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人ならぬものに魂が宿ること。近代において、そのテーマを持った小説の嚆矢(こうし)は「フランケンシュタイン」だった。フランケンシュタインとは怪物の名前ではない。人造人間を完成させた科学者の名前である。哀しい人造人間に名前はない。小説が出版されたのは1818年のことで、作者はメアリー・シェリーという女性小説家である。

たとえば腕力の話をすれば、女は男に勝てないことが多い。が、ことコミュニケーションの冠たる語学力に話を移すと、男は女に勝てないことが多い。これな、あんな、それでな、あれがな、それでな、そうなってるらしいで、ホンマに、というようなフワフワした領域を言語化すること、また、やりとりすることが男性は苦手なのだ。それはつまりどういう話なの? 結論は? ノンノン(首を振る)。論理で感情は切り取れない。その空間の空気が悪くなるだけである。これは男が狩りを受け持ち、群れの内部における生活のバランスを女が取っていた頃の名残と説明されることが多い。が、そのくせ、男女の関係になると、女は立場、関係性を明確にしようとし、男はうやむやにしたがるもの。面白いね。

ともあれ、今年に入って報道されたふたつのnews(新しきもの)にぼくは大きな感動を覚えた。

ひとつは人工知能(AI)をベースに書かれた小説が、とある文学賞の一次選考を突破した、というニュース(結果はどうなったのだろう)。

もうひとつはマイクロソフトが開発したAIがインターネット空間の悪意を学習してヘイトを自らまきちらした、というニュース。

片手に喜びと、片手に恐怖と、人類は常にテクノロジーに両極端の感情を抱いてきた。

ぼくはものごとを予想するのが嫌いだが、これだけははっきりと予言できる。これからの世界では、例外なくすべての分野にAIが入り込んでくるだろう、と。

技術の進歩とともに、なくなっていく仕事がある。たとえば「電話交換手」、たとえば「もぎり」、そのうち職業作家というものもいなくなるのかもしれない。ただ、誰も消費してくれなくなったとしても、ものをつくる喜びは消えない。人造人間を生み出した科学者フランケンシュタインも、フランケンシュタインを書いた作者も、その作品がどういう影響を及ぼしたか、という前に、その作品をつくる喜びがあったはずなのだ。

文章を書くことで得られる喜び。そこに立脚している限り、ぼくは文章を書き続けるだろう。それが希望かどうかはわからないにしても、人類がその人類が産みし存在に完敗する日がやってきたとしても、人類はものをつくりつづけるだろう。

今ですら、半分ネットとつながっているような状態である。これが攻殻機動隊の世界みたいに100%つながったら? AIと乾杯できる日は? その新たな世界の聖書を読んでみたい。そしてできうるならば、ぼくもその世界で文章を書いていたい。

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