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夏休みの宿題2016


ぼくの目が節穴なだけかもしれないけど、パチンコやパチスロに関連するメディアはほとんど100%メーカーの太鼓持ちに見える。こんなことってある?

インターネットの登場により、崩れかけてはいるものの、健全な商売には客の要望による「批評性」の需要が生まれ、それが商売になる。たとえば車メーカーと(コンシューマーレポートのような)車雑誌の関係。小説家と批評家の関係。「売り物」と「ものさし(はかり)」の関係である。もちろん、広告としての側面もあり、ズブズブの関係になりやすいのも事実だけれど、少なくとも双方ともに「客」のために、というお題目があり、そこに立脚することによって商売が成立する。客のためにならないレポートなんて、客には1円の価値もないからだ。

しかしながら、パチンコ業界は双方が「客」に寄りかかるように成立しているように見受けられる。これは経済的合理性で簡単に説明がつく。「金」になるからだ。ありもしない設定6の特性を伝える。スタイルのよい女性たちをホールに派遣する。それらは直ちに金に直結する。なぜなら業界にとって一番の客は、冷静でいられない人間だからだ。

本当に客のことを思えば、パチンコ業界をなくしてしまえ、という暴論のような論が最も優しいような気もする。ただし、そのドラスティックな改革案はリスクもある。大量の失業者。そして、人間の精神の暗黒面の受け皿の消失。それらの代替物はあるにしても(公営ギャンブル、スマホゲーム等)、その空白の大きさはけっこうなものだ。

冒頭で健全、と書いたが、本当に健全な業界なんてこの地球上には存在しないし、業界という存在自体(言葉自体)、不健全の温床であるのも事実。が、それにしても、ここは風通しが悪すぎる。

ただ、それで稼ごうとするプレイヤーの言葉も批評にならないんよね。スロットで稼ぐ人間は、稼ぐお金の規模にかかわらず、客を食い物にして存在するしかない、自分さえよければいいという、同じ穴のムジナなのだ。

パチンコ業界。混沌の世界。ぼくらが言えるのは、この灰色の領域に対する感謝のみ。感謝、のみ。
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