マ
slot-story chapter2 ♯14
目隠しが外されると、梅崎さんが目の前にいた。そしておそらく僕の肩を押さえていたであろう二人が床に倒れていた。彼らは動かなかった。そして前方に、もうひとり男が倒れていた。ぴくぴくと痙攣する彼に向かって梅崎さんが言った。
「高崎さん。おれはおれの道を行きます。今までお世話になりました」
「待て」高崎と呼ばれた男が言った。「梅崎、おまえこんなことしてどうなるかわかってんのか?」
「わかってます」梅崎さんは言った。「あ、言い忘れましたが、彼が太郎の元相棒です。今後、彼に手を出すようなことがあれば、おれもマツも許しませんから」
そう言った後、梅崎さんは僕の左肩を引っ張るように持ち上げた。強烈な痛みとともに、肩がはまった感触があった。さらに梅崎さんは、僕の左の太腿に刺さっていたアイスピックを抜き、自らの着ていたシャツをびりびりと破り、左足と左手を止血してくれた。そして僕をおぶって歩き出した。振動のたびに太腿と左手が痛んだ。部屋を出ると廊下があり、そこにもふたりの男が倒れていた。僕は梅崎さんにおぶられながら、彼らの体の上を通過した。
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気づくと、僕は寝台のようなところに寝かされていた。
「小指も折れとるけど、裂傷でギブスがはめれんかったから、添え木でしばらく様子を見といてんか」誰かが言った。「肩もしばらく痛むやろうけど、しっかりはまっとうから大丈夫や。太腿の傷も、安静にしとけば問題ない。災難やったな」
誰かはわからない人に向けて「すいません」と言った。
「師匠、すいませんでした」
「梅崎さん」僕は言った。「タローズさぼっちゃいました。やっぱ、俺、団体行動向いてないみたいです」そう言うと、僕の意識は再び薄れていった。
なぜ、朝と夜の間、夕方を逢魔ヶ時というか。
なぜ、部屋と部屋の中間、敷居を踏んではいけないか。
なぜ、畳と畳の間、縁を踏んではいけないか。
「その理由を知ってるかい?」誰かが言った。僕は首を振った。
それはどちらでもない領域だからだよ。境界をまたいではいけないんだ。鳥類なのか? 哺乳類なのか? コウモリが恐れられる理由も同じだ(コウモリはれっきとした哺乳類だけどね)。曖昧なもの、どちらともつかないもの、人間が忌避するもの。スロッターくん、君もそのひとりだ。
「りんぼさんですか?」僕は言った。「ここはどこですか?」
目の前にいたのは佐和だった。
「元気?」佐和は言った。
「普通」僕は言う。普通、というのは彼女の口癖だった。名前は忘れてしまったが、ローソンだかセブンだかファミマのどれかにしか売っていない何とかというグミが好きで、毎日のように彼女は買ってきた。そんなに美味い? 僕がそう言うと、彼女は「普通」と言った。普通? セックスのときもそうだった。きもちいい? 彼女は耳元で言う。僕は素直にうなずく。同じ質問を返す。彼女はほとんど決まって「普通」と言うのだった。
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僕の通っていた高校から歩いていける距離に、わりと有名なお嬢様大学があって、そこにサセさんと呼ばれる女子大生がいた。本当に通っていたかどうかは不明ながら、デートすれば必ずやれる。だから彼女が歩くと列ができるのだと、同級生は得意げに語っていた。
三木という、マージャンの弱さでは他の追随(ついずい)を許さない、当時の僕にとってパチ屋の交換所的な同級生がいた。彼は負け分を払う代わりに、「ちょっとつきあってほしいところがあるんだけど」と言った(実際それはおかしな提案だが、目をつむった)。そして連れて行かれた居酒屋で、僕らより先に席に座っていたのがサセさんだった。三木は童貞で、彼の中で、その日は卒業記念日という風に位置づけているらしかった。
こう言っては何だけど、サセさんは可愛かった。高校生にはない大らかさ、親元で生活しては出てこない風格みたいなものが感じられた。
「はじめまして」からはじまり、僕たちは杯を重ねた。
舞い上がった三木は、誰にも振られてないのになぜかひとりで一気をくりかえした。一気、一気、一気、と自分で言いながらグラスを空ける彼は、とても幸せそうだった。その帰結として、彼はトイレにこもってしまった。そしてトイレから出てきた彼は、そのまま眠り込んでしまった。
「三木くん、寝ちゃったね」サセさんはそう言って、細長いタバコに火をつけ、ふう、と吐いた。「この後どうしよっか?」
