは組織の隠語であり、たいていの場合、賃貸マンションの一室である。
 類を待っていたのは、二十代前半だろう女性だった。黒のブーツ、灰色のニットワンピース。特に露出が多いというわけではないのだが、どことなくガードの緩そうな雰囲気があった。
「あの……」言いにくそうに女は言った。「借金がかさんでしまって、それで、こちらを紹介されて……」
「借金の理由は?」
「ギャンブルです」
「ギャンブルって?」類は言う。
「バカラです」
「それって裏カジノってことだよね」
「はい」
「パチンコ屋とかは?」
「最近は行ってないです」
「公営ギャンブルは?」
「公営って競馬とかですか」女は質問した。
「うん。競馬、競輪、競艇、オート、ロト、トト、宝くじ」
「やったことないです」
「そう」類は言った。「普段は何をしてる人?」
「普通のOLをしてました。……今は無職ですけど」
 かつての類ならくそめんどくせえ、と思うところだ。が、仕事である以上、これは類の抱える問題なのだった。
「珈琲は好き?」
「嫌いではないです」女は消極的な肯定表現で答えた。
 類は立ち上がり、サーモスのポットに珈琲が入っていることを確認した後、珈琲カップに注ぎ、テーブルに運んだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「何さんだっけ?」
「阿部真理子と言います」
「アベマさんって呼んでいい?」
 女は首をこくりと縦に傾けた。
「アベマさんは何が困ってるか、自分でわかってる?」
「お金がないことです」
「じゃあ、たとえば、借金が今、なくなったとして、あなたの問題はなくなるのかな」
「たぶん」
「じゃあ、借金がなくなったとしたら、バカラはもうしない?」
「……わからないです」
「たぶん、とか、わからない、って自分の人生じゃねえの?」類はなるべく高圧的にならないように言った。
「すいません」
「いや、謝られても」
「……あの、ここに来たら、居場所をもらえるって聞いたんですけど」
「居場所って何だろうね」
「私、住むところもなくて、それで……」
「住むところもないのにギャンブルしたいんでしょ?」
「……はい」
「バカなの?」
「……」
「お金がない。ギャンブルがしたい。それって、矛盾してると思わない?」
「思います」
「ギャンブル依存症。ギャンブル中毒。あるいは病的賭博。そんな言葉を聞いたことある?」
「なんとなく」女は答える。
「アベマさん、あなたのことだよ?」
「何でですか?」
「……」
 頭が痛くなってきた。この今間の地に事務所をつくって以来、引きも切らさず、この手の人間が訪れるのだった。たしかに、居場所がない人間の手助けはしたいと思う。しかし類が考える居場所がない人間とは、居場所が存在しない人間のことだ。居場所を奪われた人間のことだ。居場所を自ら放棄した人間、自ら汚した人間ではない。
「アベマさんさ、そんなにギャンブルしたいんだったら、俺とギャンブルしようか」
「ギャンブルですか?」
「そう。アベマさんがこの先の人生で、裏、表、かかわらず、ギャンブルをしなければ、アベマさんの勝ち。もし、一度でも、ギャンブルをしてしまったら、俺の勝ち」
「私が勝ったら何がもらえるんですか?」
「何が欲しい?」
「お金です」
「いくら欲しいの?」
「今、借金が300万と少しあるので、500万円欲しいです」
「いいよ。じゃあ、アベマさんが負けたら何を差し出す?」
「何を差し出せばいいですか?」
「そうだな。働いてもらおうかな」
「やります」女は言った。
「しんどい仕事かもしれないよ」
「かまいません」
「そう。じゃあ、この契約書にサインして」
「はい」
 女は類の手渡した書類にほとんど目を通すことなく、署名欄に、「阿部真理子」という文字を書いた。
 類は苦渋の表情で書類を受け取ると、言った。「アウトー」
「え?」
この先の人生で、裏、表、かかわらず、ギャンブルをしなければ、アベマさんの勝ち。もし、一度でも、ギャンブルをしてしまったら、俺の勝ち。俺、そう言わなかったっけ? 今、しちゃったじゃん。ギャンブル」
「……そんなの汚いですよ」
「あたりまえじゃん。ギャンブルを何だと思ってんの?」
「……」
「ギャンブルってのは、それに手を出す人間が負けるようにできてるんよ。例外なく」
「ギャンブラーで生活してる人はいないってことですか?」
「それがギャンブルである以上、それで生活できるのは超能力者しかいない」
「でも、昔付き合ってた彼氏はスロットで稼げるみたいなことを言ってましたけど」
「その彼は、スロットをギャンブルとして捉えてた?」
「知りませんけど」
「アベマさん」類はこれ以上ないくらい優しく語りかけた。「ギャンブラーって聞こえはいいかもしれないけど、不安定なところに身をさらさないと興奮できない変態ですって宣言してるみたいなもんなんだ。絶対に負けるゲーム。すなわち、ギャンブルを思う存分したければ、負けても痛まないだけの富を得るしかない」
「私はどうすればいいんですか?」
「……働こうぜ?」

