経験は人それぞれで、どんなにそっくりな体験をしたとしても二人の人間が同じ経験をすることはあり得ない。
けど俺が感じるどんな感情も、人類初めての感情なわけがない。それが疎外感や孤独だったとしても、たくさんの先人が同じ気持ちを味わったはず。今だって意外に身近なところで誰かが同じことを感じてるかもしれない。きっと誰かがもう、その気持ちを詩にしてる。小説にしてる。踊りにしてる。絵にしてる。歌にしてる。
それが俺にとっての芸術。

宇多田ヒカル

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午前11時のブンガク

どういうわけか、大多数の人間は、「間抜け」に共感を示さない。

馬鹿や阿呆にはトリックスター(世界をかき回す)という役割が、クズや悪人にはアンチヒーロー(破壊と再生)という役割がある。運の悪さは主人公の代表的な能力だ(それは立派なヒキだ)。が、間が悪いだけの人物が、物語の主役を務めることはほとんどない。どうしてだろう?

たえとば、もじのはちいがたょしうれずていても(たとえば文字の配置が多少ずれていても)、何となく意味は伝わる。

けれ、ども、間の悪、さだけは、如何ともし、が、たい。居心地が悪いのだ。

おそらくは、芸事における「間」と同じである。おそろしいことに、間のよしあしの感覚は、大多数の人間が先天的に持っている。誰も彼も無自覚に。だからこそ、ある程度研鑽を積んだ役者や芸人を、「このど下手が」とヤジれるのだ。どれだけ思いを込めても、理論武装をしても、「間」が悪かったら、「センスな」と思われて終わり。

今書いている小説の主人公は、大学を中退し、最終学歴は中卒、30代後半、無職の男性である。資格は普通免許のみ。それでいて、異常にプライドが高い。気が小さく、怖がりで、すぐキレる。そしてここに来て気づいてしまったのだけど、どうやら彼は、間が悪いようなのだ。

間の悪さの解消方法を考えてみよう。まず思い浮かぶのは、間隔を詰めることだ。

たとえば、

行間を、


空けるというのは、
実は、


高等技術であって、



こんな風に行間を空けまくっても、目はちいとも喜ばない。人間、空間には何かがある、と思ってしまうからだ。だから、とりあえず間が詰まっていれば、違和感には発展しない。句読点もしかり。日本語の句読点は、厳しいルールに監視されているというわけではないが、当然、読む人にとってのリズムと、文体が一致することが望ましい。間が悪くなるのが嫌ならば句読点をとっ払ってしまうという方法もある多少読みづらくても間が悪いよりは幾分マシに見える。マシンガントークは、男であれ、女であれ、間の悪さを防御する方法なのだ。

ここまで考えて、はたと気づく。主人公には口癖が2つある。

1つ目は「めんどくせえ」

2つ目は「これからどうする?」

ここからわかることは、彼は主体的な行動を取らないということだ。何かが起きたときは、「めんどくせえ」という盾で防御、予定を立てるときは、「これからどうする?」という矛を誰かに向ける。なぜそんな人格が形成されたかというと、少年時代に負うべき傷を負っていないということに帰結する。だから、間が悪いまま、生きてきてしまった。といって、彼は37歳。今、深刻な傷を負えば、間違いなく致命傷になる。だから先人は「可愛い子には旅をさせよ」と言い、シリコンバレーでは「早く失敗しろ」と言うのだ。と言っても、もう遅い。

閑話休題


現実逃避、兼、気分転換として、「千と千尋の神隠し」を鑑賞した。
言わずと知れた、日本映画史上最大のヒット作である。主人公は10歳の都会人、千尋(ちひろ)。物語開始直後の彼女は何もできない。頭脳明晰という風には見えないし、運動神経がいいようにも見えない。眉目秀麗にも見えない。頼りなげな少女である。けれど、彼女は両親の危機、そしてアイデンティティの危機を前に、逃げ出さず、真摯に向き合った。そこに、八百万の神々、久石譲の音楽、精緻を尽くした美術、背景とあいまって、千尋とは年齢も性別も違うオッサンの心が動かされるわけである。そしておそらくは、日本とは異なる文化圏の人々も。

ぼくたちは映画を見るとき、10歳の女の子に同化できる。それと同時に、オッサンにも同化できる。これは人間という生き物の持つ、ある種の特殊能力のように感じられる。

ぼくが映画館で「千と千尋の神隠し」を見た二十歳そこそこの頃、「生きる」という映画でも、そして「アメリカンビューティ」という映画でも、甚く感動した。

黒澤明の傑作「生きる」と、アカデミー賞を受賞した、ケビン・スペイシー主演の「アメリカンビューティ」の共通点は、主人公が死を前にしたオッサンということだ。それってばどういうことよ? たぶん、男だろうと、女だろうと、若かろうと、老いていようと、物語世界をきちんと生きようとする人間に、ぼくらは引き込まれるのだ。困難から逃げずに向き合う人間を見て心が動くのは、それが「生の肯定」だからだ。

我が主人公はいかにして「逃げるか」ばかりを考えている。だけど、ぼくが逃げてはいけない。頑張ろう。

つづく
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