いい親分がいなくなったんじゃないです。いい子分がいなくなったんですよ。

中井貴一

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ここ数年、異常なペースで異常者が現れているような感じがする。音楽家を偽る演技者、業火の中の科学者、記憶の存在しない政治家、監禁者と大学生の二足のわらじ、薬物中毒、不倫中毒、等々、多種多様な人が登場しては消えていった。

けれども、別に日本人が(あるいは人類が)変化したわけではない。何が変わったかといえばツール、そして生活環境。1億総カメラマン時代。1億総マスメディア状態。それが現在である。

人の口に戸は立てられないというが、すべての芸能人を24時間監視したとしたら、テレビの公共放送は立ち行かなくなるだろう。土台、一般の尺度で生きられる人間が集う世界ではないのだ。

かつてベルトルト・ブレヒトは言った。「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」と。

人間の能力にはパラメータ振り分けみたいなのがある。極少数の例外はいても、パーフェクト超人みたいな人はほとんどいない。心の美しい人間が美しい音楽を奏でるわけではないし、品行方正な人間が美しい言葉を綴るわけではないし、清廉潔白な人物が政治の世界を目指すわけでもない。芸能だとか、芸術だとか、運動だとか、計算だとか、人心掌握だとか、何かに特化した人間は、その分何かが欠けている。努力しだいで変わってくるとはいえ、基本的にはそのはずである。たとえば戦時や災害時に活躍するヒーローは、平時ではその力を持て余してしまう。結局のところ、平和の時代の平和の国で生きる人々は、超人を欲していない。

気は優しくて力持ち。心優しきヤンキー。相反する能力を無理やり言葉で結ぶ。が、それは理想に過ぎない。足りないから補う。欠けているから満たしたい。悲しいけれど、そういうものだ。人間はみんなどこかが欠けている。だから明日に夢を見る。けれど夢を追うとは、普通の幸せを放棄するということに他ならない。何を望み、何を捨てるか。何でもかんでも叶えたいは叶わない。
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