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 アベマさんを見送った後、類は珈琲を一口飲んで、ため息を吐いた。
 彼女は夜の街で働いてもらうことになった。とりあえず、そこで借金返済への道を模索する。居場所を自らなくすタイプの人間は、新天地でも同じことをする確率が高い。だけど……。
 類はこういう来客を迎えるたびに、いたたまれない気持ちになった。俺だってかつてはギャンブルの沼に溺れていた。ズブズブに。俺はたまたま引き上げられただけだった。それでも思わずにいられない、「甘えんなよ」という語句。右腕が痺れるように痛んだ。ああ、そういえばそんなこともあった。つうかトウマはどこに行ったんだろう? あいつとどうやって連絡を取るんだ? ……考えてどうにかなる問題ではなさそうだ。選択肢のない問題は悩んでもしかたない。何か疲れた。類はそのまま、ソファに腰をかけたままの姿勢で眠ってしまった。

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「おまえが他人の甘えにツッコむ日が来るなんてな」永里蓮は笑う。
「まあ、そうだよね」類は照れくさそうに頭をかいた。「レンくんは? レンくんにはなかったの? ダメだった時代」
「おれはなかったよ。最初から勝てた」
「ああそう」
「そう。モノがちげえ」
「ああそう」
「ちなみに、これ、夢だから」
「は?」
「だからおまえの見てる夢。目が覚めたら、消える夢」
「まあ、夢ってそんなもんだよね」類は言いながら、何かがおかしいことに気づく。「レンくん?」
「I have a dream.マーチンルーサーキングはそう言ったけど、夢ってのは、足りないから見ようとするのかもしれない。満たされていたら見れないのかもしれない……」永里蓮の声は、テレビのリモコンでボリュームが絞られていくように小さくなっていった。同時に、類の見ている世界の日が暮れていく。それはまるで、空に鮮血をまぶしたような夕焼けだった。いや、朝焼けかもしれなかった。類には判断がつかなかった。どちらでもいいか、と思った。

       777

 トントン、とドアがノックされた。俺は眠っていたのか。目をこすりつつ、類は答えた。「はい」
「失礼します」と言って、類のいる部屋に男が入ってきた。
 男の名は、黒須久(クロスヒサシ)。マメで生真面目(きまじめ)なイマ中のひとつ下の後輩であり、類のスケジュールから金銭の管理まで、田所班の長として、類が最も信頼を置く男だった。
 黒須は黒須で、かねてより類に心酔しており、「イマクルズの後はおれだ、クロス」というのが、類が中学を卒業するまでの決め台詞だった。今では彼の封印したい過去であるにしても。
「班長、何か、疲れてません?」クロスは言った。
「うーん」
「この後、3人の面会希望者が来る予定です」
「ああ、そう」
「一人目は、薬物依存症の元売人の男。二人目は、3児の子を抱えてソープで働くアラフォーの女。三人目は、班長の同級生、土田孔明さん」
「は? 孔明? 何で?」
「事業に失敗して、自己破産をしたらしくて、次の事業をはじめる前に話がしたいそうです」
「どうせ金だろ?」
「でしょうね」
「なあ、俺は金貸しじゃねえんだよ」
「おれに言われても」と言ってクロスは笑った。
「なあ、腹減った……」
「出前でも頼みますか?」
「頼む。傘寿庵でカレーソバ大盛り」
「かしこまりました」

