どれだけお金を積んでも買えないものはある、と青豆は思った。たとえば月

村上春樹「1Q84」BOOK1
IMG_8198
slot-story chapter4 1/2 day-2 Ⅱ

月と小鳥と


不定期連載
物語の始まり「半月」に戻る

「続 繊月(二日月)」 

 やっぱ覚えてたんじゃん、とわたしは言った。
「忘れたなんて言ってねえじゃん」永里は言う。「知らないって言っただけで」
「嘘つき」
「おまえがあのおっさんのことを無視してるうちはおれも無視を決め込んでおこうと思ってたんだけど、そうも言ってられない状況になったからな」
「どういうこと?」
「おっさんが餌(えさ)をまいた。おまえがその餌を口にくわえた」
「……もっとわかりやすく話して」
 めんどくせえな、という顔をした後、一転、永里は気取った表情になった。次の言葉は決まってキザったらしいセリフが来る。身構えていると、永里は言った。「おれ今、戦争中なんよ」

       ◆

「は? 意味不なんですけど」どうしてわたしはこの男の前ではこんな何ちゃってギャルみたいな喋り方になるんだろう? と思いながら言った。「キミさあ、他人とコミュニケーションを取ろうとか考えたことないでしょ」
「どういうこと?」さっきわたしが使った言葉を今度は永里が使った。
「翻訳可能性」わたしは言う。「同一言語の話者同士でも、共有してるものとしてないものがあるんだから、そこは考えて欲しいんだけど、それが思いやりってことだと思うんだけど」
「おまえそんなやつだっけ」
「それこの間のわたしの言葉」そう言って、わたしは笑った。「パクらないで」
「わかった」永里は難しい顔で言う。「おれの家って割と普通じゃない家でさ、普通じゃないってのは、教育とかおもちゃの代わりに不幸をプレゼントしてくれるような家庭で……つかむずいな。思いやり。相手の理解力とか、相手の常識とか、相手の語彙力とかを慮(おもんばか)るってことだろ?」
「そう」
「むずいっていうか、めんどくせえな」
「わかった」とわたしは言った。
「何が?」
「永里蓮がダメ人間ってことが」
 その言葉を聞いた永里は固まった。それから目を細めた。「久しぶりに聞いたな、その名前。本当に忘れるところだった」

       ◆

「理由とかは抜きにして、状況を言うわ」永里は覚悟を決めたような顔で言った。「おれは今、あいつらに記憶を消されようとしている。だけど、その作業はなかなかうまくいかない。もちろんおれとしては従順に従うフリして必死に抗ってるんだけどさ。おれとしては、記憶をなくしたフリをして錯覚させたい。あっちとしては、完全におれの記憶をなくしたい。おれはこのままでもいい。だけどあっちはそうはいかない。折り合わない二つの力が拮抗してにっちもさっちもいかない。焦った田所は実力行使に出た」
「それが私?」
「そう」
「何で私なの? 私にそんな価値があるとは思えないけど」
「たぶん、誰でもよかったんだ。おれと関わりのあった人間であれば。ただ、おれと関わりのあった人間はもうほとんどこの世界にいないからな」
「世界にいない。私も死ぬってこと?」
「ただ死ぬだけじゃない。たぶんおれの目の前で殺される」
「ふうん」
「ふうんってそれだけかよ」
「あいつらってのは?」
「おれの母親、母親と再婚して田所性になったあの男、その他大勢」
「それが戦争?」
「そう」
「たった一人の?」
「そう」
「勝てる見込みは?」
「ゼロ。耐えるだけ」
「それ楽しいの?」
「くっくっく」と永里は笑った。「おまえこんな話聞いてよくそんな通常モードの言葉を使えるな」
「キミにひとつ聞いてみたいことがあったんだけどいい?」
「何?」
「ギャンブルに勝てる人ってどんな人?」
「は? 何の話だよ」
「いいから答えて」
「簡単だよ。ギャンブルは運のいいやつが勝つ」
「じゃあ運の悪い人は勝てないの?」
 永里は首を横に振った。「ギャンブルは運のいいやつしか勝てない。でも、ギャンブルで生き残るのはギャンブルをしない人間だけだ」

       ◆

 鳥肌が立っていた。それは一言一句わたしが聞きたい答えだった。そう、そのゲームには最初から死が内包されていた。お父さんは運が悪いから死んだんじゃない。ギャンブルを継続したから死んだんだ。
「何か私が手助けできることってある?」
「くっくっく」と永里は笑った。「おまえ面白いやつだな」
「何が? てかどこが? 私は今、手助けできることはあるかって話をしてんだけど」
「後一週間ちょい付き合ってくれよ」
「一週間ちょい?」
「今日を含めて9日間。頼むわ」

つづく
にほんブログ村 スロットブログへ
  


つづきを読む