いまや人間はじぶんが偶発事であり、意味のない存在であり、理由もなく最後までゲームをやりとげねばならないことを実感しているのだ。

フランシス・ベーコン

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「不死鳥の灰」
♯5 gambler's fallacy

まえがき 


 ひとりになった田所類は、事務所までの道を急いだ。事務所とは組織の隠語であり、たいていの場合、賃貸マンションの一室である。
 類を待っていたのは、二十代前半だろう女性だった。黒のブーツ、灰色のニットワンピース。特に露出が多いというわけではないのだが、どことなくガードの緩そうな雰囲気があった。
「あの……」言いにくそうに女は言った。「借金がかさんでしまって、それで、こちらを紹介されて……」
「借金の理由は?」
「ギャンブルです」
「ギャンブルって?」類は言う。
「バカラです」
「それって裏カジノってことだよね」
「はい」
「パチンコ屋とかは?」
「最近は行ってないです」
「公営ギャンブルは?」
「公営って競馬とかですか」女は質問した。
「うん。競馬、競輪、競艇、オート、ロト、トト、宝くじ」
「やったことないです」
「そう」類は言った。「普段は何をしてる人?」
「普通のOLをしてました。……今は無職ですけど」
 かつての類ならくそめんどくせえ、と思うところだ。が、仕事である以上、これは類の抱える問題なのだった。
「珈琲は好き?」
「嫌いではないです」女は消極的な肯定表現で答えた。
 類は立ち上がり、サーモスのポットに珈琲が入っていることを確認した後、珈琲カップに注ぎ、テーブルに運んだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「何さんだっけ?」
「阿部真理子と言います」
「アベマさんって呼んでいい?」
 女は首をこくりと縦に傾けた。
「アベマさんは何が困ってるか、自分でわかってる?」
「お金がないことです」
「じゃあ、たとえば、借金が今、なくなったとして、あなたの問題はなくなるのかな」
「たぶん」
「じゃあ、借金がなくなったとしたら、バカラはもうしない?」
「……わからないです」
「たぶん、とか、わからない、って自分の人生じゃねえの?」類はなるべく高圧的にならないように言った。
「すいません」
「いや、謝られても」
「……あの、ここに来たら、居場所をもらえるって聞いたんですけど」
「居場所って何だろうね」
「私、住むところもなくて、それで……」
「住むところもないのにギャンブルしたいんでしょ?」
「……はい」
「バカなの?」
「……」
「お金がない。ギャンブルがしたい。それって、矛盾してると思わない?」
「思います」
「ギャンブル依存症。ギャンブル中毒。あるいは病的賭博。そんな言葉を聞いたことある?」
「なんとなく」女は答える。
「アベマさん、あなたのことだよ?」
「何でですか?」
「……」
 頭が痛くなってきた。この今間の地に事務所をつくって以来、引きも切らさず、この手の人間が訪れるのだった。たしかに、居場所がない人間の手助けはしたいと思う。しかし類が考える居場所がない人間とは、居場所が存在しない人間のことだ。居場所を奪われた人間のことだ。居場所を自ら放棄した人間、自ら汚した人間ではない。
「アベマさんさ、そんなにギャンブルしたいんだったら、俺とギャンブルしようか」
「ギャンブルですか?」
「そう。アベマさんがこの先の人生で、裏、表、かかわらず、ギャンブルをしなければ、アベマさんの勝ち。もし、一度でも、ギャンブルをしてしまったら、俺の勝ち」
「私が勝ったら何がもらえるんですか?」
「何が欲しい?」
「お金です」
「いくら欲しいの?」
「今、借金が300万と少しあるので、500万円欲しいです」
「いいよ。じゃあ、アベマさんが負けたら何を差し出す?」
「何を差し出せばいいですか?」
「そうだな。働いてもらおうかな」
「やります」女は言った。
「しんどい仕事かもしれないよ」
「かまいません」
「そう。じゃあ、この契約書にサインして」
「はい」
 女は類の手渡した書類にほとんど目を通すことなく、署名欄に、「阿部真理子」という文字を書いた。
 類は苦渋の表情で書類を受け取ると、言った。「アウトー」
「え?」
この先の人生で、裏、表、かかわらず、ギャンブルをしなければ、アベマさんの勝ち。もし、一度でも、ギャンブルをしてしまったら、俺の勝ち。俺、そう言わなかったっけ? 今、しちゃったじゃん。ギャンブル」
「……そんなの汚いですよ」
「あたりまえじゃん。ギャンブルを何だと思ってんの?」
「……」
「ギャンブルってのは、それに手を出す人間が負けるようにできてるんよ。例外なく」
「ギャンブラーで生活してる人はいないってことですか?」
「それがギャンブルである以上、それで生活できるのは超能力者しかいない」
「でも、昔付き合ってた彼氏はスロットで稼げるみたいなことを言ってましたけど」
「その彼は、スロットをギャンブルとして捉えてた?」
「知りませんけど」
「アベマさん」類はこれ以上ないくらい優しく語りかけた。「ギャンブラーって聞こえはいいかもしれないけど、不安定なところに身をさらさないと興奮できない変態ですって宣言してるみたいなもんなんだ。絶対に負けるゲーム。すなわち、ギャンブルを思う存分したければ、負けても痛まないだけの富を得るしかない」
「私はどうすればいいんですか?」
「……働こうぜ?」

つづく
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