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 カレーソバを食べながら、薬物依存症の男の話を聞いた。
「ドラッグは別に悪くないんすよ」男は言う。「たとえば地面に生える植物に、オイ、おまえが悪いんだぞ、と言ってもしょうがなくないですか?」
「……」類は無言でずるずるとソバをすする。
「それに、麻薬とかって、ひとくくりにされてますけど、たとえば、草は大麻取締法っていう法律の区分、Sとかシャブは覚醒剤取締法の区分、Lやクラックは麻薬及び向精神薬取締法。黒人と白人と黄色人種を並べて動物って言ってるみたいなもんですよね」
「人間って言うんだぜ。黒人も白人も黄色人種も」カレーソバの汁をふうふう冷ましながら類は言う。「つうかおまえ、何の話してんの?」
「薬のせいにしがちですけど、悪いのは金ですよ」
「で?」
「薬の被害者の数で言ったら、アルコールのほうがよっぽど凶悪ですよ」
「……で?」
「おれはね」男は言う。「薬の有効利用を目指したいんですよ。そして、平等な世界を手に入れたい」
「そんな目標があるなら、俺なんかじゃなくて、政治家に頼むか、政治家を目指せば」
「そんなのできるわけないじゃないですか。おれ売人っすよ」
「あのさ、君はここに愚痴を言いに来たの?」
「いや、違います」
「じゃあ何?」
「金貸して欲しいんです」
「……」

       777

 子持ちのソープ嬢の話を聞いた後でやって来た土田孔明は満面の笑みで握手を求めてきた。
「久しぶり!」
「……」
「田所くんは変わらないね」
「お、おう……」
 ……田所くん? こいつこんな感じだったっけ。
 ホストみたいなスーツの着崩し方、襟足(えりあし)の妙に長い変な髪形。うさんくせえ、くらいしか言葉が思いつかない。気を取り直して類は言う。「孔明は今何してんの?」
「それは田所くんがおれに興味を持ったってことでいい?」
「……は?」
「すごい計画があるんだ」
「……」
「おれに投資してくれたら、絶対に損はさせない」
「絶対に損しない話なら銀行に話を持ってけよ」
「おれは自己破産したばっかなんだよ」
「なあ、俺はこの矛盾をどう扱えばいい?」類は自問自答するように言った。「絶対に損をしない男の自己破産」
「自己破産ってのは方便だよ」
「は?」
「パチンコにハマって資金を使い込んでしまいました。ギャンブルは恐ろしいものです。二度としません。すいませんでした。深く反省しています」
「……おまえそれ、犯罪じゃねえか」
「おれにとって法律は手段でしかない」
「だから? 俺の存在も手段だって?」
「なあ田所くん、あんた今金を持ってんだろ。それ、おれに管理させてくれないか? 倍。いや、三倍に増やしてみせる」
「調子乗るなよ」
「怒った?」
「……」
「わかった。おれはただ、ビジネスの話をしにきただけなんだ。また来るよ」
「いや、来なくていい。俺は金儲けに興味はない」
「金儲けに興味ないって、田所くん、どうやって生活するつもりなの?」
「俺には俺の理想がある」
「それはたまたまお金があるからだろ。ごまかすなよ党首」
「党首?」
「あんたは変わんねえな。理想論だけじゃ腹は膨れないんだぜ? 暴言吐いてすまん。出直すわ」
 孔明の首元の妙に伸びた襟足を眺めながら、中学時代を思い出そうとした。が、何も出てこなかった。

