みな知ってると思ってた、
だけどもそれはうそでした。

空は青いと知ってます、
雪は白いと知ってます。

みんな見てます、知ってます、
けれどもそれもうそかしら。

金子みすゞ「海とかもめ」より

IMG_9754
slot-story chapter4 1/2 A full moonⅡ 

月と小鳥と


不定期連載


「続 満月」

 彼の名は永里蓮。が、本人はそのことを知らない。というか覚えてないのだという。そんなことが実際にあるのだろうか?
「どうも」男は言った。
「こんにちは」わたしは返した。
 永里は黙っていた。わたしは小島さんに言って閉店作業を中断し、外に出た。
「久しぶりだね」わたしは言った。
「はい?」永里は言う。「おれは田所さんに言われてやってきただけなんですけど」
「どういうこと?」
 永里は首を振った。そんなもんおれが知るかよ、という感じで。懐かしかった。そうだ。彼はすぐに人を小ばかにするような仕草をする人間だった。
「ほんと、レアキャラだね」わたしは言った。
「レアキャラ?」
「君はこの世界の外側から来たみたいな人だったよね」
「は?」
「私は君のことを知ってる」
「……話がよくわかんないんすけど」
「私は君のことを知っているけど、君は私のことを知らない」
 永里は英語話者のように首を振った。「知りません」
「ああそう。かわいそう」
「……」
 わたしってこんな喋りかたをしてたっけ? もしかしたら、わたしは彼のことが憎いのかもしれない。唐突にそう思った。
「羽生くんをおぼえてる?」
「ハニュウ?」
「じゃあ渋谷は? 原宿は?」
「渋谷も原宿も知ってますよ」
「そういうことじゃない」
「どういうことですか」
「代々木公園は?」
「場所は知ってます」
「知ってるかどうかじゃなくて、覚えてるかどうかの話をしてるんだけど」
「覚えてないです」永里は言った。「話がないなら、おれ行きますよ」
「どこに?」
「パチ屋に」
「パチ屋?」

       ◆

 何てうるさい空間だろう、と思う。うるさい。タバコくさい。胡散(うさん)臭い。
「ここで何をするの?」
「スロット」永里はそう答えたものの、台には着席せず、頭上にある機械のようなものをいじるばかりだった。
「やらないの?」
「やらないっていうか、やれない」永里はそっけなく返す。「つうか、何でついてくるんですか」
「あなたは私に借りがある。それを返してもらう」
「はい?」
「私のことは借金取りみたいなものだと思って」
「おれ借金とかないですけど」
「比喩もわからない?」
「喧嘩売ってんすか」
「売ってる」とわたしは言った。「ねえ、スロットしないならちょっと外に出ない?」
「……」
 路地に出た瞬間、わたしの左足が宙を舞った。予想に反し、その回し蹴りは永里の顎に吸い込まれるように当たった。どでん、とシリモチをついた後、永里はわたしを見上げて、「何すんすか」と言った。
「何なの」とわたしは言った。「そんなやつじゃなかったじゃん」言いながら地べたに座り込む永里に前蹴りを放った。永里のみぞおちにわたしの爪先が突き刺さった。感情の奔流(ほんりゅう)が行動を支配していた。
「強いんじゃなかった?」わたしは言った。
「……は?」
「君は強いって、みんな言ってた」
「みんな?」
「羽生くんとか、倉石くんとか」
「知らないです」
「ああそう。もういいや。じゃあね」

       ◆

 この燃えるような感情はどこから来たんだろう? どこから来て、どこに行くんだろう? わたしはまるで埼京線の車内で痴漢を撃退する勝気なOLのようにカツカツ歩いていた。燃えていた。同時に冷めてもいた。そのあきらめにも似た冷たい感覚がガソリンのように作用していた。わたしは暴走車のように進んでいた。どこに? もちろんパン屋さんに。わたしは閉店作業を中断して出てきてしまったのだ。でもどうしてだろう? ムカムカが全然消えない。
 気づいたことがあった。怒りは過呼吸には発展しないことに。それどころか、わたしの頭はかつてないくらいのスピードで回転していた。

 わたしはギャンブルが嫌いだ。ギャンブルが象徴するすべてのいかがわしい行為が嫌いだ。お父さんが死んだのはギャンブルが原因だったから。

つづく
にほんブログ村 スロットブログへ
 

続(続)満月に進む