誰がほんとをいうでしょう、
花にきいたら首ふった。
  それもそのはず、花たちは、
  みんなあんなにきれいだもの。

金子みすゞ「誰がほんとを」より
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slot-story chapter4 1/2 A new moon

月と小鳥と


不定期連載


「新月」

 里帰りをしてみない? というのは、小島さんの提案だった。羽田から那覇まで飛行機で飛び、那覇で一泊し、翌朝、石垣島まで飛行機で飛んで、そこからフェリーに乗って生まれた島を目指した。
 那覇が東京よりもずっと気温が高いことに驚いた。あわてて半そでになったくらいなのでした。それから船というのに乗ったのは記憶にある限り初めてで(そんなはずはないと小島さんは言う)、気持ちが悪いような気がして、気のせいだと思うようにしたのだけど、やっぱり気持ちが悪くなった。

 耐えに耐え、島が見えて、護岸に船が着いて、海鳥たちがキイキイ語り合っているのを見ながら島に降り立った。降りたのはわたしたちだけだった。陸は揺れてないのにまだユラユラする気がした。懐かしいようで、懐かしくないようで、意味がわかりませんでした。迎えにきてくれたむつかしい言葉を喋るおじさんにつれられて、お墓に向かった。軽トラックで、がたがた、がたがた、でもさっきよりは揺れないね、と思い込むようにしました。

 丘に上ると風が吹いてきて、甘いような胸が苦しくなるような香りがして、それで、頭の中で、ポン、と何かが出てきた。それは新しく誕生したというよりも、昔からそこにいたのだけど、わたしが気づいていなかったもので、よう、ようよう、ようやく気づいてくれたのかい、という風だった。それは夕焼けの色をした記憶で、わたしはまだ小さくて、誰かと手をつないで、歩いているのだった。風はサトウキビ畑を揺らし、木々を揺らし、海の方に向かっていった。

 お父さんのお墓は小さく、古びていて、でも、墓前に誰かが花を置いてくれていた。紫色のと赤色のと黄色いのと、まだ新しい花。お母さんが来るはずはないのだから、でも、だったら誰なのでしょう。お父さんの友だちかしら。しゃがんで手を合わせて、空手を教えてくれてありがとうございました、と心の中で二回唱えた。墓を後にして、旅館に向かう途中、馬が走っているのを目撃した。こんなに走るのが似合う人間は見たことがなかった。だって馬なのだ。馬はとてもきれいな毛並みをしていた。小鳥さんもいいけれど、お馬さんというのもいいような気がしました。
          

       ◆
        

 旅館はあまりきれいではなかった。疲れていたのだろうか、着いてすぐに眠ってしまった。起きると夕方で、汗をかいていた。小島さんに言って、シャワーを浴びた。さっぱりした。

 シャワーから戻るとブラウン管の小さなテレビから歌が流れていた。歌っているのは若い女性だった。小島さんは、沖縄も八重山もこれがはじめてなんだけど、おれは何でだか昔からこの曲が好きなんだよ、と言った。曲の名前は何ですか、と聞くと、「月ぬ美しゃ(つきぬかいしゃ)」と小島さんは答えた。とてもきれいな曲だと思った。かつてあった持ち物のように懐かしかった。夕食はカツ丼だった。野菜などが入っていて、普段見るカツ丼とは少し違うような気がした。それを美味しく頂いた。小島さんはかつ丼を食べながらオリオンビールをくぴくぴ飲んだ。飲んだあとでフハアと息を吐いた。もう二十歳なのだから、と勧められたけど、わたしは飲まなかった。小島さんを蹴り飛ばすわけにはいかない。


 小島さんはすやすやというかぐうぐう眠ってしまった。わたしはさっき寝たからか、眠くなかった。頭のなかで「月ぬ美しゃ(つきぬかいしゃ)」が流れていた。窓の外に月はなかった。さらさらと風が吹き、ブーゲンビリヤや草が揺れていた。東京とは香りが全然違った。空の形も、大地の色も、咲く花も、植物も。
 

 年々歳々花相似 ねんねんさいさいはなあいにたり

 歳々年々人不同 さいさいねんねんひとおなじからず
 

 デイビッドの授業でこの漢詩を翻訳してみましょうというのがあって、ためしに、years and years,flowers are almost same.years and years,humans are not same.と訳してみると、情緒がないですね、と言われた。
「年が経っても花は同じように咲いているけれど、人間は同じようではいられない」デイビッドは続けて言う。
「ポイントは、年々と歳々というほぼ同じ意味の言葉をどう訳すか、反復させたことによって生まれるリズムをどう表すか、逆さにしたときの雰囲気の違いをどう反映させるか、それから、花と人の違いをどう捉えるかだと思うのですが、正解は多分ありません。それでは逆に、英文を日本語に訳してみましょうか。小鳥さん、この英文を日本語に訳してみてください」デイビッドはすらりすらりと母語ではない言語でそう言ったあと、重いものを棚から取り出すように母語でこう言った。

The months and days are the travelers of eternity. The years that come and go are also voyagers.

 わたしは咀嚼(そしゃく)するようにデイビッドが言った英語を呟きながら、日本語に変換してみた。

「月、日は旅人、永遠の。行き来、する、年も、また旅人、です」

「トラベラーも旅人、ヴォヤージャーも旅人ですか?」

「じゃあ、りょじん、にします」

「それは言い方を変えただけですね」と言ってデイビッドは笑った。「語彙(ごい)は道具。あればあるだけ便利なものです。イメージされたニュアンスを、機微(きび)を、ディテールを、できる限り正確に伝えるためにも、それを受け取るためにも。通り過ぎる人、つまり旅人のことを、昔の日本では過客(かかく)といいました。『月日は百代の過客にして、行き交う時もまた旅人なり』ドナルド・キーンが訳した松尾芭蕉の『奥の細道』の序文です」

 そんなことを思い出しながら、外に出て空を見上げた。月の姿はなかったが、空には星がたくさん輝いていた。ここに来れてよかったな、と思った。星ぬ美しゃというのかしら、と安易にも思った後、肌寒かったので、部屋の中に戻ることにしました。

          

       ◆

 小島さんとわたしが東京に戻って少し経った頃、男がパン屋さんを訪ねてきた。またあいつが来ているぞ、と小島さんは言った。その男が初めてここを訪れたのは、まだ小島さんとお母さんが一緒に住んでいた頃、2000年10月13日の金曜日のことだった。

「山崎さんですね」と男は言った。
「……」何と言っていいものかわからず、18歳のわたしは固まっていた。
「ああ、申し訳ない。苗字が変わったんでしたか」
「用事は何ですか?」とわたしは聞いた。
 男は意味ありげな間を一拍置いた後、言った。
「永里蓮という男をご存知ですか?」

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