       777

「失礼します」と言って黒須久が入ってきた。「こないだ面接したサトウさんが勤務先のキャバクラでトラブルを起こしたみたいで、マネージャーの佐藤さんが(ややこしいですね)、嘆いてます」
「……サトウさん、サトウさん、ええと、サトウアリさん」
「そうです」
「どうしたって?」
「客の指名の奪い合いみたいなことらしいんですけど」
「そんなもん店側のマネジメントの問題だろ」
「まあ、そうでしょうけど、何かに責任を押し付けたいんですよ」
 頭をポリポリとかいた後、類は言った。
「全部自前でやるか」
「はい?」
「外部に委託(いたく)するから、コミュニケーションの問題が起きる。キャバクラも、レストランも、建築業者も、全部。つうか、そもそもの話、この問題は日本の教育の問題なんだよ。学校つくれないかな?」
「あの、それ、全部でいくらかかると思いますか? 人材がどれだけ必要だと思いますか? コネがどれだけ……」
 クロスの言葉をさえぎるように類は言った。「わかんねえけど、何とかならねえ?」
「なるわけないでしょう。総合商社の衰退の原因わかってます? モーレツ社員みたいなのはもういないんです。法律に保障された労働力では間に合わない。それに、うちは一応、食品会社です。今あるものを壊すのもお金がかかるんですよ」
「うーん」天井を見上げながら、類は言った。「じゃあ、いっそのこと、全部やめちまうか。で、最初からやり直す」
「それは賛成です。条件つきですが」
「条件って?」
「班長が経営から手を引くという」
 くっくっく、と類は笑った。「おまえはどうして大学卒業しなかったんだ?」
「父親の会社がやばかったからですよ。言ったでしょ」
「でも、会社は立ち直ったんだろ」
「誘った本人が言いますかね。そういうこと」
「おまえっていつも冷静なのに、時々爆発するよね。『イマクルズの後はおれ、クロス』だっけ。くくく」
「……イマクルズなんて恥ずかしい過去をよく自分から口に出せますね」おぞましいものを口にするような言い方でクロスは言った。
「恥ずかしいことは言いまくって慣れたほうがいいよ。羽生善治が言ってた。よいことも悪いことも残像を残さない。忘れられないことは言って慣れる」
「参考にします。で、どうしますか。パンドラの佐藤さんに菓子折りでも持っていきますか?」
「うーん」類はソファの背もたれにもたれながら、天井を見上げた。「これはたぶん、俺がナメられてるってことだよな」
 類はポケットからスマートフォンを取り出すと、電話をかけた。
「もしもし。お疲れ様です。田所です」
「あ、いつもお世話になってますぅ。どうしました?」
「何か問題があったとか?」
「問題、というと、ええと……」キャバクラのマネージャーである佐藤はしどろもどろで答えた。「ああ。先日紹介してもらった子の気性がちょっと激しくて」
「今までにそういう子はいなかったんですか?」
「……はい?」
「今まであなたの店で働いた女の子は、全員品行方正で、管理が簡単だったの?」
「そんなわけないじゃないですか」
「じゃあ、おたくではスタッフの教育も管理もできないっていうことですかね」
「いや、そういう話ではなくてですね」
「じゃあどういう話?」
「すいません。あの、近況報告で、黒須さんにお話しただけで、田所さんのところまで行くとは思わなかったというか……」
「あなた、マネージャーですよね。店の管理があなたの仕事ですよね。自分の店で働いている女の子の問題はあんたの問題じゃねえの?」
「すいませんでした」電話の向こうの佐藤は頭を下げていた。「以後、精進します」

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「班長」クロスは言った。
「ん?」
「10分後に面会希望者が来ます」
「……わかった」


 途切れることのない来客に疲れ果て、駅前の焼き鳥屋で米焼酎を飲みつつ牛串をほおばっていると、右ポケットの中でスマートフォンが振動していた。
「もしもし」類は言う。
「田所さん、お疲れ様です」
「ああ、佐藤さん。どうしたの?」
「あの、さっきの今で言いにくいのですが、ミツハさん。そちらで紹介してもらったサトウアリさんが店に来ないんです。連絡も取れなくて。実はこれで無断欠勤4日目なんです」
「わかりました。俺が連絡してみます」
 携帯の番号にかけてみるが、繋がらない。類は焼酎を飲み干すと、会計を済まし、事務所に戻って合鍵を手に取って、女の住むアパートに向かった。

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 チャイムを押す。反応がない。渋々、類は合鍵で扉を開けた。声をかける。反応がない。電気をつけ、靴を脱ぎ、部屋に入る。用心深く進むと、リビングに横たわる女を発見した。傍(かたわ)らには、佐藤有さん、と書かれた病院でもらう薬用の紙袋が転がっている。そして度の強いスピリッツの瓶。類は呼吸の有無を確認し、体温を確認し、その肉体の持ち主がこの世界からいなくなっていることを悟った。しかし、本当に彼女は死んでいるのだろうか? 人工呼吸や心臓マッサージをするべきなのか?
 類はテンパっていた。しかし一方で、冷静でもあった。殺風景な部屋だった。暮らし始めて1ヶ月も経っていないこともあるだろうが、部屋を飾るものが何もない。とても女の子の部屋には見えなかった。アルコールの匂いはおろか、特に饐(す)えた匂いもない。現実感がない。ここに死体があることを除いては。何にせよ、心を静めなければいけない。俺が今慌てても、事態は進展しない。彼女が生き返るはずもない。深呼吸をくりかえし、考えをめぐらせた。状況を見る限り、自殺なのだろう。しかし、この部屋を管理しているのは組織の手がかかった不動産屋だ。……類は首を振った。何かを隠そうとして、問題を拡げるわけにはいかない。
 類は警察に電話をすることにした。駆けつけた巡査の質問に答えているうちに、日付が変わってしまった。

