最終話「イマクルズ」
PM 0:20 田所類 自宅 リビング
母はソファの上で眠っていた。
ほっとしたように息を吐き、類はブラケットを母の体の上にかけた。
つうか、腹減った。戸棚を探るも、当然、何もない。自分でブランケットをかけた手前気まずいが、類は母の肩をとんとんと叩いた。
「なあ、母さん、腹減った……」
「え?」類の母は自分がどこにいるのかわからなくなった人のような不安な声を出した。「もう夜?」
「昼だよ」
「何、あんた学校はどうしたの? っていうか、もうちょっと寝かしてよ」
「だから腹減ったんだって、死にそうなんだって」
「んんんんん」母は掘削機のような音を喉で鳴らし、それから、ふうううう、と大きな息を吐き、起き上がった。
「何食べたいの?」
「何でもいい」
「何でもいいなら作らない」
「マジ、何でもいい。お願い」
「おうどんね」
「うん」
◆
稲庭うどんをツルツルと食しながら、類は現状の確認をはじめた。
時々母親が帰ってこない問題は、俺にはどうにもならない。パス。
父親が帰ってこない問題も、どうにもならない。パス。
当真が死んだこと。時間は巻き戻らない。パス。
当真の手紙が当真のばあちゃんに食われたこと。同上でパス。
大不幸? 不幸ってのは不可避的だから不幸なんだ。大も中も小もない。運不運は自分ではどうにもならない。考える意味もない。パス。
パス多くね? まあいいか。
俺がどれだけ恨まれていようと、憎まれていようと、恵まれていようと、俺が何かをしたわけじゃない。だからパス。
クラスのやつらが無視してくること……
「ごちそうさま」類は言った。母はすでに夢の中に戻っていた。
パパッと歯を磨き、部屋に戻って制服に着替え、紫色の巾着袋を学校指定の肩がけバッグに入れ、階段を下り、ローファーを履いて飛び出した。無視されないためには? そう。無視できない人間になろう。田所類は一直線に床屋へ向かった。
「させん。ぼーずにしてください」
「坊主? 野球部かい?」床屋のオヤジは言う。
「いや、野球部よりも短く」
「思い切って?」
「思い切って」
「あいよ」
「しゃす」
鏡を見つめ、いいじゃん、と思う。支払いを済ませ、外に出る。懐かしい香りが類の鼻腔を刺激した。何の匂いだろう? 花か、樹木か、過去のどこかで嗅いだことのある匂いだったが、類にはわからなかった。
幾つ目かの曲がり角を曲がると、祈りを捧げているような格好で、お地蔵さんが立っていた。しっかりついているかはわからないが、少なくとも頭部はあるべき場所に載っていた。
田所類は、地蔵の前で両手を重ねた。
「今日から俺は、今中の狂った坊主になります。よろしくお願いします」
神社と地蔵を混同しているようだが、田所類は真剣だった。狂人。山田を上回るくらいの傍若無人。それなら、無視できないだろ?
いいか、当真。
おまえの人生がこれで終わったなんて思うなよ? 俺の人生は続く。俺がおまえを背負って生きてやる。ほら、今度こそ乗っかれよ。田所当真、同じ名字のよしみだ。
田所類は、お地蔵さんに一礼すると、走り出した。
了
あとがき
個人的にはもうひとりの田所くんは実は一族の者で身を隠しただけ…とかだったらいいなと思っていましたw
そして40過ぎると10代の頃の思い出なんて全く覚えてない筈なのに、「つい昨日まで仲良くやってたつもりの同級生がすーっと波が引くように離れていく感覚」を今回の小説を読むことで取り戻してしまいました。(あれは色々きつい…)
スロ打ちって僕含め個人行動を好むタイプが多いだろうと推測しますが、類くんのようにつるんで行動するのに嫌気がさした経験があるんじゃないかなと思います。
次はどんなお話しかなあ?(渡米編はあるのか!)次回作も期待しています。