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スロットを打つ目的によって、パチ屋の中のふるまいは、変わってくる。

期待値を追う打ち手が台パンをしないのは、その行為が単純に得をしないからだ。隣で打っている人の心象がよくなることはないだろうし、勢いあまって破壊してしまったときの、店に対する保障(威力業務妨害罪)みたいなことは、考えるだけで頭が痛くなってくる。だけど、その行為によって、得をすると解釈する人も中にはいるのかもしれない。

人の嫌がることをしないというのは、人と共生するためには守って当然のことのように思えるが、中には、共生したくない人もいるのだろう。が、共生したくないからといって、山賊にジョブチェンジする人はなかなかいない。一市民という恩恵を捨て、梁山泊よろしく、どこかの山(そこすらも、日本国あるいは所有者のものではあるが)に篭り、国家との対立も辞さない人々。しかし、そんなことは誰が考えても無謀である。1960年代は遠い過去なのだ。

共生はするよ。もちろん。そっちのほうが得だから。だけど、隣の客が嫌がることもするよ。ムシャクシャしてるから。

「山賊スロット」に出てくるリバと牙の2人は、そういう人物だった。


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天国で遊んできた人間より、地獄であがいてきた人間のほうが言葉に力がある、と書いたのは、たしか村上龍だった。

天国(モード)を追いかけるぼくらスロッターが遊んでいるのは、天国だろうか? それとも、地獄だろうか?

どちらにしろ、ぼくらの異界めぐりは、あくまでアミューズメントの水準に過ぎない。

賢明なる読者諸氏は気づいておられることと思うが、期待値を追っている打ち手の稼動日記は、最終的に勝つようにできている。さあ、この結果はどうなる!? と煽って、最終的に負けて破産する人は、現在のスロットの期待値を追っている限り、ほぼ、ありえない。期待値とはそういうものだ。土台、運分天分のギャンブルではない。ほとんど詐欺である。必ず勝つ。それでいて、ドキドキはできる。

期待値は、それくらい堅牢な盾なのだ。それに対して、文章は、剣の性質に近い。ぼくが「こう思う」と、書いたところで、それがどう伝わるかは、ぼくにはわからない。できれば、よいものを届けたいと願っているが、刺さりどころが悪ければ、痛みになって、あるいは傷になってしまう可能性がある。

小説家の高橋源一郎は言う。

正義を主張する、政治問題を発言する、環境問題で直接行動に訴える、いずれも立場が悪いのである。いやいや、すべからくなにかをするということはなにもしないことに対して立場が悪いのである。なぜなら、なにもしない限り、決して誤ることはなく、なにかをする限り、大なり小なり人は誤ってしまうからである。

いや、それをさらに進めるなら、『なにかを書くということはなにも書かぬことより立場が悪くなってしまう』のだ」と。

※カッコ、二重カッコは寿が加えたもの。


ぼくの定義する「小説」とは、個人の営みである。「大説」の反義語である。強権的な政治。集団リンチ。満場一致。等々のアンチ装置である。そのことは、小説を書き始めて以来、唯一といっていいくらい一貫した、(ころころ意見を変える自分としては珍しい)ぼくの姿勢だ。それくらい、ぼくは救われてきたのだ。小説を読むことで、小説を書くことで、一人のぼくは救われてきたのだ。雨の日も、風の日も。大負けの日も。飲み過ぎた翌日も。

こんな剣と盾を同時に操るのは、無理じゃないか? とは思う。が、小説は、そうでなければ、書く意味もなくなってしまう。

今年亡くなってしまった文芸評論家の加藤典洋がこんなことを言っている。

火事の中、地面に倒れた。と、誰かが自分の上に覆いかぶさり、気がついたら、その人はもう灰となり、すでに火は消え、自分はその灰に守られ、生きていた。その自分の真先にすべきことが、自分を守って死んだその人を否定することであるとしたら、そういうねじれの生の中に、そもそも「正解」があるだろうか。戦争に負けるとは、ある場合には、そういう「ねじれ」を生の条件とするということである。

おそらく、文学とは、反転装置のようなものなのだ。ある場合には、何かを失うことが、何かを得ることと同義なように。

これは、「書くこと、賭けること」というブログを立ち上げてから、ずっと考えてきた、いわばこのブログを貫く背骨のようなものだ。

「期待値を追うと失うもの」

その答えは、すでに出ている。

「時間」だ。

ブログを始めた頃33歳だったぼくは、39歳になってしまった。そして、この瞬間にも、ぼくは死に向かって進んでいる。この歩みを止めることはできない。




    • 1. アホくさ 
    • 2019年09月02日 18:58
    • 1 嘘話書いて楽しい?
    • 2. スロプ 
    • 2019年09月03日 22:21
    • 1 日記みたいでダラダラしてまとまりがない文章。アホクサw



というコメントを頂戴しましたが、それでも、この時間を使って書きたいことがあるのです。

が、それはいったいどのようなものか? と問われると、よくわからないのだ。そのよくわからないものを、この時間を使って書こうとしてるのだ。馬鹿だなあとは思うけれど。
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