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 キャバクラのマネージャーに電話で説明した。佐藤は申し訳なそうな声で、何か、すいません、と言った。それじゃ、と言って類は電話を切った。眠れそうになかったので、在原駅まで歩いて、朝まで開いているカフェバーに入った。
「いらっしゃいませ」
 まだ二十代のマスターが言う。
 暖かいおしぼりを受け取りながら、「バーボンをください」と類は言った。「香りが甘いのがいいです」
「飲み方は?」
「ロックで」
「かしこまりました」
 マスターはオールドフィッツジェラルド1894というボトルを手に取って類の前に置き、ゴツいロックグラスに自ら磨き上げた球形の氷を入れ、目分量でどぷんと注いだ。カクテルスプーンで何回か球形の氷を回すと、類の前に木製のコースターとともに差し出した。「ちょっと多めに入れといた」マスターは茶目っ気のある顔で言う。
 深夜2時を回り、店内に他の客の姿はなかった。ヴォーカルの入ったダンサブルなジャズのナンバーがかかっている。類はバーボンを一口飲んで、一息ついた。
「寒かったでしょう」マスターは言う。
「そうですね」そう言われて、焼き鳥屋にコートを忘れてきたことに気づいた。しょうがない。明日取りに行こう。
 そのバーボンは、類の思考を回す効果があったらしい。「……あの、どうしてこの店はタローズっていうんですか?」
「実は1号店は、関西にあったんですよ」
「松田遼太郎さん、ですよね」
「……もしかして、1号店に行ったことあります?」
「いや。長い話なんですけど……」
 カラン、という音がして、店の扉が開いた。そこに立っていたのは、田所当真だった。
「いらっしゃいませ」タローズのマスターはそう言いながらも、不思議そうな表情を浮かべている。「双子?」
「そうなんですよ」くだけた調子でトウマは言った。「ねえ、兄貴、そんな顔して、また空腹でイライラしてるんじゃない?」
 言われてみると、たしかに腹が減っていた。
「何か食べるものはありますか?」類は言った。
「腹にたまる系だったら、パスタ、ピザ、リゾット。チャーハンとかもできるけど」
「スパゲティとチャーハンをください」類は言う。
「ガーリックオイル、トマトソース、クリーム系……後何ができるかな」
「ガーリックオイル系で何かお願いします」
「かしこまりました。弟さんは何飲みます?」
「僕はお酒が飲めないんで、何かジュースをください」
「嫌いな果物はありますか?」
「ないです」
 冷蔵庫からマンゴーとレモン、オレンジを取り出して、ジューサーにかけ、ノンアルコールカクテルをつくってトウマの前に置いた後、「田所さん、ちょっと中入るから、店見ててね」マスターはそう言って、厨房に入っていった。
「……てかトウマ、何でここがわかった?」
「支店が本社の場所を把握してるのはあたりまえでしょ」
「つうか何で、マスターにはおまえが俺に見えてんだ?」
「朝言ったじゃない。僕のことを知らない人には僕が見えないって。だから君の右腕を借りたんだよ。おかげでさまで、僕のことを知らない人には僕は君の姿に見える」
「なあトウマ、俺、今ふざけたい気分じゃないんだわ。わりいけど」
「ふざけるって?」
「おまえみたいなふざけた存在を許容できない。キャパオーバーっつうか」
「ふふ。ふざけた存在でごめんね」

