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夏休みの宿題2016

女子にはイマイチ共感してもらえないとは思うのだけど、男子には成長期に生殖器の皮をめくる、という一大イベントがある。それをめくらなければならない理由はたくさんあるらしいのだけど、それをリアルタイムでめくる体験をした人間の感覚としては、めくらなければいけない理由などよりも、周りの同級生がすでにめくっていた、という同調圧力(を勝手に感じて危機感を覚えるというパターン)であった。

幼少のみぎり、何かの拍子にその皮が裏返ることを発見してはいた。だから知識として、めくれる、という認識はあった。が、それをめくることは、単純に物理的に痛かった。日めくりカレンダーのようには気軽にできなかった。

が、だ。同級生のそこはめくれている、という。もうね、生物として違う感じなのだ。その形状が。サツマイモの種芋VS甲虫の幼虫。ファイ! これはヤヴァイ、と少年は思う。すでにタバコ童貞を捨てていたことを思うと、順番が逆だろ、と引っぱたきたくもなるが、インターネットの恩恵に浴せない時代、暗中模索の時代においては、人生経験の順番など、往々にして入れ替わるものだった。ともかく、それをめくらなければ明日はない。おれはそう決意した。

それにしても、めくる、というのは表現として軽すぎるような気もする。おれの印象では裏返す、またはひっくり返す、という感じだが、それではわかりにくいような気もする。ということで、日本的折衷案として、ムク。という表現を採用しよう。おれのミッションは、あれをムク。さて、どうやってムケばいいのだろう? 簡単である。力を込めて、ぐいっと亀の先端を露出させ、その状態をキープすればよいのだ。

ムク。

……痛い痛い痛い。風が吹くだけで痛いと言われる通風のようだ、とおれは思った(ウソだ。そんな知識はなかった)。

とりあえず、裏返したものを再び裏返すことにした。その種芋のような生殖器兼排泄管は、収まるところに収まって安心しているように見えた。

危機感が、再びおれをふるいたたせる。安心にはまだ早い。行こうか。右手で皮をもち、一気にムキ下げた。そんな複合動詞があるか知らんがムキ下げた。ぶち。という音が聞こえた。かまわんですたい。人生は勢いだ。おれはそのまま裸になると、その生まれたての傷口同然の部位目がけ、シャワーを当てた。痛い痛い痛い痛い。かまわんですたい。大人になるのだ。

かくして、おれは大人になった。が、どういうわけか、今、あの頃のおれが直面していたのと同じような危機感がある。しかし同調圧力ではないし、思春期特有の自意識の悩みでもない。もっと漠として薄暗い危機感だ。果たしておれは、何をムケばいいのだろう?

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