僕は当時から、期待値の有無(そんな言葉は知らなかったが)で物事を捉えていたため、都市伝説的なことはまったく信じていなかったし(奇しくもその年は、某フランス人の大予言でジンルイが滅亡するとされた年だった)、オカルトや怖い話や自分にとって都合の良い話を信じるようなことはありえなかった。僕は彼女のその献身(けんしん)の理由が何となくわかった。男の望むサセさんなんてどこにもいないということだ。
「●●さん」と僕は言った(彼女の名前がどうしても思い出せない。さすがにサセさんとは呼んでいなかったと思う)。
「ん?」サセさんは多くの男性が望むような角度で首をかしげた。
「どうして●●さんはそんなにきれいなのに、わざわざ阿呆な高校生なんかと遊ぼうとするの?」
「どうして?」
「だって合コンとかいくらでもあるでしょ。街歩いてたらナンパされるでしょ。何でガキが好きなの? 楽だから?」
その途端、サセさんは泣き出した。
「ごめん」と僕は言った。
「ううん」サセさんは目に涙を浮かべたまま首を振った。「そんなにストレートに本質をつかれたの初めてで、びっくりしちゃって」
「本質?」高校生が使わない言葉だな、と思いながら僕は聞いた。
「私、病気なの」
子宮にある持病のせいでセックスができない。サセさんはそんなことを言った。セックスはできないけど、それ以外のことは大抵できる。大人の男はそのことを嫌がる人もいるけれど、高校生は奉仕に対し、純粋に喜んでくれることが多い。だから私は君たちと遊びたい、ということらしかった。
「あっちでするってこと?」僕は単刀直入に言った。
「……そういうこともあるね」とサセさんは言った。「山村くんってあれでしょ。ドSでしょ」
僕は首を振った。「それは●●さんの理想の投影じゃない? 俺は別にSでもMでもない。別に、普通だよ」
「普通か。私の普通とは全然違うね。君、恵まれてるよ」
「そうかもね」と僕は言った。「俺にとっての普通と、●●さんにとっての普通は違う。たぶん、こいつ(三木)にとっての普通と、俺にとっての普通も」
……普通って俺の口癖だったのか?
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僕はバスケットコートにいた。バスケ部2年対他校の試合だった。山口がボールを運び、ゴール前の竹中にボールを送る。竹中はフェイクを入れてブロックにつく相手を交わし、パスを送る。どフリーの僕はボールを受け取り、3ポイントラインぎりぎりから飛び上がり、最高到達点で手首を返す。僕の足が地面に着いた数瞬後、ボールがゴール吸い込まれる音が聞こえる。
「すげーじゃん」満面の笑みで竹中が言った。「ナイッシュ」山口が僕の肩を叩いた。
僕は首を振った。「普通だよ」
首を振る。今の僕の世界にスミ屋は存在しない。
「なあ、今日スミ屋寄ってく?」
首を振る。今の僕の世界にスミ屋なんてものは存在しない。
「崇って何なの?」佐和が言う。「私がいなくても、崇は全然困らないでしょ」
「困るとか困らないの問題じゃなくない?」僕はそう返す。
「じゃあ、私は何なの」佐和は言う。
「彼女だよ」
「私は崇がいなくなったら、悲しいよ」
そんなことを言いながら、どこかに行ってしまったのは佐和だった。
「君は、めぐまれてる」サセさんはそう言った。
どうしてみんなないものをねだる? それを押し付ける?
「なあ、今日スミ屋寄ってく?」
そこに期待値がある。なら、その期待値を追いかける。僕は常に、逃げる準備をしている。実際僕はすぐに逃げ出す。拠点をコロコロと変える。打つ台もコロコロ変える。変わらないことは変わっていく環境だけ。動き続ける時間だけ。
「私がいなくても、崇は全然困らないでしょ」
「君は、めぐまれてる」
そうなのかもしれない。僕はこの三十数年の人生で困窮したことが一度もない。両親は公務員で、金を無心しにやって来る親族もいなかった。近所づきあいで困ったこともない。満ち足りていたとは思わないが、どうにもならなかったことはない。唯一困りかけたのは、小僧と出会った頃の残金30万というやつだ。でも、そんなのは困ったうちに入らない。だってパチ屋があったから。
そうだ。パチ屋があったから、僕は生きてこれた。僕が閉じていても、パチ屋は365日開いている。そしてたまに釘を開けてくれた。設定を入れてくれた。じゃあ、パチ屋がなくなったらどうする?
つづき読みてえ、と思ったら押したってちょ。
♯15へGO!
小説のおともに
牙リバコンビの登場人物紹介1「師匠、小僧、たけさん、越智さん、りんぼさん、梅さん、会長」
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牙リバコンビの登場人物紹介3「チーフ、タローズ」
牙リバコンビの登場人物紹介4「ヒラマサ、エリ、マリリンさん、沙耶ちゃん」
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