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夏休みの宿題2016



もし自分がこの世界から消えたら、と仮定しよう。その世界に存在しないものがある。何か。おれだ。そりゃそうだ。おれがいない世界なのだから、おれがいるはずがない。今はいる。いるからこそ文章を書いている。いる状態からいない状態のことを考えるのは意味がないかもしれない。だけどやってみよう。

世界が平和になってるといいな、と思う。争いや差別や偏見がなくなってるといいな、と思う。みんな笑って暮らしました。めでたしめでたしみたいな世界になってるといいな、と思う。だけどそれは、おれがいないからだ。おれがいる世界でおれが願うことは違う。

人間の本性が悪であると喝破したのはカントだった。人間は放っておくと戦争をはじめてしまう。だからこそ、人間はまとまり(社会をつくり)、また、世界中に広まった(戦火を避けて移動した)。その視点でいえば、人間の悪性こそが平和の母体になったということができるのかもしれない。

ともあれ、「幸せになりたい」という考えが、戦争を生んだ。自分が幸せになるためには「みんなが幸せでなければ叶わないのでは」という仮定が平和を生んだ。その言でいけば自我こそが悪ということになる。欲望の主は自我であり、この文章の一人称も自我(おれ)である。しかし文字、文章は自我ではなく歴史から借りている。自我の中の戦争と平和。それが文章を書くということだ。

おれがいなくなった後、文章だけでも残ってるといいな、と思う。ただし、更新されなくなった文章は腐敗した汚水。誰も見向きもしない。クラシックが残っているのは今なお更新され続けているからだ。呼吸し、排泄し、今を生きているからだ。おれもそう。過去から借り受けた文章を書くことで今を生きている。未来もそうであればいいな、と思う。
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