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「なあ」類はトウマの顔を見ずに、バーボンを両手で包み込むように持ったまま言った。「たとえば、何かおまえが犯罪をおかす」
「うん」
「人にはおまえの姿は俺に見えてる。ってことは、必然的に、その犯人は俺になる。よな?」
「まあ支社と本社だからね。そういうことになるね」
「……たまんねえな、おい」
「でもたとえば、君が何かの拍子に死んじゃったら、僕もいなくなるよ。そういう意味では、僕は君に依存している」
「それ、俺にメリットがひとつもねえけどな」類は自嘲気味に笑うと、バーボンを一口飲んだ。
「人が人に提供できるものは価値だけじゃない。僕はそう思うけど」
「難しい話はやめてくれ」類は言う。「人間は自分よりも、他人にとって価値のある人間を目指そうとするんじゃねえの。普通、一般的に……」
「田所くん」トウマはマンゴーのカクテルを一口飲んだ後、類の顔を覗(のぞ)き込むようにして言った。「何かあった?」
「さっき、俺がキャバクラに紹介した女の子が死んだ」
「どういう理由で?」
「さあな」
「ねえ田所くん、自分の人生を自分で終わらせるという現象は、とても多いというわけではないけれど、少ないというわけでもない」
「おまえがそれ、言うか?」
「僕も一般的な話をしてるだけだよ。わかってる数だけで、年間3万人弱。全世界だとどれくらいかな。僕たちが会話している間にも、人は自ら死を選んでいる。君がその女性を死に追いやったわけじゃないんだろ」
「でも、俺が介入しなければ、こんなことは起きなかったかもしれない」
「君は歩くとき、足元を這い回ってる生き物に気をつけて歩いてる? 君の体内に住む微生物たちに気を使ってる? 今、ここでこうやって料理を待っているけど、その料理はもともとは何だった? 自分とかかわりのある命が失われたときだけ傷ついたフリをして、それで保てるのだとしたら、小さなエゴだね」
「そうかもな」
大不幸は覚えてる?」
「あんまり」
「覚えてるってことだね。僕はこの目で見ることは叶(かな)わなかったけど、あのとき、クラスメイトは君に対してどういう反応を示した? それを思い出してみれば、人が自ら死を選ぶことも、理解できるんじゃない?」
「……でも、あの頃の俺にも落ち度はあった」
 トウマはマンゴーのカクテルを飲んだ後、頭上で回るファンを興味深そうに見つめた。
「ねえ、田所くん、今日一日、僕は色々なところに行ったよ」
「ああそう」
「君の好きだったユーティリティにも会ってきた」
「吉見か」
 吉見由宇。それは、類が中学1年生の頃好きだった女の子の名前だった。
「彼女は僕のことを覚えてなかった」
「まあ、12年も前のことだし、死んだはずの人間がいきなり現れてもポカン、だろ」
「中学生の頃のアイドルが今何してるのか興味ない?」
 類は首を横に振った。「俺は今、自分のことで精一杯」
「今地球上で何が起きてるのか知ってる? 宗教対立、難民の大移動、理想論と感情論、グローバリゼーションと反グローバリゼーション。ここ12年の新聞をざっと見た限りだと、僕が生きていた頃よりも大きな変動が起きてるように思えるけど」
「過渡期(かとき)じゃない歴史はないって言うぜ」
「そうかもしれない。でも、そんな時代に、どうして自分のことだけを考えられるんだろう? というか、どうして人間はみんな自分勝手なんだろう」
「まるでおまえが自分勝手じゃないみたいな言い方だな」
「僕は自分が人間だなんて思わない。食事も睡眠も必要ない。ほとんどすべての機能を君に依存している。そんな状態で生きているとは思えない」

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 マスターが料理を運んできて、話はそこで立ち消えになった。類はがむしゃらに料理を食らった。食らった。ダイエットをしている人間が見たら、卒倒するような光景だった。午前3時。キノコと鶏肉と青ネギのペペロンチーノ、レタス炒飯、水を飲む。水を飲む。チャーハン。ペペロンチーノ。あきれたような顔で、トウマはその様を眺めていた。
「おまえはいらねえの?」類は言う。
 トウマは首を振った後で言う。「まるでサイヤ人だね」
「おまえイチイチたとえが古いんだよ」
 あっという間に類は食事を終え、バーボンのお代わりを頼んだ。
「ここでひとつ、お知らせがあります」トウマが言う。
「何?」
「僕の本体が動き出した」
「本体って?」
「君の要素のない僕」
「意味わかんねえよ」
「恨み、つらみ、妬(ねた)み、嫉(そね)み、僻(ひが)み、の塊(かたまり)」
「聞いてるだけで滅入(めい)るな。そのネガティブ代表は何が目的なわけ?」
「果実の収穫だよ」
「は?」
「今度こそ、君のすべてを奪いに来る」
「どういうこと?」
「幸が大きければ大きいほど、不幸もまた大きくなる」
「……」
「大不幸はまだ終わってないんだよ」


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